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2月は寺にいました

今年のやりたいことのリストの中に「月1回noteを出す」があるのですが、ご存知の通り今日は2月末日なので、実績を絶やさないということを第一目的に中身を決めずに書き始めています。

2月はどういう月だったかな~というと。
思い出として印象的なのは、龍雲寺の6泊7日の期間かな。
体験として特に印象的だったことを書いておきましょうかね。

坐禅は難しかった

膝が地面に完全について、坐骨と両膝の3点が地面を支える座り方が正しい坐禅の作法みたいだけど、体が硬くて全然できなかった。住職に「ずっとやってこなかったから」と言われて、今までストレッチとかしてこなかった自分を反省した。

たくさんストレッチや運動をした・学んだ

このプログラムでは、プロのトレーナーが朝・夕・夜のタイミングで運動やストレッチのプログラムを開催してくれる。坐禅の一件もあったし、元々今年の(長らくそうだけど)目標でもある「柔軟性を高める」「姿勢改善」「肩こり解消」を手繰り寄せたくて、有料プログラムもほぼ毎日参加した。

筋肉にも動かし方があって、それをしっかりと説明してくれたので、家に帰ってからもその原理をおさらいして、しっかりと時間を取ってやれたらいいなと思っている。僕は、お尻と足首と腿の横筋肉が特に硬いらしい。ここを継続的にやって体を大切に扱えるようになっていきたい。この期間でだいぶ体は楽になったし、柔らかくなる兆しがあると思う。嬉しい。

ご飯がおいしかった

一日一食のご飯はとてもおいしかった。肉と魚は口にしない期間だったが、どれも本当においしくて、初日にご飯を口に入れたときは、そのおいしさに感動した。静かにご飯を食べる時間がとても豊かだった。自分はいつもゆっくり目のペースだったみたいで、食べ終わるのが遅くなっていた。自分は早食いだと思っていたけど、いつの間にかゆっくりになっている。それとも、本当は元々、ゆっくりしていたい性質(たち)だったのかな?と思う。

写経も2時間かかった。

そういえば、お寺体験で「写経」をやったのだけど、これも2番目にゆっくりのペースだった。『般若心経』は文字にして262字なのだけど、2時間近くかけてようやく書いた。自分はスラスラと文字を書くことが習慣になっているけど、「丁寧に書く」ことを意識した瞬間に、「これは時間がかかるな」と直感した。同じ字を書く作業なのに全然違う行為なんだな。食べるのも、そういうことなんだろうな。

住職との相談会

離れていても心の中に母を想って生きればいい。
そしたら本質的には寂しくはない。
心の炎を燃やして一所懸命に生きているかどうかが、どこにいたって大事。
大事なのは懸命に生きているかどうか?
お互いの存在が負担になっていたら辛いけど。
人間と協力して生きる。懸命に生きる。

家族の単位が小さくなっている。お年寄りを少ない人数で支える構造。
年寄りは頭を下げるのが難しくなっている。高齢者はこういう風に扱われるべきだ、という意識が時代の変化に追いついて変わっていっていない。

心の癖をどう直していくかが、重要。そのために自分の心を見つめる時間を毎日とり続ける期間は重要。ストレッチも同じだな。心身。

大切にしたい気づき

色々なものに感謝して生活することの大切さ

見落としているもの、意識を向けようとしてこなかったことの多さに気づく。日常を過ごすだけでとても贅沢な生活が流れている。実際10万近く出したけど、そういうことじゃなくて帰ってもできる暮らしがたくさんあると思う。

一日一回心を込めて
「いただきます」「ごちそうさま」を言う。
挨拶を明るくする。
見返りを求めないで、人に与える。
求める心があるから満たされない。
丁寧に生活をするということを大切にする。
丁寧に生きる。
素直になる。
心と体を柔らかく保つ。
きれいなココロとカラダを保てば人生は素晴らしく生きることができる。


尻切れだけど終わります。今月もギリギリ出せたので薄氷を踏みながら続けていきます。

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