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8月6日のこと(2023年)

毎年この日に記事を書こうと決めたのは、元・広島東洋カープの四番、栗原健太選手がそうしてくれていたからで、カープを退団してからもそうしてくれていて、2018年の8月6日で更新は止まっているのですが、毎年この日だけ更新されるすごく誠実に筆不精なブログが大好きでした。

去年からこの日に記事を書くようになって、栗原選手が毎年どれだけ苦しんで(もしかするとあの過酷なリハビリ以上に)気を吐くように言葉を捻りだしていたかを多少なりとも実感しています。もちろん、栗原選手の足元にも及ばないのですが。たぶん、栗原選手がブログを書いていたら、私はこの記事は書いていないし、あれほどのことは書けないのですが、代わりになれるわけでもなく、「いつか栗原選手がまた記事を書いてくれるかもしれない」と夢見ているわけでもなく、ただあのチャンスでの勝負強い打棒にも宿っていたかもしれない誠実さを確かめるように、書いていきたいと思っています。

栗原選手のブログに教えてもらった印象深いことのひとつが「生ましめんかな」という詩でした。奇しくもこれを書いた詩人の名前は栗原貞子といいます。

生ましめんかな

こわれたビルディングの地下室の夜だった。
原子爆弾の負傷者たちは
ローソク一本ない暗い地下室を
うずめて、いっぱいだった。
生ぐさい血の匂い、死臭。
汗くさい人いきれ、うめきごえ
その中から不思議な声が聞こえて来た。
「赤ん坊が生まれる」と言うのだ。
この地獄の底のような地下室で
今、若い女が産気づいているのだ。
マッチ一本ないくらがりで
どうしたらいいのだろう
人々は自分の痛みを忘れて気づかった。
と、「私が産婆です、私が生ませましょう」
と言ったのは
さっきまでうめいていた重傷者だ。
かくて暗がりの地獄の底で
新しい生命は生まれた。
かくてあかつきを待たず産婆は
血まみれのまま死んだ。
生ましめんかな
生ましめんかな
己が命捨つとも

https://www.nskk.org/kyoto/stmaria/091201.htm

この詩が大好きで、今年も読もうとインターネットで検索していたら、京都聖マリア教会のサイトを見つけました。この詩で描かれている風景と、イエスさまが産まれた風景が被るというのです。そしていま世界のどこかで同じような風景があるかもしれない、とも。
戦争を語ることはむずかしい。けれど、それを過去の(78年前の)それとして捉えるのではなく、いまここにあるものとして捉えないといけないと思うのです。たとえば机のうえのコップが落ちるとして、それをもし数秒前に予知できるとしたら、必死で阻止しようとするでしょう。いままさに起きようとしている戦争があって、いまなんらかの行動を起こすことにより、止めることができるとしたら。なにができるのか分からない。でもしなければならないことはあり、そのなかで、今日は記事を書いたり、広島の夏を思うことを始めています。

今日は広島のエース・前田健太投手の登板の日でした。セレモニーはなく、オンスケジュールであれば8時15分にターゲットフィールドのマウンドに立つはずだったプランは別のセレモニーで流されてしまったのですが、彼のいつもより力が籠っているように見えた投球と、勝ち星のつく立派な内容は、いつかアメリカでもセレモニーが行われるかもしれない未来に繋がっていると思っています。打線も援護をしてくれました。おそらく、広島のことを知って打ってくれた選手はいないとも思いますが、それでもうれしく、感謝をしたいと思いました。

「怒りの広島、祈りの長崎」という言葉があります。「最初に原爆が落とされた広島のことを怒ろう。長崎のことを最後に原爆が落とされた地になるよう祈ろう」というふうに解釈しています。ただ私は「怒り」という感情は自分の責任を被害側であることを理由に全面的に免れるものであるように思え、できれば現したくありません(それでも怒ってしまうことはありますが)。だから私にとっては「祈りの広島」です。原爆のみならず、戦争がなくなることを祈り、日々を誠実に暮らしていこうと思います。

何もない広島に生えた一輪の菊をバットと呼ぶ子らの夜

何もなくなった広島に球場ができた。その最初のゲームはカープの選手がカチコチになって15-1での大敗だったそう。思い出すようなピースナイターでした。

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