見出し画像

西へ、東へ

なんでがんばらなかったんだろう。

長閑な眺めが少し街めいて、ここは豊橋。何年も前にホームに降り立ったことを思い出す。ホームで、とても会いたい人に会ったのだ。向こうは西から、わたしは東から出向いて、その半ばに位置する豊橋で待ち合わせた。うれしくて、思わず互いに手を広げて駆け寄り、ハグした。確か暑くなり初めの頃だった。相手の仕事のことを考えると、やはり今ごろ、6月だったのかも知れない。
会いたくて会いたくて会えてうれしい、
いまは
人とのそんな関係性がいかに稀で、得難いものであるかがわかる。
離れてわたしは自由になり、とても楽になったけれど、ともに年をとる相手はいなくなった。そんなものは簡単にまた手に入ると思っていたのかどうか。すべてが苦しくなって選んだ道だ。これまで一度も後悔めいた思いは感じたことがないのに、いま
あの頃より少ししぶとくなったわたしは、なぜ頑張らなかったかと、初めて思う。

米原を過ぎると、心なしか家々の屋根の勾配が緩やかになる。西国だ、とひとり呟く。湖面が遠く見える一瞬があって、あとは田園。まだ水面ののぞく早苗の並んだ田んぼは空を映し、あおあおと緑一色になったそれは光を吸い込む。不透明なオーカーの矩形は麦だろうか。
古戦場は物流の要衝となって盆地に位置する。遠く山々が連なり、雲が浮かぶ光景はいにしえより変わるまい。車窓はごく小さいのに視界は俯瞰でひらけるから、わたしは俄かに戦国武将の心持ちになって窓の外を眺め続ける。天の神、地の神よ。民よ豊かであれ。小さきひとよ幸せであれ。

日々はがんばることの繰り返しだけれど、それをどうやってすごしていくか、つまり生きていくかは年月が教えてくれる。父や、母が、言葉ではなく年を重ねていく姿で教えてくれる。自身の手に顔に年齢は刻まれて、もう少し聡ければもっとはやくわかっていたであろうあれこれが、わかりはじめる。もっと早くわかっていれば、何が違っていたか。意味のない問いも、ふと心をよぎる。

あっけなく旅は折り返して、わたしは再び車窓に顔を押しつけながら東へと帰る。
ああほんとうに、この時季は青空のまま昏れていく。雲の向こうの青い空が徐々に暗くなり、ほんの申し訳みたいに色づくと、やがて雲と空とが混じりあい、夜になる。


ーーー
末尾の、青空のまま、の表現はトマリエさんのnoteから教えていただきました


いただいたサポートは災害義援金もしくはUNHCR、ユニセフにお送りします。