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初めて訪れる見ず知らずの場所を、自分の感覚だけを頼りに歩く

最近息抜きに、家の近所を歩くようになった。

目的地は決めないことがほとんどで、その時の気分や持ち時間によって歩いている。気の向くまま、風の吹くまま。
歩いているときは、ただひたすらてくてくと歩き続ける。
地図は持たず、携帯を見ることもしない。
誰かに道をたずねることもしない。自分の感覚を頼りに歩き続ける。

だから道に迷いそうになることがあるのだけれど、場所を迷いながら歩くと、自分の五感をフル活用し始める。
視覚、聴覚、嗅覚、触覚。味覚は…あまり活用しないか。

景色や風景を見たり、聞こえてくる音に耳を傾けたり、草木や町の匂いを嗅いだり、ヒフの感覚に頼ったり。全身の感覚が研ぎ澄まされていく。

この全身の感覚を研ぎ澄ませるときのヌッと自分に集中する感覚が面白くて、わざと道に迷ったりすることもある。
なんとも形容しがたい感覚なのだけれど、総毛立つゾワッとした感覚。アンテナがピーンと立つ感覚だ。

独身時代、よく1人で旅行に行ったものだが、旅行の楽しみのひとつとして旅先を同じ歩き方でよく歩いたものだ。
会社員のときも、出張に行った際に出張先の街を歩くのが好きだった。
知らない街を練り歩き、前述の総毛立つゾワッとした感覚やアンテナがピーンと立つ感覚を楽しむ。下手すれば帰れなくなる危機感に少し興奮しながら。(こうなると、もはや変態だ)
そして、その後はほっと一息、その土地の郷土料理が食べられる居酒屋に入る。できれば古風な佇まいのお店がいいね。店の大将や常連のお客さんとちょっとした会話を楽しみ、お酒に酔いしれるのが楽しい。
(結局、これが目当てなのかしら)

▼そんなときに私の心の中で流れる昭和の名曲はこちら

ジェリー藤尾の「遠くへ行きたい」

YouTubeのお気に入りに入ってるぐらい好き。
歌詞が心に沁みるねぇ。

「遠くへ行きたい」

歌 :ジェリー藤尾
作詞:永六輔
作曲:中村八大

知らない街を歩いてみたい どこか遠くへ行きたい
知らない海をながめてみたい どこか遠くへ行きたい
遠い街 遠い海 夢はるか 一人旅
愛する人と巡り逢いたい どこか遠くへ行きたい
愛し合い 信じ合い いつの日か幸せを
愛する人と巡り逢いたい どこか遠くへ行きたい

おっと。話を戻そう。

どうやら、私は初めて訪れる見ず知らずの場所を、自分の感覚だけを頼りに歩くのが好きらしい。

これを誰かに話すと「こわくないの?」なんて大抵驚かれるんだけどね。「まぁ、キミたち凡人にはわからないだろう。」と心の中で思い、話をうまく受け流す。今まで唯一、1人だけ同調してくれた人がいたけどね。同じ感覚を持つ人って意外と少ないのよね。

また、話を戻そう。

歩くのは、時間にして1時間~1.5時間ほど、距離にして約5~10kmだ。
これを機に、当面日々5km以上は歩くようにしようと思っている。
そうすると果たして、いつでも出陣できるような武士の魂が宿るのか?それとも、五感が研ぎ澄まされて聖人のような高潔な人間になってしまうのか?まずは、日々歩くことによってどのようにヨガの練習に影響を及ぼし、心身が変わっていくのかを楽しみにしたい。

しかし、迷ってもなぜか地図がなくても家路につくことができるから不思議である。これが帰巣本能というものなのかしら…。