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社会と大学の構造について思うこと

1.大卒新卒者に対する採用難

リクルートワークス研究所によると、2022年卒の大学新卒者の求人倍率は1.50だという。これは、求職者1人に対して約1.5件の求人がある計算になる。新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け、多くの企業は採用を差し控えるかと思いきや、現在の新卒採用市場は「下げ止まり」の状況が見える。業種ごとの差異はあれど、過去2度の金融危機やリーマンショックと比較すると、新卒者に対するネガティブな影響はそこまでひどいものではなかったといえるだろう。

実際に新卒採用を行う企業から口々に聞くのは、「いい学生が採れない」という声である。各社採用課題は異なるものの、一部の超大手企業を除き自社が求める人材が充足したという声はほとんど見られないように感じる。大手就職情報サイト「マイナビ2022」と見ると、7月22日現在においても全掲載社数の7割以上が「エントリーを積極受付中」であることからも、この状況は説明できるだろう。

「いい学生が採れない」という問題は、これまでもさんざん議論されてきたことではある。その背景には、そもそも企業が「自社に適した人材」を定義できているかという問題や、定義された人材像を持つ学生を選別できるのかという問題など、数々の障壁がある。それについては神戸大学准教授の服部泰宏先生が議論しているため、ここでは論じない。先ほど述べたような採用に関する各フローごとの問題が企業ごとに存在するため、個別に対応を考えることは大変な労力を要するからである。

本記事において私は、採用難というものを説明するもう一つの方法として、「個別の問題を構造的に捉える」という手法で今回は述べていこうと思う。

2.社会が必要とする人材と大学が育てる人材の乖離

「社会が必要とする人材」という表現は抽象的であるため、同一の目線で議論を進めることが非常に難しい。一方が経済産業省提唱の社会人基礎力に代表される【コンピテンシー】について焦点を当てているかと思えば、もう一方はその企業で必要とされる【技能】に着目する人も存在する。企業と学生のマッチングを目的として採用に関して議論を進めるのであれば、ベースを合わせる必要がある。
ここでは構造的に述べるために、学生の属性にラベル付けしやすい「学問系統」について焦点を当てる。平たく言うと学生が「何を学んでいるか」であり、最もわかりやすいのは「文系 / 理系」という区分でこれから論じるのだと思っていただいて差し支えない。
では、その学生属性と社会が求める人材がなぜ乖離しているのか。これを、私の身近な例を基に考えていこうと思う。

私の居住する兵庫県は、摂津や播磨をはじめとする五国から成立しており、産業、地理、文化等の包括性から「日本の縮図」とも言われている。そして近現代を支えてきた産業として最も盛んなのは、第二次産業(工業)だろう。兵庫県の発表する「2020年工業統計調査結果」によると、事業所数は7,481(前年比 -1.7%)、従業者数は361,720人(前年比 -0.6%)である。さらに、製造品出荷額等は16兆2290億円(前年比 -1.7%)となっており、これは47都道府県中5位の数値である。兵庫県に本社を構える企業は、神戸製鋼所(単体売上高1兆7,055億円)や川崎重工業(単体売上1兆4884億円)に代表されるように鉄鋼・造船をはじめとして、自動車・食品・医療など様々な分野でトップシェアを誇る企業が多数ある。私の親交のある方が取締役を務める、とある自動車部品メーカーの企業も創業から半世紀以上を数え、海外進出も果たした立派な会社である。

そんな企業の採用課題について聞くと、その方はこう仰っていた。
「うちは大学生を募集してもほとんど来ない。採用するのは、高校生が中心だ」
この言葉に、驚嘆した。このように歴史や魅力のある企業が、なぜ大卒新卒者の採用に成功できないのか。この背景には必ず原因がある。それが今回問題敵をしている、構造上の問題だということだ。

当然のことだが、製造業が必要としているのは「製造ラインに関わる人材」だ。研究開発から設計、生産管理や品質管理、製造に至るまでのラインの整備が生命線となる。もちろんそこを下支えする事務系職種のスタッフは一定数必要だが、そこに人員を割くことは会社の利益には直接的に繋がらないため、積極的な採用はしていないのが通常である(ましてや、規模が大きくない企業であればなおさら)。そこで兵庫県内の36大学に目を向け、製造業との親和性の高い理工系学部を調べると、以下のような数値が見えてきた。

【2020年入試:入学定員】
神戸大学(工学部・理学部) 入学定員718名
兵庫県立大学(工学部・理学部) 入学定員527名
関西学院大学(理学部・工学部) 入学定員445名
甲南大学(理工学部) 入学定員155名
合計:1845名

以上だ。これは、兵庫県内大学に入学する1学年の学生数のうち、1割にも満たない数である。ここからお分かりの通り、産業構造と学生属性がそもそも適合していないのである。企業が口々に「いい学生が採れない」と言う理由が、ここからも少しお判りいただけたのではないだろうか。大学生がいるにはいるが、自社で使える人材がなかなか見当たらないというのが兵庫県内で起こっている採用上の問題なのである。
しかし、現状の採用に満足し、大卒者を欲しがっていないわけではない。先の取締役の方は、「高卒の学生は採れるものの、その後の育成が難しい。自ら学び、会社のかじ取りを任せられる素養のある人材としては育てづらい」と言う。学歴の差異で人材の優劣を全て説明できるわけではないが、よりいい人材を欲している事情があることは間違いない。

ここで兵庫県からスケールを大きくし、日本全体の構造としてとらえた場合はどうか。これも、同様の傾向が見られる。
先のリクルートワークス研究所「大卒求人倍率調査(2022年卒)」によると、求人数は全体で676400と出ている。うち製造業は227600であり、全体のうち約34%を占めている(建設業と合わせると、約5割にも上る)。
ではそれに対し、大学生の属性はどうなのだろうか。これは文部科学省の学校基本調査(2019年)に準拠して作成された「数字作ってみた」様のブログ記事を拝借して論じていこうと思う。
これを見ると、全学生数のうち理学系・工学系学生の占める割合は合わせて17.6%。先ほど示した製造業の求人総数比約34%と比較すると、大きな乖離が見られる。つまり、日本全体の産業が求める人材と、大学が輩出する人材属性の間には、構造的な問題があるということなのだ。

※もちろん「製造業」求人数の中身として事務系職種や理工系以外の学生属性も含まれていることは予想される。しかしそれは製造業以外の産業にも言えること(例えば、流通業の企業において物流システムの保守のために理工系の学生が必要とされる等)であり、構造上の問題を否定するまでの大きな数ではないことが予想される。

3.「データサイエンス系」という折衷案

では、「大学が理工系学部もしくはそれに準ずる組織を作ればよいのでは」と考える方もいるかもしれないが、大学が動くのはそう簡単なことではない。設備投資や維持、教員の招致、実習等のカリキュラム整備等、人文科学や社会科学とは比較にならないほどの費用と労力がかかる。これは、私立大学の経営という視点では非常に「割に合わない」ものであることは私の拙い経験上でも伺える。設備や教員数の関係上、理工系学部の定員を多く確保することはよほどの規模でない限り難しい。しかしその一方で私立大学は学費を主な収入源にするため、コストをかけたもののそこから得られるリターンが十分に得られるわけではないため、理工系学生を受け入れ、養成するというハードルが極端に高いのである。これでは、前述の産業構造上の問題が解決することは難しい。
直近の例ではあるが、河合塾提供の「2021年度新増設大学・短大一覧」を見ると、全国で数十の学部学科新設がある中で、理工系が新設されたのは新設大学である三条市立大学の工学部、京都橘大学工学部の2つのみである(後述で補足あり)。これを見る限りでも、やはりおいそれと大学に「理工系学生の養成をして」という道理は通らないのである。

「コストを極力かけずに、産業界のニーズに応えたい。」
「その上、学校内部の組織をテコ入れし、ブランド力を向上したい」

こんな思いがあってかどうか、大学側の直近のトレンドとして「データサイエンス系学部/学科」の新設が相次いでいる。これは先ほどの資料の中で直接的に紐づけられるものでも5つ見られ、学問として含まれるものを合わせると10ほどになる(先ほどの京都橘大学もこれにあたる)。「データサイエンス」というと、2017年に開設し話題となった滋賀大学データサイエンス学部((定員100名)や、次いで2018年に開設した横浜市立大のデータサイエンス学部(定員60名)が思い浮かぶ。1期生が卒業し、就職先が公開されている滋賀大学の内訳を見ると、情報通信業が多く連ねている一方、旧来の重長厚大な製造業も見られる。こういった人材の養成が進んでいる以上、産業界もそうした学生の活用について考えていく必要性も今後出てくることが考えられる。

4.新卒採用市場の向かう未来

ここまで、大卒新卒者の市場においてなぜ「いい採用が採れないか」に関する問題が構造的にあると考え、それに対する大学側のスタンスについて論じてきた。構造的な不釣り合いは簡単には解消されないため、マッチングは不完全な状況が続くことが考えられる。社会に人材がうまく輩出され産業界がより発展していくために、全体を捉えた上で双方に対して理解と歩み寄りを促す存在が必要なのではないだろうか。

不完全な状態だからこそ、よりよい未来を考える余地が残っているはず。