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居場所をなくしたLEGsに思いを馳せる

大学時代の恩師の著書を、卒業後に改めて読んだ。
在学中何となしに専攻した社会学という学問は、実生活とのつながりが強く、奥が深い。要は大学生の時は感じなかった価値を、今になって感じたということだ。

LEGsという言葉は、この書籍で用いられる造語だ。
Lightly Educated Guys、略してLEGs。それは若年非大卒男性を指しており、下の表においては③に位置する存在のことを指している。

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先生の論じ方の興味深いのは、①~⑧を「8人のレギュラーメンバー」と表現し、属性集団をそれぞれに人格を持たせて擬人化しているところだ。それぞれのメンバーは、役割や能力、志向性、さらに競技(社会)に対する捉え方や参加のスタンスまで異なるという。これを読んで、僕は小中学生の時にプレイしていた野球に思いを馳せた。

思えば、僕はよく言えば何でもやれと言われれば一通り一生懸命にやる、悪く言えば器用貧乏な性質の野球少年だった。それが功を奏して(?)、投手から外野手、ランナーコーチなど様々なポジションを経験できたのだが、野球はまさにポジションによって試合に及ぼす影響がこれでもかというくらい異なる。簡単にいうと、投手が最も影響力が大きく、次いで捕手、内野手、外野手、ベンチメンバー、の順に小さくなっていくというものだ(経験者の方ならわかってくれるはず)。

そしてこの野球という競技の性質は、先生の論じるそれぞれのレギュラーメンバーとスタンスを語るうえでとても相性がいい。自分なりに8人のレギュラーメンバーをそれぞれどこに配置するのかについて、考えてみたので絵にして示してみようと思う。(野球は9人でやるのに8人とはこれいかに、と思われるかもしれませんが、そこは多めに見てください笑)

LEGsポジション

※上はあくまで僕の解釈で配置してます。

これについての理由は、長くなるので省略しよう。個人の解釈だし、「まぁこんなもんか」くらいのものだ。ここで僕が考えたことは、2つある。

1つは、先生の考えに準拠したこと。上のラインナップの中で、レフトとライトの欄を空欄にしている。本来はここに③の若年非大卒男性(=LEGs)が入るはずなのだが、先生曰く「あまりにこの層の立場がもろく、社会からもないがしろにされている」とのこと。つまり、しかるべきポジションはあるのに、試合に参加できていないのがLEGsであるということだ。存在するのに、存在していないような感覚は本当につらい。

2つ目は、それぞれのポジションによって見え方が異なるということ。これは、学生時代指がもげるまでやったパワプロで例えると、こんな感じだ。

▼投手:壮年大卒男性
自らボールを投げ、試合を大きくコントロールできる。つまり、社会における影響力がとても大きいということ。

投手視点

▼捕手:壮年大卒女性
投球を受け、投手を陰で支える。試合への影響力も大きく、様々な角度から社会参加を果たしている。

打者視点

▼セカンド:若年大卒女性
ショート:若年大卒男性(画像は見つからなかったので割愛)
投手、捕手と近くに位置し、試合の動きをより間近に体感できる。場合によっては投手を支援することからも、社会においても次の世代を担う存在になる。

セカンド視点

▼外野手(レフト):若年非大卒男性(?)
試合の中で、飛んできた打球に対して守備を行う。1試合に平均して5~6球の打球を捌くにとどまる。つまり、社会においても遠くから眺めることも多く、影響力が比較的小さいといえる。

レフト支店

ここまで書いてきて、影響力だの存在感だの書いていると野球関係者に喧嘩を売っていそうな気もしてこなくもないが、個人的に感じたことだからご容赦願いたい。つまり、どのポジションから試合に参加するかによって、見え方や関わり方が全く異なるということだ。

野球やらポジションやらの語りが長くなってしまった。野球になじみがない方はわかりづらいかもしれないが、社会において置き去りになっている存在がないかを気にかけていきたいし、仕事の中でどんなポジションの人にどう働きかけていくかについての新たな視点をもらえたような気がする。
大学の学びは、卒業しても続くなぁとしみじみ思いながら、この記事を締めようと思う。