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自分とは何か


自分とは何なのだろうか。

名を名乗る時。考えや気持ちを述べる時。失態を反省する時。大勢の中で1人になる時。あの子にどう思われてるのかな、と気になる時。

自己啓発の根幹を成す軽率な問として知られているかもしれない。前提として、自分が何者かであるということを決め打ちした問である。

さっき寝室に入った、あの親に育てられた息子。この場所でこの時代を生きていて、昼間はあのコミュニティに属する人間。男。女。このようなカテゴライズを避けたとて、何者でもなければ答えは出ない。いや、それらが答えとして腑に落ちるのであれば、端からそんなことを考える必要はない。近くに居る誰かと共感し、そうではない誰かを憎み、このnoteを読むことは決してない。

勿論、それが咎められる筋合いは無い。それができるとすれば神だけだ。咎める人間にはお前もだろと言えばいい。然し、この問に答えようとすることは、自分以外を理解しようとすることなのではないだろうか。

自分が他人と違うと知るということは、不可逆的に他人が自分と違うと知るということだ。然し、これほど難しいことはない。何故なら僕達は、今日の晩飯を考えなければならない。愛する人の安寧を守らなければならない。漠然とした“他人”に思いを馳せる余裕など無いからだ。よく分からないものは怖いし、自分や自分が愛する全てが幸せになればこの上ない。

然し、それをおざなりにしてまで、延々と自分に問い続けてしまう。自分とは何か。他人とは何か。優しさとは何か。何故人間はあらゆる諍いを克服できないのか。“自分を犠牲にしてまで―”とはどういう意味か。

差別や偏見とたたかうことは、犠牲なのか。

神とはどういう存在か―

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