布団屋さんになってはいけません
※10年以上前に聞いた小咄(こばなし)です。
「きみは何屋さんになりたいの?」
「わかりません。だけど、商人(あきんど)にはなりたいです」
「ハハハ。そうか、いいね」
僕がまだ商人を目指して、江戸川区のある書店に住み込みで働いていたときのこと。常連の漢方薬会社の社長さんが話してくれました。
「いいことを教えてあげよう」
「はい」
「布団屋さんになっちゃいけないよ」
「ふ、布団屋さん?!」
「そう。布団屋さん」
「それは・・・どういうことでしょう?(おれ、布団屋さんになりたいって言ったっけ?)」
商人の仕事は人に喜んでいただくこと
「むかしな、おれの知り合いに実家の布団屋を継いだ男がいたんだよ」
「へえ」
「それで、そいつが家業を継いだってことで最初のうちはまわりのみんなも布団を買っていたわけ。だけど、それがだんだん売れなくなってきちゃった。というのも、布団って一度買ったらそう簡単に買い替えるものでもないし、量販店で安く買えるようになっちゃった。だから困っちゃって、ある日、おれのところに相談にきたの」
「ほう」
「おれそのときから漢方薬つくってるからさ『試しに、これ売ってみたら?』って言ったんだよ。場所もとらないし、ノルマもないからって。そしたらさ『でも、うちは布団屋だから』って、断ったんだよね」
「まあ(そりゃ、そうですよね)」
「結局、そいつは家業である布団屋を畳んだの」
「そうですか・・・」
なんとなく掴みどころのない話に僕は、「この人は何が言いたいんだろう?」と思いました。彼はそんな心の動きを察したのか、少しだけ語気を強めて話を続けます。
「だけどさ、もしそいつが『おれは布団屋だ』じゃなくて『おれは商人だ』って思ってたら結果は変わったんじゃないか、って思ってるんだ」
「それは、どういうことでしょう・・・?」
「商人はさ、『人に喜んでいただく』のが仕事なの。だけど、そいつは『布団を売る』のが仕事だと思っていたんだよね。でも、もしその男が『人に喜んでいただく』のが仕事だと思っていたら、たとえおれの漢方薬じゃなくても『なにか人に喜んでもらえることはないだろうか?』って考えるはずで。そしたら、『〇〇さんが喜んでくれそうだから、△△も売ってみようか』ってなったと思うんだ」
(ふむふむ)「たしかに」
「もし、おれの漢方薬を売っていたらの話だよ?漢方薬ってさ、布団よりは安いかもしれないけど、多くの人は毎月買いにくるんだよ。そしたら漢方を買うために毎月通っている店の主が愛想がよくて、本業が布団屋だって知っていたら『布団はあの人から買おう』ってなるかもしれないじゃない?」
「そうか、布団を買い替えるのが数年に一度だとしたら、少なくとも一度買った人にとって、しばらくは必要のない人になっちゃいますもんね?」
「そう。だからさ、きみも商人になるならさっき言ったことを忘れないようにするといいよ。『おれは商人だ』『人に喜んでいただくのが仕事なんだ』って。そのことさえ忘れなければ、どんな時代になっても生きていけるよ。人様に喜んでいただけることはなんだろう?って、つねに考えるんだ」
正直なところ、この話を聞いたときは「へえ、そんなこともあるのか」くらいにしか思っていませんでした。だけど、これまでやってきた仕事をこれまでどおりに続けにくくなってきた今、やっとこの話の大切さがわかってきたような気がしています。
近江商人『商売十訓』
画像は伊藤忠商事HPより
鎌倉〜江戸時代、そして現在へもその系譜が続く近江商人(おうみしょうにん)に伝わる『商売十訓』のなかにこんな言葉があります。
話をしてくれた社長さんがこの近江商人の言葉を知っていたのかは知りませんが、もしかすると商人を目指していた当時のぼくのために、この近江商人の知恵をやさしい例え話にして、説こうとしてくれたのかもしれません。
「いいかい?『はたらく』って言葉には元々、『 "はた(他人)" を "らく"にする』って意味があるんだ。誰かに喜んでいただける、楽にしてあげられるような人になるんだよ?大丈夫。困ったことは起こらないから。人の役に立ってあげな」
ありがとう