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声に、耳をかたむけ続ける【福島県大熊町】

2021/06/13 

この日は、木村さんとボランティア3名で、帰還困難区域、中間貯蔵施設エリアへ。
この時期の草はひたすらに伸びて伸びて、歯が立たないとはこのこと。この10年の間にご自身の家や田畑を泣く泣く手放す方はいますが、年齢が若くったって、維持していくのは本当に大変です。

ボランティアの方の「カワセミの声がした」という言葉で川辺を探しましたが、見つからず・・・。(カワセミの声って、自転車のブレーキをかけたときのような声らしいですよ!)

木村さんの自宅跡はわたしたち以外に人一人見当たりませんが、幾重にも鳴り響く様々な鳥の声、波が打ち寄せる音、遠くの松の木を見ればミサゴの母親が子を守っています。こんなところでハンモックなんて作ったら、ずっとぼーっとしてしまいそうだね、なんて話していました。

しかし皮肉なことに、ここは放射能汚染による帰還困難区域内ですので、帰ることのできない現状、また自宅がある方の事情に限り出入りができます。

そして10年という月日で、多くの被災地では新しい建物が立地したり舗装が進んだりと、震災前の面影を追うことは困難になってきました。社会の闇に葬られてしまったように感じてしまうこの地では、汚染されているとは思えないほど、澄んだ空気と自然に包まれています。

午後からはオンラインツアーを開催するため、熊町小学校へ移動。
以下は、【大熊未来塾~もうひとつの福島再生を考える~】Facebookページに掲載した報告文です。


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オンライン講演「福島県大熊町からいまを考える」

今回は、以前ここを訪れて木村の話を聞いた学生が企画したオンライン大熊ツアーを開催。大学生や若い方が参加してくださいました。

草が生い茂っている熊町小学校校庭の中央で、木村が話しはじめました。夏の気配を感じさせるような日差しが、生い茂る緑と木村を照らします。

かつての小学校の写真と照らし合わせつつ、10年前に汐凪ちゃんがいた教室を窓から撮影。「こびとづかん」がある席が、ちょうど汐凪ちゃんの席だったとのこと。たしかにあそこにいたはずの姿が、どれだけ探しても見つからないという現実には、受け入れがたい気持ちがぐっとこみ上げます。

木村はくるっと教室に背中を向け、植木のあたりの線量を測って見せます。とても高い。屋上からたまった雨水が排水される先に植木はありました。
あのときからなにも変わらないように見える教室内とは打って変わって、一歩外の世界は重大事故があったこと、月日の流れを感じます。とはいえ、教室内は手つかずのまま。放射線量も徐々に下がっているとはいえ、まだまだ高いはず。目に見えない放射能は何十年も居座ることをひしひしと感じます。

捜索が打ち切りになるギリギリまで探していた消防隊が、人の声を聞いたこと。避難指示により捜索が中断。自衛隊がガレキを片付け、集められた山。木村ひとりでの捜索から、やがてボランティアが集まり、5年9か月かけてようやく汐凪ちゃんの遺骨の一部が遺留品とともに見つかったこと。

淡々と話す木村の話には、大学生の方には非現実的に感じてしまうことだったかもしれません。

「原発事故がなければ、もしかしたら汐凪は助かっていたかもしれない。助からなかったとしても、遺体は見つかったかもしれない。」
そう口にする木村の言葉には、経済面での豊かさを追求することに対して、わたしたちに「本当の豊かさとは何か」という問いを感じずにはいられません。

そして、災害時の学校における対応についての話へ。
木村の自宅は学校からさらに海側にあり、もし、おじいちゃんと自宅に向かおうとした汐凪ちゃんを学校が止めていたら。もし、自分が「地震がきたら家に帰ってはいけない」と教えていたら。事態は大きく変わっていたかもしれない。大昔の津波の被害が教訓に残されていたら、きっともっと多くの人が助かっていただろう。

今後このようなことを繰り返してはいけない、という気持ちから学校の災害時対応について問題提起をつづける木村ですが、余談として講演のあとに話していたことを補足します。

「汐凪が行方不明になった責任を学校に追及するのは違う。」と言います。当時まだ若かった先生が、あの一大事にそこまでの判断ができなかったであろうと。

今後同じことを繰り返してほしくない、という強い願い。教訓を無駄にしないためには、ただ責任を追及するばかりではなく、東日本大震災を知らない世代が増えていく中で、これからどう生きていくのか、ひとりひとりが考えつづけることが大事です。そして、それはわたしたちが汐凪ちゃんから託された使命とも感じます。

今回ご参加いただいたみなさんには、はじめてリアルな現実を受け止めたことで、言葉にできないといった様子が見受けられました。ただ「福島で起こったこと」「過去に起こったこと」と片付けることなく、現在進行形でこれからも感じたことを大切に考えつづけていってほしい、と強く願っています。

(助手:義岡)

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