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顔の印象が変わってきた?!

人間の顔ってよく見ると左右非対称なんですよね。
実際に人と会った時、まじまじと顔を見ないのでわかりませんが、芸能人の顔写真や自分の顔を鏡で観察したりするとわかります。

左側の顔は感情が表れやすく、プライベートな顔。右側の顔は建て前を優先する社会的な顔。なるほど、本当にそう思います。

わたしの顔の感覚では、左側は内面が表れ、右側は外側の世界への表現度合いが表れているように思います。

洗面所の三面鏡を角度をつけて反射させると違いが良くわかります。

どういう風に違うかというと…わたしの場合、顔の違いは特に目の輝きに表れてしまいます。骨格の歪みなどこの際大した問題ではありません。やはり顔の印象は目にあるのかなと…。

左目はめっちゃ輝いているんですよ(笑)
それに比べて右目は死んだ魚の目のようです(笑)

笑っていますが本当にこれが嫌です。

目の輝きだけでなく、右側の顔は全体的にぼてっとした感覚があり、確かに感情が表情筋に伝わりにくいなと感じます。
さらに、左目には空気が通るようなすっきり感があるのに右目にはそれがないのです。
全体的に右側は、感覚としてこわばりとまではいかないのですが、心に沿った自由度がないのです。何か一枚被ったかのような分厚い感覚があります。

今もその感覚は残っているのですが、ここ1年ぐらい前からだいぶ顔が良くなってきたなぁと思っています。

三面鏡で反射させて観察したとき、目の輝きがほとんど同じぐらいになってきたのです。(右目にもちゃんとお星さまが入ってきました。笑)

これはどういうことなのか、自分なりに分析してみました。

顔の左右非対称については密かに悩んでいたので、いろいろ自分に対する精神的な取り組みでなんとかしようと思っていました。
なぜなら、顔は自分を表しているので心(意識)のバランスの悪さが出ているのだろうと考えたからです。

でも、顔のことは直接的な取り組みではなく、結果論でそうなってきたのでした。

右目も左目と同じように輝きだした要因としては、わたしが自分を外側の世界へ表現し出したからだと思います。

わたしは昔から自分をアピールしたり、ありのままの自分を表現するのがとても苦手です。とにかく自分に自信がない、魅力がないと思っていましたから。

アピールどころか控えめで、ありのままの自分というものも出してはいけないと鎧をつけていたのです。それには、時にわざと強がって見せなければならないこともありました。

人生の長い期間を本当の自分を表現することなく過ごしてきてしまったのです。

それが人生のタイミングで、もう一度ピアノに向き合って技術を高めようと決心してから変わりだしたように思います。

結構夢中になりました。学生の頃より確実に上達しています。

何より内面にある自分が感じた音楽を表現するのですから、そこに恥じらいがあっては上達しません。
昔のわたしなら、感情豊かに表現することなど音楽をやっていながら恥ずかしくて、どこかセーブしながら中途半端にやり過ごしていました。

「自分という自意識を取っ払って、ただ内面に存在する音楽を外に出す。」

そういう作業が自分の内面と外界とのバランスをとっていくのに大いに役立ったのだと思います。

他にも思い当たることはありますが、やはりわたしの場合、隠し過ぎていた自分を表現していくということが大きいようです。

このNoteもその最たるものの一つです。

ここに書いた記事は、どれもわたし的には面と向かって誰かに話せるものではありません。そんな内容なのに、ここで誰かの目に留まり受け取ってもらえることで表現が完結するのです。本当に有難いことです^^

自分の内側と外側を一致させること。バランス。これを心がけないと、すぐに意識が内側に向かい過ぎて右目が曇ってしまいます。

わたしの課題は、もっと自分を打ち出し、もっと外界と関わって、自分の欲することを思っているだけじゃなく実現させること……と思ってはいます。

あぁ、なんて課題が多いことでしょう(笑)



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