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京都駅の成り立ちを見て、京の都の構造を知る

 古都京都、この地のターミナルたる京都駅周辺には明治以後、京都貨物駅や現在の鉄道博物館になる機関区など広大な鉄道用地が確保、利用されてきた。寺社仏閣の林立する京都において、どのようにしてこの広大な用地確保がなされてきたのか疑問を抱き調査を行った。

京(みやこ)、京都

平安京の範囲[1] (赤線は筆者により記載)

 鉄道用地の確保について述べる際、京都という土地の成り立ちを知ることを避けることはできない。京の都の歴史は知っての通り平安京に遡る。
 平安京が建設された範囲は上図のとおりで、中心線の朱雀大路には嵯峨野線が、大路南端の羅城門付近に貨物駅や機関区などが、南東には京都駅、北東に京都御所が立地している。なぜ、平安京のど真ん中に鉄道や貨物ヤードが設置され、東側半分に御所や京都駅などの行政や交通の施設が集中しているのだろうか?

 京都は人口140万人超[2]の大都市であるが、平安時代は推計で10~20万人程度であった。その人口規模では、西は桂川から東は鴨川という非常に広い範囲に建設された平安京の広大な条坊が人家で埋まり切ることはなかった。

図1.2 京都の標高図[1] (黒線は筆者により記載)

 特に南西の低地は桂川の作る湿地帯であり、貴族などは北東に邸宅を寺社は東山から鴨川周辺に多く建設されたため、平安京の中心は朱雀大路から現在の左京に移っていった。市街地の偏りや朱雀大路南端羅城門の倒壊などを経て、室町期には内裏が現代の京都御所に移転したことで平安京は実質的に解体された。

京の再定義

御土居の範囲(赤:御土居 黒:平安京)
(範囲を示す各線は筆者により記載)

 室町期、応仁の乱などを経て崩壊していった平安京であるが、戦国末期に都が再定義される。豊臣秀吉は御土居という土塁を建設し、この範囲が京と再定義され、現代に続く洛中、洛外の範囲が規定された。

 さて、ここで京都周辺の鉄道用地を確認してみると、嵯峨野線は洛中の西縁を、京都駅~京都貨物駅などは洛中の最南端に位置していることがわかる。つまり、京都駅とその周辺の鉄道用地が秀吉後の京都、洛中を基準にして建設されたことがわかる。

京都駅と鉄道施設の立地

 ここまで、京都駅と周囲の鉄道施設の立地の疑問を見てきた。とはいえ、最初の疑問である広大な用地の確保については疑問のままだ。

御土居と京都駅

 先ほどの御土居の地図を拡大してみると、京都駅は秀吉の建設した御土居の南辺にあることがわかる。(0番線が御土居の跡地を利用したとの説[3]もある)

江戸中期の絵図[5]

 江戸中期の絵図では、京都駅周辺(東本願寺南側の御土居)はほぼ田畑であった。

1892年ごろの京都駅[6]

 明治に入り、明治10年に東海道線が大阪側から延伸され、京都駅が建設された。明治30年ごろの地図を見てみると京都駅南側には未だ田畑が広がっており、現代のような市街地が形成されていないことがわかる。これを見ると、京都駅はそもそも田畑の広がる京都南側の郊外に建設されたため用地買収に際して古刹にぶつかるなどの大きな問題は起きなかったと考えられる。(東西の町人地の用地買収は必要だが)

1922年ごろの京都駅[6]

 しかし、1914年ごろに京都駅の建て替えに際し、機関区や貨物駅を京都駅西側に移転することとなった。建設されたのは山陰本線(嵯峨野線)との分岐点であり、この建設事業に際して遍照心院大通寺と蓮華寺の用地買収が行われた。遍照心院大通寺は源実朝の正室に由緒を持つ寺で、移転事業により現在の東寺周辺に移転している。

まとめ

京都駅周辺の古刹

 今回、京都駅の立地を考察するにあたって京都の成り立ちと京都駅周辺の古刹との関係を見てきた。結論をまとめると、当初、京都駅は、平安京東側に発展した市街地南端の田畑の広がる地帯に建設された。そのため、周辺に寺社仏閣はほぼ立地しておらず町人地の買収のみで建設が可能であった。
 時が進み、京都駅を拡充するにあたって京都市街地西端を走る山陰本線(嵯峨野線)との分岐地点に鉄道用地を確保する段階になって初めて、大規模な古刹とぶつかることになったのだった。

 今や、京都駅は市街地の中の駅という印象だが、100年前には田畑のある郊外の駅であった。実は、中心市街地を避け郊外に鉄道駅が建設された例は各地で見ることができる。有名なのは名古屋、熊本、金沢駅など旧来の中心繁華街の端の場所に国鉄の駅が建設された。

 用地買収の問題に関連したものは古い例に限らず現代でも見ることができる。(線形などの諸所の問題もあるが)例えば新のつくタイプの新幹線駅や空港の立地などで、中心市街地から離れたアクセスの悪い土地に建設されることは間々見られることなのだ。

引用・参考文献
[1] 地理院地図 , https://maps.gsi.go.jp/
[2] 京都市 , https://www2.city.kyoto.lg.jp/sogo/toukei/Population/Suikei/ 
[3] 吉海 直人 , "JR京都駅0番ホームの謎" , 同志社女子大学 , https://www.dwc.doshisha.ac.jp/research/faculty_column/2018-05-28-09-41  
[5] "[洛中絵図・洛外絵図][2]" , 国立国会図書館デジタルコレクション , https://dl.ndl.go.jp/pid/2589694 
[6] 今昔マップ , https://ktgis.net/kjmapw/
[7]
工業之大日本社 ,"工業之大日本8(2)"  , 国立国会図書館デジタルコレクション , https://dl.ndl.go.jp/pid/1894412 
[8] 六大新報社 , "六大新報(398)" , 国立国会図書館デジタルコレクション , https://dl.ndl.go.jp/pid/7941329 

[表題写真、図案]
PhotoAC , https://www.photo-ac.com/main/detail/25561209
"[洛中絵図・洛外絵図][2]" , 国立国会図書館デジタルコレクション , https://dl.ndl.go.jp/pid/2589694 

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