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2022/11/7 社会政策論 第5回

 2022/11/7 社会政策論 第5回

 イントロ
  今日から地域再生、個人、家庭の政策
 
 
  地域の変容について
  地産地消が変容していった。
  貨幣経済へ

  おとといの話
  猿人の湯
  尚巴志マラソン ゆいんちほてるに泊まっていた
  内地の人が多い。一人
  沖縄のおじさんがいた。
  内地から来た人との話
  沖縄は、政府を非難してお金をもらっている。
  振興予算って本当にそうなのか
  沖縄の人代表で話さないでほしい。
  内地の人は、産経新聞で、沖縄の人は刷り込まれている。
  記事について、内地と沖縄で認識の差がある。
  ナイチャーのくせに、ゆインチホテルに泊まって・・・・
  その人は、孤立している。意見を交わせる人がいないので、
  少し、教養のある人なら・・・・
  
  人間関係の話からの、解説でした。

  昔であれば、語り合えたが、いまではナイチャーにそういう話をしている。

  この人の考え方は、絶対なのかという疑問が生まれる。
  そんなことは言ってないだろうけども・・・・
  
  
  長久手市、5時から村
  ゴジカラ村
  
  こどもがいると大体なく、
  
  長久手が都市・・・?
  コンセプト
   都市の中に村をつくる
   自然との共生
   貨幣・商品とは関わりない関係
   多世代の多様性のある社会関係
   ↑
   高齢者施設+看護師学校
   
   幼老統合ケア
    富山県”このゆびとーまれ”
    ↑看護師学校 有償

   こども食堂
    多世代交流・・・人間関係 つながり
    愛情、支援
    交流→共有→反応→人間性/情緒/感性
    こういうものを培っていく。
    人間にとって普通の成長の仕方。
    子供たちにとっても自分が心をかよわせて交流する
    人間性が発達しない。
    幼い琉球大生がいるでしょ・・・
    子供時代に愛情を注いでくれなかったからではないか。
    ↓
    社会性、社会的に共有すべきもの/社会的相続

    ※この方のボヤキや人への攻撃性や、バカにする態度が
    気にならなくなった。そういう人、いちいち反応しない
    ただの価値観の違う知的なピエロだと思えばよい

    琉大生でも、不幸な幼少期を経て、社会的相続がされていない
    残念の方々が多い

    ↓居場所(づくり)
   子供たちと文化を共有するなど
   僕がやっている、実践社会政策について
   ボランティアに行く人が、しっかりした理性がある必要があるが、
   琉大生の方が、こどもから豊かな人間性や感性をもらってくることがある。
   成果報告会では、うわべだけで本質を理解していない学生の事例が見受けられる。
   →琉大生をディスる 気持ちよくディスる
   
       
    

   ※この授業は、昨年度の授業と何が違うのだろうか
    構成が違うだけで、ネガどころが同じな気がする。
    なにか聞いたことある話ばかり。

   地方創生という言葉は廃れてきた、地域再生という言葉になってきた。
   合併にて、沖縄県内でうるましができたが、住みここちよい街になったか?
   
   ある研究者が自分の研究のために「限界集落」と言い出した。
   政府はネガティブキャンペーンに走る
   消滅都市論→子供を育てる女性が減るという定義
   政府は、当初の定義とは違う、ショッキングフレーズででたらめな定義で国民を誘導しようとした。
   そこで、地方創生論を産みだした。
   

 ※昼の入門で、女性の学生にタブレットでゲームをしていた。
  何しているのですかと聞いた。
  違う勉強している人がいて、いまトイレでいって思い出した。
  二股の本命じゃない人、あなたはそんな扱いされて気持ちいですか
  →すねている。
  そんなところからスタートして大丈夫なのか? 自分の授業がつまらないからじゃないのだろうか、そういう発想がないのだろうか? そんな授業に興味がない学生を
  相手にしている時間があるなら、その他の普通の学生に目を向けたほうがいいので
  はないか。どんだけ暇人なのか。
  →そんなに気分悪ければ、カメラオフにしてやったらいかが?
   自分の感情のコントロールの仕方がもしかしたら幼いのではないか?
   もしかしたらわざとこの話をきりだしたのか?
  たまたま、この話と、重なる。

  この方は、どこをみて授業をしているのだろうか。
  いちいち学生の反応を見ながら授業しているのだろうか
  相当な技術をもっているのだろう。

  <ビデオ>
<海外の事例>
  ※市民の声を吸い上げる仕組みが無い
   行政側との思いと違った。
   市民と行政が繋ぐ、プラットフォームを作った
   市ではタウンミーティングの予算が限られている
   アプリで多くの意見を聞けるようになった。
   行政と市民の関係が変わった
   Philly311
アプリによって、地域の中でいろんな活動ができるようになった

  <千葉の事例>
  ガバメント2.0

アプリ開発者+コンピュータ技術を持った市民

  FixmyStreet
公共施設のメンテナンスを市民の力を借りてやるもの
  道路の破損について、市民が報告
  修理は、すべては市がやるのではなく、登録している市民にやってもらう
  定年退職した人が、ボランティアでやってくれる。
  コストをかけずにメンテナンスをしてもらうもの
  
  <島根県 雲南市>
  住民に路線バスをゆだねた。採算が合わず。
  住民は交替でスケジュール管理。  
  住民でできる。
  6つの町村が合併した。
  財政非常事態。職員2割減
  予算も人員も増える見込みがない。
  少子高齢化が進み、市民サービスが減る
  そこで、立ち上げたのが、住民組織 
  市内を30の組織に分けた
  行政だけですべてサービスを提供するにはコストがかかる
  鍋山地区1400人
  水道検針、60代の住民が検針している。
  検針と同時に、福祉サービスをしている。
  高齢者の見回り。
  一人一人の顔色、体調を確かめる。必要あれば保健師に報告する。
  鍋山地区の代表は不安→住民サービスをしていた高齢者があいついで亡くなっている。
  
  社会関係資本
  沖縄市あたりのサンシン
  エイサー 
  そういった地域の中で、日本国内より、人と人のつながりが維持されているので・・
  この地域に暮らしていきたい、シビックプライドもしくは地域のコア
  循環構造を作っていく話 映像
 
  あたらしい地産地消 
  VTR
<やさいばす>
  きまったルートを走る野菜バス。
  バス停に野菜を運ぶだけ。
  回転ずしみたいなもの
  様々なメリット
  消費者:野菜の色が良い
  南房総 地元の野菜
  地元の野菜は手に入りづらい
  生産者に取りに行く、20km以上 往復 非効率
  農家も、地産地消の大変さ。
  野菜の納品 往復で2時間
  これまでは、自ら野菜を届けに行く
  野菜バスなら、午前中で、近所のバス停に持ち込むだけ
  鴨川から南房総まで
  相乗りする、物流コストが安いので、農家自身が値段を決められる
  欲しい人はバス停に取りに行く
  空いた時間でほかの仕事ができる。
  野菜バスには、地元食材のスーパーになってほしい
  無印良品が「バス停」
  集客にもつながっている
  完熟状態を届けられる

  茨城県で完熟だけをとどける農家 茨木
  出荷には、完熟前の物
  未来の物流の形

  こういう情報提供はありがたい。
  移動の自由は、人が主語となる
  車が主体になる。
  人は動かず、ものを動かす。

  地産地消なら
   保存料が不要となる。 心と体にとって良い
   除草剤を使ったもの。人間が食べると。胎児に影響が出る
   子供→自閉症になる、発達障害、脳機能障害
   アメリカで調査した。除草剤・農薬を使った食べ物
   相関関係が強い GMOと表記される。アメリカ
   Non-GMO 市民運動となっている。
   
燃料・・・コスト、化石燃料
   
   自閉症の学生の方の例。
   つらくて発表に来ない。自分の表現としてプレゼンできない。
   
   <感想>
 普通に、情報提供だけなら、良い内容と思われるところもある。
   ただ、その根拠が少ない気がしてならない。というその根拠もフィーリングですが・・・

   結局、学生を不安に貶めるような感じで授業をさせているのは、学生自身の授業態度が自分の望むべきものではないという責任転嫁した結果なのだとすれば、かなり幼稚な精神構造をしているのかもしれない。なぜ、負のスパイラルを教える側がたちきらないのだろうか。学生に影響され過ぎだろう。
   はたまた、面倒見が良いという側面なのだろうか。
  真面目に聞いている学生からしたら、もし大方そうであれば、この人の癇癪がそのかたがたに向けられてもいるのに、これだけオンライン授業をしていて気づいていないのだろうか。
   こうやって、授業本来の目的とは違うところに学生に目を活かせる結果になっているので、教える側の人間性に問題があるのかもしれないという仮説が生まれるだろう。

  これこそいわゆる国の税金でこのような教授を生産し、まじめな学生に不安や不快を量産させている、国による社会的ロスが継続中という事だろう。

  さて、中身の感想であるが、
  敗戦から、日本は国の運営に失敗した。その結果、現在、地方も疲弊し、国民へのサービスが行き届かなくなった。もはや、財政的にも行政に頼れなくなっている中で、市民の負担により、市民同士で助け合いながら社会を運営して支え合いながら社会生活を維持していく圧力が強まっている状況になっている。
  まとめると上記ということなのだろう。
  諸々のアイデアを映像事例で紹介されたところであるが、地域を再生するのは行政の役割でもあるが、それすらも行政が出来ない、ほとんどの日本人の人間力の衰退ともいえるのではないか。日本人のレベルが下がったということだろう。その原因が、例えば、経済性を追求した結果、食べ物に農薬を使うなどであり、その結果として、表現は良くないが、いわゆる脳や体に欠陥のある人間が生産されているということだろう。
  これらを正のスパイラルに戻すことは、本来であれば、国が行うべきところを、もはや、国、行政は、その計画・実行などの行為事体も民間活用と言って、丸投げしなければいけないような状況を作り出してしまっているのではないか。
  この国は、どうなっていくのだろうか。行政が汗をかかずに、おいしいとこ取りしようと姑息なことをするような社会で本当に良いのだろうか。
  もしかしたら、そのほうが優秀な人々は幸せかもしれない。なぜなら、世の中をよくわかっている賢い人々は、どうすればこの単純で疲弊した日本社会や劣勢の日本人を踏み台にして、自分たちの私腹を肥やすことができるからではないだろうか。
  だから、このいわゆる教授は、早く君たちも気づきましょう。今の日本の世の中は、非常にイージーモードです。ちょっと勉強をやり続けるだけで、簡単に、いわゆる幸せゾーンに行くことができるんですよ、と言っているだけに過ぎないのかもしれない。結論から言えば、非常に親切な先生である。
以上

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