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夕立ちドラマ「無脳シリーズ」第12話〜嗚呼〜

無能シリーズも12話を迎え、久しぶりに酒を飲まずに書きました。枇杷の木と男の物語です。

  そういえば、うちの庭の枇杷の木が、ぽってりとした黄色い実をつけました。もう、そのような季節なのでしょうか。ついこの間、初夏を迎えて、爽やかな青空と積乱雲が、まるでクリームソーダみたいだなんて、二人で言い合い笑い合っていたのを思い出します。
  メイドの竹さんが、今年で66歳を迎えました。緑寿です。彼女はいつもの、使い込まれた包丁を、台所から取り出してきて、枇杷の枝をちょんと切ると、その場で私のために剥いてくださいました。一口齧ると、さっくり歯触りが良く、和三盆より上品な甘さで、竹さん、これは上等なものだ、と勧めると、彼女は皺で弛んだ頬を揺らしながら、わたしゃもう歳だすけ、ゆうさん、全部食べんなせえ、と、奥の間へ引き返してしまいました。立派な枇杷の木の前に、一人とり残された私。なぜか突然心苦しくなって、私は残りの枇杷を頬張ると、泣きながら庭にしゃがみ込みました。私のようなものが、先祖代々から伝わるこの枇杷を、食してよかったのでしょうか。ひどく寂しい憂鬱の荒波が、私の心を掻っ攫っていきます。堪らず羽織りの袖口から、タバコを一本だけ取り出し、ライターで火をつけると、少しはマシになりました。嗚呼、明日はどうやって生きていこうかしら。私は、監禁されているわけではありません。しかし、父の建てたこの邸宅から、どうにも外へ出られないのです。

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