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忘戦歌03

忘戦歌02からのつづき


見知らぬ恩人

春子は何も考えられないまま、途方もなく歩き続けていた。
しばらくすると那覇の市街地が見えてくる。

那覇へ着いた春子は何をするでもなくガーブ川に架かる橋のゲタを掴みながらぼーっと川の流れを見つめていると、一組の夫婦が声をかけてきた。

「行くところがなければウチにおいで」

春子のことを戦争孤児なのだろうかと考えた夫婦は、自身らが営むコンニャク屋で働いている間、「我が子がまだ幼いので子守りをしてほしい」と春子に仕事を与えた。

その家での生活は半年ほどであったが、春子は幸せな生活だったと語る。

服や靴も買ってもらい、毎日ご飯も食べる事ができ、誰からもいじめられることがない、誰もが享受するべき、ごく当たり前の幸せだ。
仕事をした分はちゃんと小遣いも貰い、春子は赤の他人の夫婦からたくさんの愛情を注いでもらえた。

母方で唯一の生き残りの座嘉比(ざかび)という叔父がいる。彼はずっと春子の行方を探していた。
佐久眞の家からいなくなった春子が奉公先からも突然消えたと聞き、畑仕事のかたわら、春子がどこかで孤独に生きているかもしれないと必死に探していたのだ。

ある日、彼が育てた沢山の大根を馬車へ載せ、農連市場へ売りに来た時、片腕の少女が幼い子の手を引いて歩いている後ろ姿が見えた。

座嘉比は「春子!」と叫んだ。

驚いて振り返った春子は叔父と久しぶりの再開を果たし、そこで春子の約半年に及ぶ家出は幕を閉じる。

春子を家へ連れ返そうとするが、春子は継母や姉妹に会いたくないので「佐久眞へは帰りたくない」と訴えると、座嘉比の叔父は自分の家で春子を住まわせることに決めた。


巣立ち

叔父は非常に厳しい人だったが、片腕のない春子が1人でも生きていけるようにと自身が持っている農業の知識や技術を余すことなく伝えてきた。

叔父とその妻とともに春子は毎日大変な畑仕事をこなして生活をしていった。また、自分の娘のように春子を気にかけてくれ、春子のために身を粉にして働き、財産も残してくれるような人だった。

時は流れて、春子が18歳の頃。

知人数名で一軒家をルームシェアして暮らし始め、身体障害者の職業支援の洋裁学校に通い始めることになった。

その洋裁学校に琉球大学に通う青年がアルバイトで数学を教えにやってくると、美男子の先生がやってきたと女生徒の間で話題になった。

名前は秀幸、後に春子の夫になるその人である。

当時、春子と歳の近い身体障害者の人たちの多くは様々な理由で学問を習う機会に恵まれていなかったので、その洋裁学校で文字なども学んだ。
そして、多くの女生徒が覚えたてのひらがなで秀幸にラブレターを書いていおり、例に漏れず春子も秀幸に手紙を書くと、秀幸は春子の気持ちに応えた。

それから、春子の住むシェアハウスに秀幸は度々尋ねて来たが、同居人の1人が、女性ばかりの家に男性が遊びに来られると恥ずかしくて困るからと言う事で、半ば強引に春子へ引っ越しを勧める。

どうしようかと悩んでいた春子に対して、秀幸は、「あなたの眼は美しい。ウソをつかない眼をしている。僕はあなたと結婚がしたい」と言って同棲を持ちかけた。

春子は「あなたは私の生まれも育ちも何もも分かっていない。簡単に結婚なんて言わないで」と言いながらも、秀幸を父の住む実家へ招待をしたのだった。

春子の父は、真っ白で胸や腰まで伸びた髪と髭を蓄えたいでたちをしていた。それを見た秀幸は「まるで仙人のようで美しい人だ」と春子の父にまるで恋でもするように惚れ込み、結婚の意思をより強く固めた。


新たな家族

しかし、秀幸の親族らからは「学歴も教養もない障害者と結婚するなんて馬鹿げている」と非常に強く反対され、結婚までの道のりは並大抵のものではなく、秀幸の親戚である警察官が春子の身辺調査を行うなどして粗を探そうとした。

しかし、春子の父方の佐久眞家は近衛師団の家柄で、戦争の直前には天皇に馬を献上しているなどの事実が明らかになると、手のひらを返したように二人の結婚は受け入れられ、春子は秀幸と共に那覇市の農連市場からほど近い、ガーブ川沿いにあるトタン作りの長屋に住み始めることにした。

時は経ち、秀幸は高校教師となり、久米島へと赴任する。その赴任先で春子と秀幸の間に1人目の子どもが産まれた。
出産時、その痛みやつらさから、春子は戦時中に亡くなった母の事を思い出し、自身の姿と母の姿を重ね、喜びと悲しみが混同する複雑な感情に溢れたと言う。


障害者としての負い目

それからさらに5年の時が経ち、春子と秀幸には男女4人の子ができていた。

子どもたちを4人も育てるのは五体満足でも大変なものであろうが、春子は口を使って子どもの服のボタンを止めるなど、腕以外でも使えるものは全て使い、子どもたちに不便な想いや惨めな気持ちにさせまいと、あらゆる努力をしながら子育てをしてきた甲斐もあって、息子や娘たちは、母は右手がないということを気にすることもなく、「母にできないことはなかった。そのせいで、うちには障害者がいるという感覚は全くなかった。」と娘たちは語るが、それでも春子は片腕が無いことを後ろめたく感じていた。

次男が幼いとき、友人から「お前の母ちゃんはなんで右腕がないの?」と言われることもあったようだが、次男は「ううん、本当は右手はあるけど、汚れるからタンスに隠してるだけだよ」と、よく友だちにタンスに入った義手を見せて自慢をするなど、他者の言葉さえ意に介することはなかった。

一方で、秀幸は春子の父をトレースするように、いつしか酒に溺れ始め、アルコール依存症へとなっていった。
そして、さらには秀幸は愛人をつくり、隠されたもうひとつの家庭を持つことになるが、春子がそれを知るのは随分と先のことになる。

※本記事では、意図的に「障害者」という表現を使用しています。
現在、「障がい」や「障碍」という字をあてられることが多いですが、春子は自身の片腕が無いことを「個性」や「特徴」のような前向きな捉え方よりも、日常生活におけるハンデ(障害)として受け入れており、「障害」という漢字表現が適切だと考え、そのように使用しています。

忘戦歌04へつづく

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