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「武道ガールズ」 2 角田秀一の写真 藤原千明の春風

2 角田秀一の写真 藤原千明の春風

 風を待っていた。
 テニスコートが見渡せる、満開の桜の木の下で、角田秀一は仰向けに寝そべりながら、デジタル一眼レフに神経を集中させていた。もう何分も重いカメラを空に向けた姿勢でいるため、非力な角田の二の腕はプルプルと震えている。
 
 ほんの30分前の校長室での会話がフラッシュバックする。
 パソコンの画面に、角田が撮った写真が次々にスライドショーで写し出される。校舎、グラウンド、体育館、バスケットのゴールネット、教室、廊下、職員室、図書室、音楽室、校門、テニスコート、野球のボール、桜の木々。
「うん、いいですね」
 校長の平泉が穏やかに微笑む。
「ノスタルジックというか、情緒的というか、セピア風にしてもいいかもしれないですね。うん、いい写真です」
「カメラがいいんで」
 角田は喜びを隠して謙遜する。
「ただ、ちょっと動きがないですかね。これだと、ほら、毎年の卒業アルバムとあまり変わらない」
 平泉校長は昨年の卒業アルバムを無造作にめくって見せる。そこには今スライドで見たのと同じような写真が並ぶ。
「百年祭だからね。もう少し躍動感というか、動きがほしいかな」
 平泉校長の言葉を聞きながら、角田は黒ぶち眼鏡をくいっとあげ、過去の卒業アルバムをめくる。
 否定されたわけではなかった。しかし、プロが撮った写真はやはり美しく、明らかに角田とはレベルが違う。

 だから、風を待っていた。
 フレームいっぱいの薄紅色の花びらが、ズームインとズームアウトを繰り返す。桜が散る瞬間、落ちてくる一瞬を掴まえたくて、風が吹く度に連写を試みるのだが、未だ納得のいく一枚は撮れていない。いつ吹くか分からない春風を待っていると、だんだんと風が見えてくるような錯覚に陥る。わずかな花のざわめきに、直感的に「くる」と身構えたとき、ふいに液晶画面にショートカットのドアップ顔があらわれた。
「わっ!!」
 声を出したのは角田だった。
 驚いた拍子にカシャシャシャシャと連写し、カメラを自分の顔に落とす。メガネが顔にめり込んだ。
「いいの撮れました?」
 聞いてきたのは2年、藤原千明。折れそうに細い長身、前髪はオデコが見える斜めパッツン。後ろも横も自分でハサミをいれたのか斬新なベリーショートだ。
「まじ、びびった。やばこれ、曲がったかも」
 長方形の黒ぶちメガネをあれこれと確認する角田に謝りもせず、千明はカメラを奪うと、角田が撮った写真を確認する。何十枚も桜の写真が続く。
「なにこれ、全部同じじゃないですか」
「失礼だな。全部違うよ」
「どこが?」
「ほら、この花びらと、この花びら。これはまさに散った瞬間」
 角田の説明に、千明は目を細くし、しれっと冷たい表情となる。
「桜が散る瞬間っていうか、落ちてくる一瞬を撮りたいんだ。だから・・・、風を待ってる」
 カッコつけて言ったつもりだったが、千明は何の反応も示さず、カメラのズームを動かし、カシャカシャとシャッターを切る。
「桜ばっかり撮ってないで、みんなを撮ってくださいよ。こんなにいいモデルがたくさんいるじゃないですか」
 千明の覗く液晶画面に、次々に生徒会の仲間が写る。
 最初に千明がシャッターを押したのは山田一。190㎝、120㎏の巨体を、いじけたゴリラのように、これでもかと小さく丸めている。お花見同好会という名目での生徒会勧誘。テニス部の体験部員を横取りしようという魂胆だったが、今もまた、背の高いモデル風美女に、凍りつくほどの冷たい視線を返され、小さくなっている。
「山ちゃん、まあまあ一杯」
 と、そんな山田一にコーラのペットボトルを差し出し、「おとととと」と紙コップになみなみと注いだのは生徒会長の上杉美咲。ショートボブ、細長のメガネの奥に切れ長の目。細身だが、胸は大きい。
「うわっ」
 慌てて紙コップに口をつけるも、コーラの泡はたっぷりとこぼれた。
「会長、絶対わざとでしょ」と思わず笑顔になる山田と会長をパシャリ。
 そんな周囲に我関せずと、ヘッドフォンをしてスマホをいじる北上奏太。リズムにあわせて首を小さく縦に振っている。自然体をパシャリ。
 もう一人寝転がってスマホを見ている大柄の女子。大山花。見かけによらずスマホの乙女ゲームをやりながらニヤニヤしている。パシャリ。
 そして、自由に写真を撮る自分を見ている角田秀一にレンズを向け、パシャリ。
「角さん」
 頭上の桜を見ながら、藤原千明が言う。
「いい風吹きましたか?」
「ん?」
「いいことを思いつきました」
 角田にカメラを返すと、千明はハッとジャンプして頭上の枝にぶらさがった。
「次は私を撮ってください」
 そう言ってニヤリと笑うと、腕と体を大きく動かし、桜の枝を激しく揺らす。
 頭上から花びらが降ってくる。
 千明の頭に、肩に、花びらが落ち、笑顔の中で花びらが舞う。
 角田は慌ててカメラを構え、シャッターを切った。
「ほらー、最っ高のモデルでしょ」
 ぶらさがりながら頭上の花を見、角田を見、皆を見、いたずらっ子のようだった千明の笑顔が、楽しさを抑えきれない、溢れんばかりの笑顔に変わっていく。舞い散る桜のなかで、千明は言った。
「いつ吹くか分からない春風を待つよりも、こっちの方がいいでしょ」
 薄紅の桜が舞い散るなか、ショートカットの笑顔がはじける。
「風なんて、起こせばいいんです」
 角田のなかでもなにかがはじけた。
 何度も何度もシャッターを切る。
 この一瞬は奇跡だ。
 人生で二度と出会うことのない、奇跡の瞬間だ。
 角田は今まで風景ばかりを好んで撮ってきた。人物を撮るのは、なんというか、正直言って、恥ずかしかった。まして女子なんて、ましてや藤原千明なんて。だけどこの状況、この被写体は、そんなちっぽけな、格好つけの見栄っぱりを吹き飛ばした。
 カメラの液晶画面をじっと見つめる。自分の撮った一枚から目がそらせない。
 ただ落ちてくる桜を待っているだけでは捕らえられない、光、影、色彩、表情、躍動。
 喜びが溢れてくる。
 嬉しくて嬉しくて、でもその表情を千明に悟られないように、角田はカメラに頭をおしつけ、喜びをギュッと噛み締めた。


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