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誰も知らない場所で

 

2杯目の生ビールが運ばれると、小人がついてきた。ウェイトレスの持つトレーに腰掛けた小人が、そそくさと僕のテーブルに降り立ったのだ。
「ちょっと」
僕は慌ててウェイトレスに声をかけた。
「はい?」
カレーライスをトレーに乗せたまま、彼女はぶっきらぼうに言い放った。
「これは…」
僕は何と言ったら良いかよくわからずに、テーブルの上でストレッチをしている小人を指差して漠然と聞いた。
「小人です」
彼女は、さも当然でしょと言わんばかりに冷淡に言った。
カレーが冷めちゃうじゃない、まったく。
「いや、頼んでない」
声ともつかない声で僕が言うと、彼女ははにかんだ様子を見せて颯爽と立ち去った。
頼んでない?何を言ってるの、この人は。
彼女の背中からそんな声が聞こえてきそうだ。
でも、小人を頼むっていったい何だろう、と僕は思う。
メニューになんて載ってなかったぜ、まったく。そもそも1杯目のビールにはついてこなかったじゃないか。

空港は進路を変えた大型台風によって、いつ発つとも知れないボーイング747を待つ人たちでごったがえしていた。
ソファにくたびれた様子でうなだれる家族連れ、受付カウンターで何やら文句を言っているスーツ姿の男性。
静寂と喧騒があちらこちらで入り乱れている。もうかれこれ5時間も待たされてるんだ、文句の一つだって言いたくもなる。

僕が沖縄へやって来たのは、ちょっとした仕事の都合にあわせて夏休みの休暇をとったからだった。
3日ほど一人で過ごすことにしたって、バチは当たらないだろう。妻には予定の仕事が長引きそうだから、と伝えればいいさ。そんな嘘は誰も傷つけない。
職場の人間関係や妻とのいざこざといった日常の煩わしさは一旦棚上げし、ごちゃごちゃしたことはまた東京に帰ったら考えればいい。
そう、ごちゃごちゃしたことから少し距離を置いた方がいい。そんな気がした。

本島北西部のはずれにある比較的のんびりとした造りのホテルに滞在し、わずかなバカンスを楽しむことにした。
現地でランニングシューズを購入し、朝は必ずジョギングをしてからブッフェ形式の朝食をとった。
広々したテラス席でオムレツを食べ、グァバジュースを飲んだ。
良い時間だ。
子連れ家族の賑やかさが少し気になるけれど、贅沢は言えない。
夜まではホテルのプールサイドでビールを飲んだり、海にぼんやりと浮かんだりしながら、日常で鬱積した細々とした気持ち達を意識の辺縁に押しやることにつとめた。

東京に帰ってまた考えればいい。

僕の頭ではそんなフレーズが幾分強迫的に反復されていた。

東京に、帰って、また、考えれば、いい。東京に、カエッテ、マタ・・トウキョウニ。

僕の生ビールと共に小人がやってきたのは、そんなわずかばかりのバカンスを終えて帰路に着く空港のレストランだった。
強風による雨粒が、窓を激しく打ち付けている。
遠くに見えるボーイング747は、じっと黙って台風が過ぎ去るのをただ耐え忍んでいるように見えた。

小人は一通りのストレッチを終えると、テーブルの上で踊り始めた。
リズミカルに身体を動かして、時々何かを払うような仕草をしながら、テーブルの上でぐるぐると踊った。
それはどこかアフリカだかアマゾンだかの秘境の地に住む民族の踊りのような気もしたし、それとはまったく別物のようにも感じられた。
僕はぼんやりとビールを飲みながら、黙って彼(あるいは彼女)の踊りを眺めていた。

旅の終わり
2杯目のビール
踊る小人

そんな風に声に出すと、何だか今のこの状況がチープなフランス映画みたいに思えておかしくなった。

台風の勢力はそろそろ衰えてくる頃だろうか。
さて、と僕は思う。
ごちゃごちゃしたことを考える時かも知れない。

まず帰ったら仕事で溜まった書類の整理から始めよう。
ひと段落した後だから緊急の用件はまだしばらくないだろうし、メールの返事はその後で良い。ついでに自分の寝室や衣類を片付けて、デスクトップPCのメンテナンスもしよう。
今なら妻に謝れそうな気がする。
この前ちょっとしたことで言い合いになったことを、妻は気にしてるだろうか。
もしかしたらもう忘れてるかもしれないし、覚えていても気になんかしてないかもしれない。
でも、謝ろう。
少なくとも僕はあんな風に言うべきじゃなかった。
何だかひどく失礼なことを言った気がする。
妻は多分忘れてしまったろうけど、これはケジメの問題だ、謝ろう。

小人はぐるぐると踊り続けている。
僕は小人をぼんやりと眺めてビールを飲み干すと、ごちゃごちゃとしたあれこれを考え始めている。

白ワインを頼もう。次は妖精でもついてくるだろうか。

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