美味しいWの殺し方④

 呼びかけた私に気付くと、彼女は目を細めながら小さく手を振ってくれた。
「かっこいい音だね」大きく息をついて伸びをしながら隣に腰かけた私に彼女は言った。普段無口な彼女から率先してそんな感想が聞けるのはとても意外に思えた。
「軽音部かなあ。かっこいいなあ」私は中学の頃吹奏楽部でドラムをやっていたけれども、私が小手先で打ち鳴らしていたものとはまったく違う音だった。まるで自分の好きな音を選んで自在に操り組み合わせ、曲を紡いでいく職人かのように思えた。
「何だかすごく音を出すのを楽しんでいる感じがするよねえ。ちょっと見学行ってみようかなあ。ほら、そこに見学歓迎って」彼女は錆びだらけで緑だか茶色だかわからなくなっている扉に無造作に貼られているチラシを指さした。手描きで、剥げかけたテープがひらひらしていた。どうやら軽音サークルらしい。ずっとクラシックピアノを習っていた彼女がこういった音楽に強く興味を示しているのも意外だったが、何よりこんなに喋る子だったっけ、という驚きの方が大きかった。
 流されるままに見学し、彼女も私も入会した。同じ新入生からヴォーカルとギターとベースをつかまえてさっさと即席バンドを組んでしまった。そんなカップ麺のようなバンドはあっさり二年で自然に解散してしまい、私たちもサークルを辞めてしまったけれど、大学を卒業するまでの間毎日、彼女とは一緒にいて色々な話をして沢山笑いあった。そしてお互いの家を行き来して一緒に料理を楽しんだ。涼しい顔で何でもこなす彼女が、料理だけは壊滅的なのがまた可笑しくて仕方がなかった。
 卒業して私は就職で東京へ、彼女はそのまま大学院に進んだ。理学部生物学科だった彼女は、何やら虫の研究をしているらしかったが、研究の内容はほとんど教えてくれなかった。私が虫嫌いなことは何かにつけて駄々洩れだったので、むしろ彼女の優しさからきっとそうしてくれていたのだろう(もしかすると単に私のリアクションが面倒だっただけかもしれないけれども)。
 就職してからも時々メールのラリーはしていたが、アパレルの営業職となった私は慣れない仕事に四苦八苦しつつも、都会のキラキラせわしなく移り変わるあれこれに雨上がりの側溝の落ち葉のごとく流されるようになり、三日に一回のやり取りがいつしか三週間に一回となった。そのまま三ヶ月に一回、年に一回ほどとどんどん交信は先細りしていった。
 最後に彼女から来たメールにはもう長いこと返信していない始末であった。
 私はせわしない東京の生活に疲れ、地元で公務員試験を受けた。二回目の受験で合格し、三年働いてそこで指導係をしてくれていた同い年の先輩と結婚した。海外挙式だったので、SNSに写真をアップだけして知り合いへの報告にした。

  そんな中、数年ぶりに彼女からメールが届いた。フキノトウがざらめ雪から顔を出し始める頃のことだった。(続く)

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