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泡間にて




……

…………

……………………


 無数の泡々が煌めき、夜空の代わりを果たすように、無機質な大地を照らす。この特異な空間を指して、さる帝国の学者は泡間ほうかんと記録していた。すなわち、泡と泡の間。世界と世界とを繋ぐ、"外側"に在る通路。この泡間の存在は公にされていない。

 自分たちの常識の拉致外が存在すると知れば、体制に不満を抱く輩が現れる恐れがある。その為、泡間――ひいては、別の泡の存在は秘匿されていた。少なくとも、たった今この地を訪れた、"黒剣"のニグレオスにとっての常識はそうであった。

 

 メンセマト帝国に忠誠を誓う黒騎士、それがニグレオスである。彼は外世界からの敵対存在の調査、及び排除を命じられた上位階級の騎士であった。本来、世界を超える"渡り"の行為は身体・精神的な負荷を伴うが、ニグレオスのような戦士は、あらゆる外敵、あらゆる埒外の常識に適応できるよう、常より訓練を積んでいるのだ。

 一歩、また一歩、重装が泡間を進む度、甲冑の金属音が周囲に木霊する。静寂そのものが支配するこの空間においては、兜の隙間から漏れる呼吸音ですら大きな物音として反響するのだ。周囲には不定期に泡が周回しており、たまに触れられるような場所にまで降りてくることもある。ニグレオスはまだ泡に触れたことがないが、仮にそうできたとしても、迂闊に触ることはしないだろう。

 泡間一つ一つを覗くと、色取り取りの銀河、大地、また得たいのしれない空間が広がっていることが解る。より深く覗こうと試みると……まるで泡の中から何かに見つめ返されるような錯覚を覚えることさえあるのだ。ましてや、泡に触れるなど……或いは、まったく未知の世界へと吸い込まれてしまうやもしれない。

 実際、ニグレオスの上官だった者たちの数名は、泡間の調査の最中予期せぬトラブルによって行方不明となっているのだ。ニグレオスは慎重に、泡に触れぬように足を進めた。

 さて、慎重なるニグレオスがわざわざ泡間くんだりまで足を運んだのは理由がある。メンセマト帝国の星占術師たちが何者かの窃視を報告したのだ。星占術――この泡々の世界において、星の巡りとはまさしく他世界の事である。であるならば、窃視とは他世界からの干渉に違いない。そうして、ニグレオスを含む数名の上位騎士がメンセマトの"外"へと派遣され、こうして泡間へと赴いていたのだ。

 そして、遂にニグレオスは目当てと思しき相手を発見する。この泡間において、誰かと出会うことなどごく稀だ。ましてや、奇怪な装置を用いて泡を観察しているような輩などであれば、猶更敵と断言してもよかろう。重装騎士は剣を抜き、眼前の男に言い放った。

「そこな者、直れ!我こそはメンセマト主席騎士が一人、邪剣賜りし十四代目"黒剣"、名をニグレオス=グレイウォルムという!汝の名を問おう」

 毅然とした張りのある声が泡間に響く。眼前の奇妙な男はゆったりと振り返ると……わざとらしく驚いて見せた。


「やあ、やあ。すまない。君のところのそういう……文化に慣れていなくてね。私の名はフロパサダム。泡沫世界の観察を生業としている。君たち風に喩えるなら、研究者と名乗った方がいいかな」

 複雑な金の刺繍を纏う、明らかにメンセマトの文化圏と異なる出自の者である。男が右手を広げると、先ほどまで手にしていた装置がみるみるうちに分解され、やがて男の手と完全に同化した。ニグレオスは面妖さを訝しんだ。

「観察と言ったな。では我が国に下劣な目線を向けていた視魔は貴様で間違いないな」

「おや、数刻ばかり覗いていただけだというのに、もう嗅ぎつけられるとは。これが国家という組織か。如何にも、私が君たちの世界を覗いていた張本人だとも。下劣かどうかは解釈が分かれると思うが」

「では、貴様を罪人とみなし処刑する」

 騎士が剣を振りかかると、慌ててフロパサダムがかぶりを振った。

「待て、待て!そうか、そういう理屈か……確かに私は君たちの世界を視ていた。それは認める。だが、断じて私に君たちを害する気持ちはないし、ましてや侵略の意図もない!それなのに一方的に斬ろうなんて御免被る!」

「どうそれを証明するというのだ?」

「証明の……方法はない。だから口約束しかできないが、金輪際君たちの世界、メンセマトといったか――を覗くことはもうしない。今後一切、ここの泡間に足を踏み入れることさえしないと誓おう。死せし神々に!それでどうか見逃してくれまいか。な、頼むよ。一期一会の仲じゃないか」

「生憎、それを俺の独断で決めるわけにはいかん。最低限、俺は貴様を母国にまで連れて行く義務がある。貴様はせいぜいその達者な口を法廷で披露するがいい」

 フロパサダムは露骨に顔をしかめた。

「……どうしても行かなければ駄目か?」

「どうしても、だ。我が剣と忠義にかけて」

「そうか……では仕方がないな」

 突如、フロパサダムの右腕がボコボコと変形を始めた。すぐさまニグレオスは斬りかかるが、その剣戟は何らかの力場によって阻まれた。フロパサダムを中心に、半透明の結界のようなものが展開されているのだ。

「貴様……魔札使いプレイヤーか!?」

 ニグレオスが問うた。フロパサダムは嗤った。

「如何にも!知らなかったか?この泡間は魔札使いでなければ耐えられぬのだと」

 力場にはじき返され、ニグレオスは距離を取った。

「ならば、この方法で始末する他あるまい」

 重装騎士の剣が、変形を始めた。



 それは扇状に展開された、奇妙な装置のようであった。ニグレオスがそれを右腕に嵌めると、騎士の眼前に5枚の、まるでトランプに用いられるようなカードが浮遊し、展開された。ニグレオスの周囲に、先ほどフロパサダムが放ったものと同じ力場が展開され、周囲の泡々が弾かれていった。

 相対するフロパサダムもまた、右手から生成された装置をそのまま腕に装着し、同じように5枚のカードを展開していた。彼らはさも、それが当然の事のように認識し――そして、唱えた。

「「衝突コンフリクトッ!」」

 お互いの力場が衝突し、僅かにニグレオスの力場が勝った。重装騎士は兜の中で笑みを浮かべ……新たに1枚のカードがニグレオスの前に展開された。

「帝国式の戦い方を見せてやろう……いでよ!」

 ニグレオスがカードに手を翳す。すると札は粒子を吸収し、ひとりでに人型を形作り始めた。やがて顕現したそれは、ニグレオスに相似した甲冑を着た、しかし彼よりも遥かに強大な存在圧を放つ、炎を纏った騎士であった。例えるならば、神話の登場人物が、気まぐれに現世に降臨したかのような、ニグレオスともフロパサダムとも異なる、超然とした存在であった。

「……ほう!やはり君たちが扱う魔札は騎士道か。いやはや、様々な魔札使いを見てきたが、こうも扱う歴史が違うとは……面白いものだ」

 フロパサダムが感心する様に、ニグレオスは苛立ちを覚えた。

「貴様の手番だ。早々に魔札を唱えるがいい」

「おっと、すまなかった。では手番をいただこう」

 フロパサダムが手を翳すと、やはり新たに1枚のカード……魔札が浮かび上がり、計6枚の魔札がフロパサダムの手元に揃った。彼は少し思案し、うち2枚の魔札を選び取り……自らの右手で握りつぶした。

「果たして、騎士様に敵うかどうか不安だがね……さあ、応えてくれよ」

 男が手を開くと、魔札だったものから金の蔦上の金属が現出した。それらは複雑に混ざり合い、アラベスク状の紋様を築きながら、まるで一羽の鳥のような外観へと成形を果たした。すると驚くべきことに、金属の鳥は本物さながらに鳴き声を放つと、軽々しく翼をはためかせ、男の上空を旋回した。


「それが貴様の魔札か。やはり異端の技術だな。そのような胡乱な術を扱う者など、我が帝国にはおらん」

「生憎、君のように誇るべき国や歴史がないんだ。だから、こうやって自分の特技を活かしているのさ……と、これで私の手番は終了だ」

 金の鳥を肩に乗せ、フロパサダムは恭しく一礼した。一巡したことで、再びニグレオスの手番となる。それと同時に、二者の衝突する力場が力を増し、泡間一帯へと衝撃が広がり始めた。

「おお、これはいかん。泡間は決して頑丈な空間ではないのだ。我々がこうして決闘を続けてしまえば、程なく空間自体が崩れ落ちてしまうやもしれぬ」

「心配する必要はあるまい」

 泡間の崩壊を示唆するフロパサダム。だが、その言葉をニグレオスは断ち切った。

「何故ならば、この手番で貴様は死ぬからだ」

 ニグレオスが新たに魔札を使用する。すると、魔炎の騎士の背後に、四体もの装甲騎士が現出したではないか。魔炎ほどの存在格はなかったが、それでも彼らもまた、ニグレオス達とは異なる超自然の存在であった。

 

「征け、我が精鋭たちよ!脆弱な小鳥共々、胡乱な視魔のそっ首切り落としてやれッ!」

 ニグレオスが号令を上げると共に、彼の騎士たちは剣を構え、一斉突撃の構えに入る。辺りの空間がひりつき、決戦の空気が泡間に響いた。

「待った!」

 だが、総攻撃をフロパサダムが制した。

「小鳥と言ったな。だが、彼女もまた私の愛しい創造物なのだよ。勿論、ただ飛び回るだけではない」

 否。物理的に騎士たちを制したのは先刻までフロパサダムの肩に乗っていた黄金の鳥であった。まるで蔦が伸びるように翼を伸長させると、それぞれの金属が織り合い、金の格子となって小隊を丸々絡めとったのだ。彼らは必死に藻掻くが、格子は実際頑強であり、魔炎の熱さえも溶かす事ができなかった。

「自慢の騎士団ご一行様の動きは見ての通り封じさせてもらった。どうかね?これでもこの手番中に私を倒せると?」

「如何にも」

「なんと!?」

 既にニグレオスは第二の魔札を構えていた。

「貴様の面妖な術を警戒しないとでも思ったか?先の軍勢は所詮囮……本命はこの魔札よ」

 ニグレオスが新たな魔札を唱えると、突如ニグレオスの足元が破裂し、血のように赤い液体が広がり始めた。すると、金格子に捉えられていた騎士団が液状化し、主人の元へと還るように液へと混ざり合った。ぶくぶくと音を立てるその液体は、明らかに危険なものであった。

「出でよ、魔血の巨漢騎士!」

 猛々しい呼び声に呼応し、血の液体が沸き上がった。否……ジェルのように既に固形化し始めていたそれ・・は、既に騎士甲冑めいた装甲を自己生成し始めていた。ニグレオスの背丈より3倍近い巨体、蒸気を発する異形の半液状肉体。明らかに人の範疇を超えた怪物がここに降臨した……血走った目をフロパサダムに向けて!

 フロパサダムの顔が初めて驚愕に見開かれた。ニグレオスは彼の言葉を無視した。

「巨漢騎士は速攻能力を備えている……よってこのまま貴様に攻撃可能!」

 巨漢騎士は身体を沈めると、フロパサダムへと一気に駆けだした。巨体にそぐわぬ超高速の突進。フロパサダムの額に汗が滲む。

(不味いな……これでは鳥が間に合わぬ)

 フロパサダムは新たな魔札を使用した。空間が裂け、大量の海水が洪水のように雪崩れ込み、フロパサダムを覆う壁のように競りあがる。

 だが、巨漢騎士は衝突を厭わず猛進を続けた。大波の壁が押し返そうとするも、巨漢騎士の膂力は凄まじいものであり、やがて滝を割るかのように波の壁を突き抜け、フロパサダムの眼前へと到達した。騎士は勝ち誇ったように咆哮し、手にした大剣を振りかざす。

「ええい、1枚では止まらぬか。ならば……」

 窮地のフロパサダムは、咄嗟に新たな魔札を使用した。足元を浸す海中から無数のバンブーが出現し、巨漢騎士を遮るように伸長した。


 大波と木林、2枚重ねの防壁。だが、それでも魔血の巨漢騎士を留めることはできなかった。巨漢騎士は怒声を張り上げると、自らを絡めとるバンブーを意にも介さずに、力任せに大剣を振り下ろし始めたのだ。一本、また一本とバンブーが折れていき……遂にすべてのバンブーが砕かれ、その凶剣がフロパサダムへと届いた!

 甲高い破裂音と共に、フロパサダムを覆う力場の壁が僅かに砕かれ……しかし、そのすべてを損なうには至らなかった。フロパサダムは冷や汗をぬぐい、巨漢騎士の剣のリーチ外へと後退する。巨漢騎士の怒りの視線を冷ややかに受け止めながら、その主人たるニグレオスへと向き直った。

「いかがかね?流石に無傷というわけにはいかなかったが……様々な世界への見聞を広げていけば、このように業として活用することができるのだよ。決して誰かの世界を侵害することなく、な?私の行いの意義が分かってくれたと思うのだが」

「私利のために他国と偵察しているというわけか?卑しい盗人め」

 ニグレオスは吐き捨てるように言った。

「繰り返しになるが、貴様はこの手番中に死ぬ。その宣言はまだ撤回された訳ではないぞ」

「なんと。君の攻撃は先ほど終わったはずだが」

「そうだ。そして、これが最後の一撃だ」

 ニグレオスが新たな魔札を唱えた。魔札の怪しげな輝きが魔血の巨漢騎士を包むと、巨漢騎士は苦しみながら元の液状姿に戻り、今度は一本の矢の形を取り始めた。巨大な矢じりの姿に。

「己のすべてを国家に捧げる。たとえ命さえも……それが黒騎士団の理念であり、我が魔札がそれを体現する。終わりだ、フロパサダム!」

 赤い稲妻が、フロパサダム目掛けて迸った。その威力は、先ほど全力で防御に徹してなお防ぎきれなかった巨漢騎士の攻撃力そのものである。そして、フロパサダムの手札に防御系の魔札はない。間もなく、魔矢が着弾し……。

「――――ッ!」

 DOOOOOOOOOM!!魔矢の衝撃が球状に迸り、激しい爆発が巻き起こった。辺りの泡々がまるで怯えるように遠く飛ばされていく。勝負あった、とニグレオスが笑みを浮かべた。だが。

「今のは本気でひやりとしたよ。危ない危ない」

 爆風が止んだ後、飄々とした声と共に、フロパサダムがのっそりと姿を現した。とてつもない攻撃だったにも関わらず、男は無傷であった。

「馬鹿な!?如何に俺の攻撃を防いだというのだ!」

 今度は、ニグレオスが驚愕に目を血走らせた。フロパサダムは余裕たっぷりの笑みを浮かべると、無言で足元を指し示した。その先にあったものを見て、ニグレオスは攻撃を防いだ方法を理解し、憤慨した。

「……先ほどの鳥の能力か!」

「ご明察」

 フロパサダムの足元で倒れていたのは、最初に騎士団を足止めしていた筈の合金の鳥であった。

「合金の鳥には2枚の魔札の能力を織り込んでいた。1つは檻による攻撃抑制能力。そしてもう1つが先ほどの、私の身代わりになる能力だ」

 魔札を用いた決闘において、1度使われた能力は説明する義務がある。フロパサダムは淡々とテキストを読み上げるように解説した。

「おのれ、姑息な真似を……!」

「それで、これでも君の手番中に私を倒すと豪語するかね?」

 ニグレオスは残り2枚の手札を確認した。既に通常の攻撃を終えた後であり、強引に攻め入ることは不可能。もう1つの奥の手はあるが、万が一を考えればここで扱える代物ではない……ニグレオス歯噛みし、そして。

「……貴様の手番だ」

 手番の終了を宣言した。フロパサダムは胸を撫で下ろした。彼とて既に防御の策を切らしており、本当に第四の攻勢に出られていれば、いよいよ終わりを覚悟するところだったからだ。

 ニグレオスの手番が終わるとともに、二者を取り巻く力場の力はいよいよ力を増した。直接の暴力のぶつけ合いでこそないが、交わされる剣・矢・魔法の類はいずれも致命に足るものであり、何よりこれまでの攻防で泡間に刻まれた傷と戦痕こそが、魔札の決闘の壮絶さを物語っていた。これこそ世界が無数の泡と化した現代における戦い、かつて龍と神々と英雄とが争った神話の延長線の上にある決闘であった。



 フロパサダムが次なる手を試行錯誤していたその時、突如、第三の力場が泡間に出現した。両者は目を見合わせ、突然に現れた乱入者へと警戒を向けた。乱入者たる男は、戦場の有り様を見て取り、双眸を燃やしながら、言葉を放った。

……強者はどちらだ?


 途端、強風が吹き抜けたような感覚がニグレオス、フロパサダムの両者を突き抜けた。ニグレオスは警戒を強め、乱入者を睨みつけた。フロパサダムのような者は小細工を弄する弱者であるが、この者は紛れもなく強者であり、或いは自身を凌駕する実力者であると感覚で理解した。仮にここを通してしまえば、母国の崩壊をも招くかもしれぬ。ニグレオスは覚悟を決め、乱入者へと名乗り上げた。

「我が名はニグレオス=グレイウォルム!メンセマト帝国の騎士である。貴様の名を聞かせてもらおう」

 威風堂々たる名乗り。乱入者は笑みを浮かべ、筋骨隆々な肉体を振るわした。

「おれはヴァン・リユウ。最強になる男だ」

 乱入者……リユウが名乗った。

「おれは最強にならねばならない。故に強者を求めている……おまえはなかなか強そうだな」

 リユウが深く腰を落とすと、ニグレオスに相対する男――フロパサダムはすぐさまサムズアップした。

「そう、君の言うとおりだ。先ほどまで些細な誤解から決闘を繰り広げていたが、私は全く彼に手も足もでなかったのだよ。ニグレオス君が強いことはこの私が保証する」

「…………」

 リユウがフロパサダムを横目で睨んだ。フロパサダムは目を逸らし、ぼそぼそと続く言葉を紡いだ。

「だから、私の事はその……取るに足らぬ弱者とみなしてほしい。元々戦いは好まないんだ。だから、な。見逃してくれないか……?」

「戦闘意思のない奴を相手取る趣味はない」

 リユウはフロパサダムへの関心を失った。フロパサダムは戦場外へそそくさと後退した。

「…………」

 ニグレオスはフロパサダムの逃走をあえて見逃した。このような弱敵に注意を向けていては、リユウに勝つ事は出来ぬ。死力を尽くさねば。黒騎士は敵対者を見据えた。

「改めて、おまえの相手は俺だ。手札の引き直しをするがいい」

「不要だ」

 ニグレオスは断じた。

「メンセマトの騎士たるもの、如何なる状況であっても敵の情けは受けん。貴様の手番を始めるがいい」

「……よかろう」

 リユウは笑みを浮かべ、初手となる5枚の魔札を展開させた。両者の間に凄まじい旋風が吹き荒れ、より強烈な力場が形成される。辺りの泡どもは、もはや悲鳴を上げるように散り散りになっていった。そして。

「「衝突コンフリクト!」」

 掛け声とともに、ニグレオスとリユウの決闘が始まった。

 ニグレオスは、リユウが新たなに魔札を引く様を観察した。継戦の形で決闘を始めたのは、何も騎士道精神が全てではない。今までの決闘の過程で、既に勝利への導線は貼られているのだ。ならば、この手番を耐えるのみ。リユウの一挙一動、すべての行動に注意する。

 リユウが扱う魔札について、ニグレオスは皆目見当もつかなかった。彼の纏う装束は、すり切れた布製のもので、帝国内におけるサーコートに僅かに似ているが、明らかに文化圏の異なるものだった。だが、扱う技こそ予想できぬものの、魔札の戦法は基本的に似通るものだ。ならば、対処できぬ筈はない。ニグレオスは残り2枚の魔札とリユウを交互に見やった。

「行くぞ」

 リユウが魔札を唱えた。ニグレオスは驚愕に目を見開いた。


(手札破壊の魔札だと!?)

 ニグレオスの知る限り、上位札として知られる類の魔札であった。如何に強力な魔札といえど、手札に温存されている状態では無防備も同然。その無防備を破壊する、理不尽めいた強大な魔札。この魔札使いは如何なる経緯で手に入れたのか。だが、ニグレオスが驚いたのは魔札の効果以外に、もう1つの理由があった。

 魔札から放たれる雷。リユウはそれを、自らの右腕に蓄電していたのだ。通常の場合、魔札の種類は2パターンに分けられる。描かれた魔物・偉人を呼び寄せる召喚札と、神代の時代に振るわれた魔術や歴史的偉業を再現する呪文札だ。リユウの魔札は後者であろう。それでも、自らの腕で攻撃を行うような魔札など、ニグレオスは聞いた事もなかった。あれでは、敵の手札を焼く筈の雷によって自身の腕を滅ぼしてしまう。平凡な魔札使いであれば。だが、リユウは平然と、強大な雷の力を右腕に込め続けていた。

(……とにかく、守らねば)

 ニグレオスは己の魔札を再度確認した。手札には2枚の魔札。うち1枚は召喚札であり、相手の手番中での召喚は不可能。もう1枚は呪文の魔札。このリユウの手番中に発動し、身を護ることが可能である。後者を捨てさせられては、続く魔物の攻撃を防ぐことができない。ならば、今発動するしかない。ニグレオスは対応し、呪文の魔札を詠唱した。

「黒騎士団の行進――!」


 呪文の詠唱と共に、泡間の地面が隆起し、3体の黒騎士が呼び寄せられた。先のフロパサダムでの決闘でも用いられた魔札と同様のものである。熟練の魔札使いであれば、同名の魔札を複数所持・使用する事は珍しいことではない。とにかく、これで行進の呪文の破壊を免れ、かつ自身の壁役となる魔物を生成することができた。

「よかろう。ならば、残る1枚の魔札を破壊させてもらう」

 リユウは放電する腕を構え、宣言した……次の瞬間。リユウがその場から消えたかと思うと、ニグレオスの眼前に跳躍していた。ニグレオスは思わず身構えようとして――その動作が完了する前に、リユウの雷の拳が放たれた!

「ぐっ……くぅぅぅぅ!!」

 激しい光と放電に包まれ、ニグレオスが呻きながら後ずさった。手札にあった魔札は既に焼かれて消滅している。今の魔札はあくまで手札を破壊するものであり、ニグレオスに対する攻撃ではない。にも拘わらず、先の一撃は、一撃必殺の奥義と見間違うほどの、気迫と威力を備えていた。ニグレオスは3体の黒騎士部隊に叫んだ。

「貴様ら、剣を構えろ!奴の次なる攻撃をなんとしても死守するのだ」

 黒騎士達は整然と立ち並び、主人を守るようにリユウの前に立ちはだかった。リユウはバックステップで後退し、元いた位置へと戻った。

「次はおまえたちを倒す」

 リユウは次なる魔札を唱え……今度は拳に炎を宿した。常人は一瞬で骨になるであろう程の灼熱を。


「今度は魔物への攻撃呪文……!」

 ニグレオスは呻いた。

「だが単体への呪文では倒せても1体。我が精鋭を全滅させる事は敵わぬ!次の手番で貴様を――」

「全員倒す。言ったはずだ」

 リユウは三体への黒騎士へと飛び込んだ。すぐさま黒騎士達は剣を繰り出すが、その剣戟全てを避けながら、リユウは拳を繰り出す。業火を宿した拳を。そして、更なる魔札が唱えられると、一振りだった拳が幾重にも分裂した。連続拳


 一発、二発、三発!同時に放たれた炎の拳撃が黒騎士どもに命中し、炎上させた。そして、三体の黒騎士を滅ぼした衝撃の余波が、ニグレオスへと向かった。余剰ダメージだ!

「アァァァァアアッ!」

 マグマの奔流とも思える熱がニグレオスを襲った。魔札使いの結界力場によってダメージが抑えられるものの、結界力場の耐久度には上限がある。力場が破壊され無防備になれば、衝撃、攻撃、アクシデント……あらゆる要素が魔札使いの死へと繋がる。そして実際、今の一撃はニグレオスの結界力場を大破せしめた。黒騎士は片膝をつきかけるも、帝国への忠誠心によって己を鼓舞し、よろめきながら立ち上がった。

「よくぞ立ち上がった……手番終了だ」

 三枚の魔札を確認し、リユウが終了宣言した。次はニグレオスの手番だ。

「我が……手番……」

 ニグレオスは新たに引いた魔札は、新たな黒騎士の召喚札であった。リユウの場に召喚された生物はいないため、通常であればそのまま攻撃は通るであろう。しかし、生半可な攻撃は通用しないであろう直観をニグレオスは抱いていた。それほどまでの相手。切り札を使わねば勝てぬであろう相手。ならば。

「ならば賭けてやろう……我が命!」

 ニグレオスは叫んだ。それに合わせ、彼の騎士甲冑の胸部装甲が開き、鞘とも筒ともつかぬ器官が露出した。ニグレオスは、器官に右腕を差し込み、咆哮と共に何かを引き出し始めた。その様相は、まるで心臓に突き刺さった剣を自ら抜こうとしているような、異様な姿であった。

「刮目せよ!これぞ我が剣、我が化身アヴァター!黒剣の名を受け継ぎし、我が秘剣の姿だ!!」

 かつて静寂が支配していた泡間に、悲鳴の如き轟音が鳴り響いた。これから現れるであろう存在の強大さに、空間そのものが耐えきれず、張り裂けんとしているかのようであった。

「我が黒剣は死者の力を吸い、自らの糧とする。これまでの戦いで多くの黒騎士が身を殉じてきた。それが今、ここに結実するのだ――!」

「アヴァターの魔札か。来い」

 死闘の予感に震え、リユウが構えた。ニグレオスは遂に胸の魔札を抉り抜き、高々と天に掲げた!

「出でよ、魔天剣 マリエ――――」


 破滅的な雷が降り注ぎ、漆黒そのものを体現した存在が一瞬だけその質量を現した。だが、それ以上はこの泡間の空間が持たなかった。


 CLAAAAAAAAAAAAASH!!かろうじて保たれていた大地が、遂に砕け始める。リユウの存在で既に限界寸前だったところに、強大なアヴァターが降臨しかけた事で遂に決壊したのだ。大地だけでなく、空間そのものも異質な破裂が生じはじめ、小さい泡々が連鎖的に破裂していく。破裂を免れた泡も避難を始めるように散らばり、光源が失われていく。まさに世界の崩壊そのものであった。

「馬鹿な……これでは決着が……!」

「……ッ!」

 亀裂だけでは留まらず、遂に地面が崩壊し、漆黒へと呑み込まれていく。リユウは崩れゆく大地の破片を伝って上昇を試みるが、遂に足場がなくなると、諦めて深淵へと身を投じた。一方のニグレオスも、アヴァター召喚の折に体力を消耗しており、飛び上がる余力もない状態であった。

「よもや、このような結末で黒剣が途絶えるとは。だが、最期の相手が貴様のような強者だったのは、あるいは行幸だったかもしれぬ」

 ニグレオスは観念し、リユウへと話しかけた。

「弱音を吐くな。おまえとの決着はいずれつける。……見ろ」

「…………!」

 その時、遥か上空の闇の中から、一筋のロープが垂らされた。それは金で織り込まれた金属製のロープであった。ニグレオスはその主に心当たりがあった。

「フロパサダム……!」

「行け、ニグレオスよ。おれは奴を知らぬゆえ、それを掴む権利があるのはおまえだけだ」

 ニグレオスは一瞬逡巡したが、ついにロープをつかみ取り、落下を免れた。すぐに後ろを振り向きリユウを探すが、その姿は既に遠く離れていた。

「リユウ――ッ!!」

 ニグレオスの叫びが深淵に虚しく響いた。自らを倒し得た強敵が、思いもよらぬ不可抗力によって還らぬ人となった……否。リユウは決着をつけると言ったではないか。如何なる方法によってかは分からないが、あの男は生き延び、またいずれ現れる。このニグレオスを斃すために。理由のない確信がニグレオスの中に満ちると、彼はロープを強く握り、昇り始めた。程なく、ロープ自身も巻き取られるように上昇していった。



 ■ ■ ■



 ニグレオスがロープを昇ると、そこはまた先ほどまで居た場所とは違った泡間であった。心なしか先ほどの場所よりも広い場所のように思えた。そして、自らを救い上げたであろう、いけすかない笑みの男が立っていた。

「フロパサダム……」

 金刺繍の男は、ロープを自らの右腕へと収納し始めた。

「間に合うかどうかは実際賭けだったが、何とかなったようだね。泡間は実に繊細な世界なのでね。アヴァターのような強力な魔札の使用は控えた方がいいだろう」

 ニグレオスは腕の装置を外し――装置が剣の姿を取り戻すと、それをフロパサダムに向けることはせず、すぐに腰の鞘へと戻した。

「なぜ私を助けた?」

 ニグレオスは問うた。フロパサダムは少し考え、応えた。

「この泡末世界において、敵を作るのは非常に簡単だ。偶然出会っただけの相手でも、剣を向ければ決闘は不可避だからね。だが、私が目指しているのは、その反対……困難な道だ。私は仲間を作りたいんだよ」

「助けたのだからと、私に仲間になれと迫るか?」

「いいや、いいや。滅相もない。自主性重視なんだ」

 フロパサダムはかぶりを振った。

「誰かを強制することは私の意に反する。自然と仲間になれる相手を探し、日々観察をしているわけだが……とにかく、誰かを害したり、脅かしたり、何かを強いる事は私にはできない。たとえニアミスした相手とも……それだけだよ」

「そうか……私も少なくとも、命の恩人をしょっ引くような真似はせん」

「見逃してもらえるのか!いやあ、ありがたい。助けたかいがあったというものだ」

「今回だけだ。……………………メンセマトへの道は分かるか?」

 フロパサダムが幾つかの泡を指し示すと、一つの泡がゆったりとニグレオスに近づく、包み込んだ。

「見逃した事自体を借りの代わりにするつもりはない。貴様の仲間になるつもりはないが……どうしても、何かあれば呼ぶがいい」

「覚えておくよ。ニグレオス」

 騎士は身を翻し、泡の中へと溶け込んでいった……彼の世界メンセマトへの帰還を果たしたのだ。フロパサダムはそれを見届けると、大きく深呼吸を行い、そして彼もまた別の泡へと消えていくのであった……。



■ ■ ■



「…………ここは、どこだ」

 洞窟の底のような、しかし泡が漂う空間の中で、リユウは目を覚ました。起き上がり、相当な亀裂が入った大地をなでる。かなりの距離を落下したのだろう。常人であれば即死。それなりの勇士であっても大怪我は免れない。だが、リユウは平然と立ち上がり、周りを見渡した。

「ニグレオス……は……いないか。良い戦士であった」

 先刻の決闘を思い出し、一瞬燃え上がるような熱が迸るが、すぐに全身の力が抜け落ちたかのようにその場で倒れ込み、気絶するように寝に入った。一戦入魂が彼のポリシーであり、激しい決闘のあとは決まってすぐに寝てしまうのだ。

 昼も夜もない空間の中で、いくばくかの時間が経過し、やがてリユウは立ち上がった。飛びあがり、近くに浮いていた泡に触れると、泡がリユウを包み込み、新たな世界へと彼を誘った。新たなる決闘の予感に、リユウは筋肉を震わした。



泡間にて】終わり
放浪の拳士編】へと続く


#創作大賞2023

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