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シンパンマン #パルプアドベントカレンダー2022

この作品はパルプアドベントカレンダー2022の参加作品です。


1

 沸き昇る湯気。金色に透き通った湯舟。ここはどこかの温泉施設の露天風呂。癒しを求める人々の憩いの地である筈のここは、しかし今、暗澹とした雰囲気で満たされていた。

「――でさ。俺、ワンちゃんが哀れでしょうがなくて、財布に入ってた万札募金箱にぶち込んじゃったんだよね!」

「マジかよ。拓ちゃんマジ善人じゃん」

「よせって」

「こないだも掃除か何かのボランティアしてたべ?世界中が拓ちゃんみたいな人で溢れれば紛争戦争全部なくなるっしょ」

「マジ、そういうのいいから」

 露天風呂の端で、二人の男性がくっちゃべっている。他の入浴客たちは飛沫を恐れてかなり距離を取っているが、それでも五月蠅さに参っている様子だ。付近のインフィニティチェアで外気浴に勤しむ男達も、話声にととのいを阻害されてげんなりしている。黙浴を破る男たちを除く全員が迷惑していた。

 それでも、周辺客は会話する男たちに声を掛ける事ができなかった。彼らが話す内容が善行に基づく話であるため、割って入りづらいのだ。善行を咎めたと誤解を招けば、責められるのは自分かもしれない。そもそも見知らぬ客に声をかけづらい。付近に店舗スタッフがいれば代わりに注意してもらう事も出来ただろうが、不運な事に近くにはいない様子である。

 そんな状態が続いていたその時。突然、全身黒いタイツの男性が湯舟の外に現れたのだ。

「お、なんだ?新しいイベント?」

「スーパー戦隊?」

 マナー違反者達はまじまじとタイツ男を見る。男の外見には、それ以外何ら特徴的な要素はなかった……"神判"と書かれた頭部以外は。

『神判の神意に基づき、汝らを断罪す』

 タイツ男が如何にもなポーズを取ると、謎めいた光線が放たれた。

「「あっ……」」

 マナー違反者たちは、ぼんやりとしたリアクションしかできなかった。光線が命中した後、跡形もなく消え去った。彼らの頭に乗っていたレンタルタオルが、主を失い湯舟にヒラヒラと落下しかけた。

『…………』

 いつの間にか、そのレンタルタオルはタイツ男の手の中にあった。男は頷くと、現れた時と同様にいなくなった。入浴客たちは、呆気にとられたまま一部始終を見つめていた。

 結局、この件について誰も温泉側には報告しなかった。温泉側も、タオル類が返却され料金がちゃんと精算されていたので、消えたマナー違反客たちについて特に認知もしていなかった。当然ながら浴槽内は携帯持ち込み不可能なので、この謎めいたタイツの男について、SNS上にアップされるようなこともなかった…………。


2

 時は令和!SNSが発達した社会において、邪悪存在達は一見クリーンな存在であるかのように振る舞い、悪と指摘する者を逆に正義に盾突く者として糾弾し、悪の仲間たちとの連携――インターネットファンネル攻撃によって反撃してくる時代であった。

 そもそも自力救済が認められぬ日本において、邪悪存在を私人が断ずるのは難しい。公権力に働きかけたくとも、よほどの証拠がなければ動いてはくれない。自力で排除しようとしても、銃社会でないので武器が限られるし、そもそも自分が豚箱に入ってしまう。

 この世の中でどうすれば邪悪存在を消す事ができるのか――その答えがシンパンマンである。シンパンマンは邪悪存在の敵であり、携帯持込不可や一般人立入禁止の場所などから邪悪を排除する。SNSに画像がアップされないので、未だ5chの都市伝説くらいの神秘性を保っている。

 今日もまた、シンパンマンの正義の瞳が世に蔓延る邪悪存在に目を光らせていた……。


3

 日曜、繁華街!休日を楽しむ者たちの上空、一機のステルスドローンが監視の目を地上に向けて飛んでいた。シンパンマンは裏インターネットで結成された有志たちによって運営されている。このドローンの視界を通じ、全国各地の会員たちが地上を監視しているのだ。

 無論この組織は行政機関などではない。ドローン代は比較的高価なので、日本全てを同時に監視するほどに複数機を飛ばすことはできない。ではどうするのか?飛ばせる本数が限られているならば、対象を絞ってしまえばよい。

 裏組織の保有するAIが、独自の計算によって邪悪存在を特定し、ドローンへの偵察を命じるのだ。今日、この日対象とされたのは、動物愛護法人の役員男性、犬上 人下いぬがみ ひともとである。犬権はこの日、現地スタッフに交じって、路上で募金活動を行っていた。その様子をドローンを通じて組織の会員たちが監視しているのだ。

「皆さん!行き場のないワンちゃんのために募金お願いしまーす!」

 張りのある犬上の声が響く。周りのスタッフは、彼にびくびくしている様子で、小さな声で募金を募っていた。その様子をドローンが映し、各会員たちのモニタへとライブ配信する。

 AIが邪悪存在を判定するといっても、即斬するにはリスクがある。その為、会員たちは邪悪判定された者を観察し、シンパンマンに裁いてもらうかどうか決めるのだ。その判定には、会員限定の裏SNSが用いられていた。

「募金ありがとうございまーす。……チッ」

 犬上が小さく舌打ちしたのを、ドローンの優れた収音マイクが聞き取る。どうやら、通りすがりの学生が募金したのが少額……小銭だったようである。仮にも善意に頼る者たちが、募金の額を気にしてはならない。会員の何人かが"悪いね"を押した。

「よしよし。今日のおしごとが終わったら、うまかのご飯食べさせてあげるからねー」

 今度は、人のいない時間を見計らって、犬上が法人の犬たちを撫でた。うまかとはドックフードの一種である。華味鳥を使用していて、小型犬でも食べられる有料フードであり、人気が高い。会員のうちの有識者が”良いね”を押下した。

 その後も犬上の一挙一動が人知れず監視され、”良いね””悪いね”共に相応に溜まっていった。早朝からの活動であったが、日が真上に昇り、一時やや曇り、落ちかけた頃の事である。

 一人の男性が募金中の道を歩いていて……突如、咳をしながら倒れ込んだ。犬上が真っ先に駆け付け、声をかける。

「わ、私動物アレルギーなんです。い、犬の毛……すみませんが、少し離れてくれませんか?」

 ぜえぜえと息をしながら、倒れた男が懇願する。実際、犬上の服にはドローン越しでも犬の体毛が付着しているのが分かる程であった。犬上はしばし沈黙し……男に優しく話しかけた。

「そうはいきません。貴方の事が心配なんです。向こうで介抱させてください」

「え、あの……コホッ」

「いいから」

 優しいが、どこか威圧的な口調であった。犬上は男を無理やり立たせると、人気のない路地の裏手へと進んでいった。意味深に、法人の犬のうち一体が犬上の後に続く。残されたスタッフたちが、ほそぼそとなにか話し始めた。上級会員が遠隔でドローンの収音感度を上げる。

「……アレ、大丈夫なんすか?」

「心配ないよ。SNSとかには絶対流れないし、バックがあるからさ」

「え、そうじゃなくて、あの男の人……」

「ウチは募金してくれた人以外視界に入らないから」

「あ……」

 スタッフたちの会話が途切れた。ここからでは路地裏の様子は見えない。ドローンは高度を下げ、ゆっくりと、路地の中へと入っていく。


 ……曲がりくねった道をドローンが進んでいくと、ドゴ、と鈍く響いた打撲音がマイクに収音された。

「アンタさ、アレルギーなんて迷信だって分からないわけ?こんなに可愛いワンちゃんが、身体の害になるわけないでしょ」

 犬上の声に続き、暴力の現場をドローン内蔵のカメラが収めた。男は仰向けに倒れていて、その頬は真っ赤にはれ上がっていた。犬上は犬を撫でながら、威圧的に男を見下ろしている。

「ほら、もう1度ワンちゃんがそっち行くからさ、今度こそ咳せずに優しく抱いてあげな?今度ゴホッてしたら今度は左頬だから」

「ヒッ、やめ……」

「あのさ、犬権は人権に勝るの。人類は全世界の犬に優しくする義務があるんだぜ?漫画とかでも、犬に危ない事したらバッシングされるワケ。それをお前さ。アレルギーだからって、言い訳になると思ってンの?」

「や、ゴホッ……やめてくださ……」

「また咳したね。宣言通り、殴っから」

 犬上が男ににじり寄る。その光景を、ドローンを通じ、会員たちが目撃していた。何かを護ろうとする者が、他者の尊厳を貶してはならない。その上明らかな暴行。会員たちは次々に”悪いね”を押していく。

 100……1000……10000……”悪いね”のカウントがうなぎ上りに上昇していく……100000……100000……1億!!”悪いね”のボタンが、”処すね”に変わる……!!

『ジャッジメント!!』

 その瞬間。路地裏に野太い声が響き渡る。黄金の巨体に”神判”の頭……シンパンマンが降臨したのである。ドローンに内蔵されたスーパー3Dプリンタが、正義の化身を瞬間生成したのだ。突然現れた黄金の男に、犬上は驚愕の表情で後ずさった。

「なんだ……何だお前は……!?」

『我が名はシンパンマン。邪悪存在に神判を下す者である』

 シンパンマンが、合成音声じみた声を発する。実際は組織の上級役員と言われる人物の発言が発声AIを通して無機質で威圧的な声に変換されているのだ。更に、その黄金の身体の駆動は、別の上級役員の動きと完全連動していた。

『シンパンマンの名において、貴様を邪悪存在とみなし排除する。正義の鉄拳を喰らうがいい!』

 シンパンマンが右腕を振りかぶる!正義の量子コーティングにより、拳をまともに受ければ常人の身体は容易く砕ける。今日もまた、神判の拳が巨悪を挫くのだ――。


 だが、そうはならなかった。勝者となる筈のシンパンマンは、今地に伏して倒れている。その黄金の身体には凹んだ痕。何が起きたというのか?……その答えを、ステルスドローンのカメラがしっかりと映していた。あろうことか、法人犬が二足歩行で立ちあがり、尋常でない膂力でシンパンマンの横腹を殴りつけていたのだ!

 衝撃の光景を目の当たりにし、会員たちは画面越しに震え上がった。ドローンのカメラは残酷にも、この二足歩行犬がシンパンマンをスタンピングし、完全に破壊する様を記録し続けた。

『……犬上よ』

 小さく唸りながら、二足歩行犬は犬上人下へと声を発した。犬上はすぐさま土下座態勢を取り、犬の前に跪いた。

「ハハァーッ!ワン様!」

『近頃の貴様の横暴は目に余る。貴様ら愛犬保護法人の評判に傷がついたら、どう責任を取るというのだ。ゆくゆくは我らティンダロス亡命団が根付くこの星。我ら犬種に対する敬愛をより深めねばならぬというのに』

「猿人の分際で、愚かでした。申し訳ございません!」

 ワン様……そう口にした二足歩行犬に対し、犬上は完全平伏し、頭を何度も床にぶつける。なんということか、このティンダロス犬こそが、法人を影から操る支配者だったのだ。この恐るべき事実に、カメラを通じて視聴する会員たちは恐れ慄いた。

『後始末一つできぬとは……地球猿人の低知能さには呆れるばかりである』

 ワンはいよいよ牙と爪を用い、シンパンマンの残骸を3Dプリンタの生成失敗物めいた糸くずにしてしまった。そして……めくるめく衝撃光景に気絶している、アレルギー男へと近づいた。

『こやつは我ら犬種と触れ合えぬ民であったな。哀れだが、我らが統治する犬時代には不要である』

「仰る通りでございます」

 ワンは爪を振り上げ……一切の躊躇なく、男の胴を切断した。ドクドクと滴る血を飲み干し、肉片の一片さえ残さず食べつくす。目を覆いたくなる蛮行を、あろうことか、犬上は恍惚と畏怖の入り混じった表情で見つめていた。

『これでこの者の命も浮かばれた事だろう』

「ワン様の仰る通りです」

『さて……次は先ほどの木偶人形を寄越した連中だ』

 口元の血を拭い、ワンは立ち上がった。

『奴らめ。如何なる手段か、この現場を目撃しておるぞ』

 ワンが指を差す。真っすぐに伸びた指を、ドローンのカメラが捉えていた……。


 不味い。ステルスドローンの存在が露見している。最新鋭のスーパーステルスドローンが。会員たちは、各々の自室で戦々恐々とした。そもそも、自分たちが追っていたのは所謂悪人であり、立ち上がり人語を話す犬など想定外も甚だしい。

 このままドローンを奪われ、何らかの手段で組織の存在が明るみに出れば……待っているのは社会的バッシングか、それともあの恐ろしいワンの牙か。

 絶望する会員たち。だが、彼らが見つめる画面の先には、更に信じられない存在が映っていた。

「え……?」


 はじめに起こったのは、犬上の消滅であった。カメラの視界外から黄金色の光線が放たれたと思うと、犬上がいた場所には何も残っていなかった。そして次に、光線を放った元凶と思われる存在が、コツコツと足音を立ててカメラの視界に入った。

 それは、全身黒タイツの男に見えた。カメラ越しでは判別が難しいが、その顔には『神判』のような言葉が書かれている。自分たちが持つシンパンマンほどの巨体ではなかったが、代わりに、どこか超越的な雰囲気を放っていた。

『神判の神意に基づき、汝を断罪す』

 タイツの男が言った。そして、顔に両手を当て、中腰のポーズを取った。

『貴様は、まさか――!』

 ワンは驚愕と共に動き出し、タイツに向かって牙を剥いた。だが無駄だった。タイツの頭から先ほどのような黄金の光線が放たれる。まともに命中したワンは、一瞬でその姿を消した。跡には何も残らなかった。

 そうして、この場にあった全ての存在は消えた。ただ一つ、謎のタイツの男を残して。


 衝撃の光景を画面越しに目の当たりにし、会員は茫然としていた。一体彼は何者なのだろうか?顔に書かれた『神判』の文字が、恐ろしく神聖なものに見えてくる。果たして、本当はこの世界には何が蔓延っていて、自分たちはどうしてそれを知らずにいられたのだろうか。

 そして、次に訪れたのは安堵だった。謎の喋る二足歩行犬。その存在を、タイツ男が消してくれた。これで、組織の存在が世に出ることはない。我々は、このタイツの男に救われたのだ。

「……?」

 ふと、違和感に気づく。タイツの男は、未だその場にいた。否、ただ一点、ドローンを見続けている。彼の”神判”の神聖文字が、今度は酷くおそろしいものに思えてきた。

 画面から目を離せない。やがて、タイツの男が口のない口から何らかの羅列を紡ぎ出した。

『●●●、●●●●●、●●●●●、●●●●●●●●●、●●、●●●●●、●●●……』

「……?」

 一つとして、正確に聞き取れる言葉はなかった。声量は十分マイクで収音できる程度であり、明瞭でないのは放たれている言葉であった。しかし、決してランダムに綴られているものではないと思えるほどに、それらの言霊には何らかの統一性が感じられた。

「…………っ!…………???」

 その時。不意に会員の脳裏に想像が過ぎる。カメラ越しの男は、自分の、或いは自分たちが犯した罪状を淡々と読み上げているのではないか?確証はなかったが、一度そう思ってしまうと、タイツ男の放つ不明瞭な言葉が、そうとしか感じられなくなってしまった。

 会員の頭の中が恐怖でいっぱいになった時……”それ”が会員の眼前にいた。まるでホラー映画の貞子のように、神判の貌だけが画面から飛び出していた。そして。

『神判の神意に基づき、汝らを断罪す』

 そして。会員が最後に目にしたのは、イルミネーションよりも煌めく、”神判”の二文字であった。


 その日、シンパンマン組織は壊滅した。それから日を置いて、件の動物愛護法人も消滅した。相変わらず、”神判”の貌を持つ男については、都市伝説めいて密かに囁かれるのみであった。



【シンパンマン】 終わり

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