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失敗する自分を許すことは自分への慈しみ

みなさま、こんにちは。
イシトイロのnozomiです。

この投稿をご覧いただき本当にありがとうございます。

私は管理栄養士として本業をしている傍ら、アクセサリー作家として活動し、さらにコミュニケーション講師も目指しているというたくさんのわらじで人生を楽しむことを目論んでおります。

このnoteでは人生を進んでいく中で、さまざまな出会いを通して感じたことを毎日アップしております。

今日の投稿は、「失敗を許すことは自分への慈しみ」というお話で綴っていきたいと思います。

どうぞお付き合いいただけますと嬉しいです^^


やってしまった・・・と思う時


仕事でも、人間関係でも生きていると必ず誰しも、

あー、やってしまった。

なんであんなこと言っちゃったんだろう、やっちゃったんだろう。

と思うような経験が大なり小なりあると思います。

そんな失敗や後悔をした時に、私にはセットでついてくる言葉があります。

それが「こんな私はだめだ」という自己否定の言葉でした。

よく、失敗は成功のもと、失敗の上に成功がある。という言葉を耳にすることがありますが、

私にとっては、失敗は全ての終わりのように感じてしまうほど、大きな出来事として捉えてしまっていました。

そんな風に捉えてしまうものだから、何とか失敗を取り戻そうと、目の前の仕事にひたすらに取り組んだり、弁解の言葉を考えたり、とどんどん空回りして、また失敗をする・・・

という負のループにはまってしまっていました。


なぜ失敗をそんなにも大きな出来事として捉えてしまうのか


それは、私にとって自分の存在価値というものは他者からしか与えてもらえないという思いがあったからです。

そのような思いに至った過程は、子供の頃の環境によるものが大きいと言われています。
(そのお話はまたの機会に投稿させていただこうと思います)

ここで一番お伝えしたいことは、私はそんな固定概念を抱えていたということに気づいたということです。


気づき、そして許す


まず大きな一歩として、「自分の存在価値は他者からしか与えてもらえない」という固定概念を私は持っていたということに気づくことができました。

これはもう、私にとっては大きな大きな一歩でした。

自分で自分の存在を認めることをしていいのだと全く思えていなかったのです。

そこに気づき、次のステップは、失敗するそんな自分もまずは許す。

誤解がないように申し上げますと、

失敗した、まぁいっか、という許しではなく、

失敗した、だからと言って私の存在は否定してくていい。
という失敗したそんな自分の存在を自分で許し、そして失敗と向き合う。

このステップが私には必要だったのです。


失敗を許すことは自分への慈しみ


失敗した自分をまず許すことで、ようやく失敗の原因を素直に受け入れ、そして失敗しないようにするための対策が考えられるようになっていくと思います。

失敗した自分を私自身が否定してしまうと、

失敗の原因を見ていくときに、自己防衛が働いてしまい、「私は悪くない」の気持ちが湧き上がってきます。

そうなると、他者を責めてしまい、自分の中の原因を見つけられないために、対策を立てることなく、また同じ失敗を繰り返してしまう。
というループにハマってしまうのです。

ですので、まずは自分を許していく。

そして、そこから固定概念を取り去ったまた新しい世界を観れるのではないかと思っています。

その新しい世界をみれた時、どんな世界が広がっているのか、
そんなお話をこのnoteに綴って行ける日が来ることを今からワクワクして待っています。


全ては自分へ次第、それならば否定ではなく、慈しみを持って自分へ接する人生を選びたいなと思っています。

ここまで読んでくださってありがとうございます。

また次の投稿でお会いいたしましょう!

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