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マジック研究の視野

拙誌『誰得奇術研究』が創刊から1年となりました。記念して、創刊号に記した「マジック研究の視野」という記事をnoteで無料公開したいと思います(加筆修正したいところですが、そのままアップします)。

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それでは、はじまりはじまり…。


こんにちは、和泉です。突然ですが『誰得奇術研究』というものをはじめました。

これは私が2017年12月1日よりはじめた「誰得自由研究」に、力書房が刊行していたマジック雑誌『奇術研究』をオマージュしたものになります。少し商業的には難しいかなと思われる、ニッチであり文字通り誰得なことを書いていこうと思います。

マジックにおける研究とは何を意味するのでしょうか。マジックの研究とは、マジックという技だけでなくマジックに関わる人間についての研究も含まれています。マジックは観る客と演じるマジシャン無くして成立しません。

そしてマジックが観客の頭の中で起きる以上マジックの研究は手順の工夫のみならず、人間の脳で起きる不思議のメカニズム、心理的要素、不思議によって誘発される信仰心から生まれたオカルトブームといった社会的事象、さらには文化的、宗教的なところまで視野を伸ばすことができます。何千年もマジシャンが存在した事実を考えても、マジックの研究とはとても文化的に意義があり壮大な活動であると言えるでしょう。

しかし近代日本における「マジックの研究」とは、マジックが持つ種仕掛けの構造に関する研究にかなり集中しています。あのアイデアは俺のだとか、この手順は俺のオリジナルだとか、そういった話もよく聞きます。

なぜ日本では種仕掛けばかりに研究が集中しているのでしょうか?

小野坂東によれば、戦前に阿部徳蔵や緒方知三郎といった知識人がマジックを幅広い文化的なものとして取り組んでいた当時マジックを学ぶためには「人と人」の関係が必要でしたが、敗戦により西洋から輸入されてきた情報量が膨大で人間をはるかに上回ったことで、マジシャンが人を介さず本から直接秘密を学ぶ「人と秘密」へとシフトしたと指摘します。マジックが不思議である以上その秘密を知りたいと思えるのは人として自然であり、その秘密が限られた一部のルートでしか入手できなかった戦前の事情を考えれば、どれだけマジシャンが種仕掛けに対して夢中になったのかは想像に難くないでしょう。

だからといって日本では戦前から多方面なマジックの研究がまったく無かったかと言われるとそうではありません。むしろ現代の研究は戦前・戦後の研究を基礎基盤としており、これらを無くして現代の研究はもっと遅れを取っていたことでしょう。前述の通り戦前から一部のマジシャンたちはマジックを文化的なものとして捉えており、それら多くは現存しています。

しかし、ではどういった研究をしていたのかアクセスしようにもハードルは高く、今となっては現代に引き継がれていない研究が多々あります。そうなってしまった大きな理由は発行部数です。山本慶一や近藤勝といった研究家たちによる膨大な成果は50部程度しか刷られず、部数はかなり限られていました。阿部氏の『とらんぷ』のように出版社で刊行するのではなく同人誌として数少ない愛好家にむけて刷っていたためこの少部数だったのかもしれません。また、東京・神保町にある古本屋へ足を運べば『奇術研究』や『ザ・マジック』といった雑誌がまだ容易に入手できますので山本氏の寄稿記事を読むことは可能です。

幸いにも山本氏の著作は国立劇場の伝統芸能情報館に所蔵されているので閲覧自体は可能ですが、東京住まいでないと気軽に通うことはできませんし、また現行の著作権法によりコピーして再販することもできません。先人たちがマジシャンを文化的に捉えてきた活動のほとんどは、戦後から勢いを増した種仕掛けというマジックの魔力に埋もれてしまい、この状態は令和現在も続いています。

海外のマジック雑誌では古くからマジシャンの活躍が誌面いっぱいに紹介されてきました。その中でも『Genii』は創刊当時からほぼ毎号必ず表紙にマジシャンの写真が掲載されており、日本のマジック雑誌とはまったく異なるデザインになっています。『Genii』のみならず海外誌ではマジシャンの人間像について欠かさず紹介しています。何年に生まれ、幼少期の頃は何をして、どのようにマジックに興味を持ち…そういった「ひとりの人生」が書かれています。こういった話が日本語で語られることはあまりありません。日本の商業誌で主に語られるのはマジシャンではなくマジックの話であり、石田天海によるアメリカでの偉業ではなくテンカイ・パームのやり方についてです。

アメリカでは2022年3月27日にハリー・フーディーニ(Harry Houdini)の没後148周年イベントが開催されました。なんとコロナ渦というのもありZoomでのオンライン開催であり、しかも開催時間は12時間という長丁場です。もちろんここまで力のこもった周年イベントはアメリカでもフーディーニ師ぐらいしかいませんが、しかし2022年が天海師の没後50周年だったということで何かしらイベントがあってもよかったのではないかと思います。ちなみに没後148周年を主催した「Wild About Harry」(ワイルド・アバウト・ハリー)はほぼ毎日フーディーニ師に関する記事をブログで投稿しており、Patreon(ペイトリオン)で会員向けサービスも提供しているなど非常に現代的です。

日本はマジックの種仕掛けについて語るのが本当に好きです。もちろんマジシャンが長年努力の末に編み出した凝った種仕掛けを見れば、その巧妙さに誰もが舌を巻き感動することでしょう。

我々も最初は種仕掛けに驚いてマジックに興味を持ったはずです。そしてマジックを学べば学ぶほど、マジックを演じる「マジシャン」という人間の凄さに気づいたはずです。ネビル・マスケリン(John Nevil Maskelyne)が指摘した通り、種仕掛けというのはマジックにおける「基礎要素」であり、他のものに代替できてしまう最小単位です。

ひとつ例を挙げると「知っているマジックなのに引っかかった」は誰もが経験したことがあるでしょう。知っている原理なのに引っかかるということは、やり方は同じだけれども見せ方が違うということです。つまり観る側に対して最も作用したのはマジックの種仕掛けよりもマジシャンの運動能力であり、これはまさにマスケリン師が指摘した通り種仕掛けが「基礎要素」に過ぎないということです。韓国人マジシャンに代表されるように、現代マジシャンが前世代のマジシャンと大きく異なるのは運動能力です(もちろんすべて運動能力の改善だけでうまくいったわけでなく、韓国の背景には安田悠二による直接指導と座学がある点を無視することはできません)。見た目にもわかりやすい運動能力はSNSの力もあり、より若い世代を感化させています。つまりどれだけ科学を含むマジックの技術が発展し進歩したところでそれらは種仕掛けという最小単位に過ぎず、すべてはマジックを披露するマジシャンの力量次第なのです。驚かれるのは種仕掛けですが、本当に驚かれるべきは演じるマジシャンなのです。

気がつけば、我々はマジックの種仕掛けという秘密以外について語る「言葉」を失ってしまったのかもしれません。この種仕掛け以外について語ること、つまりマジックだけでなくマジシャンについて語る言葉は松田道弘や松山光伸といった書き手を最後に世代が途絶えただけでなく、読み手も減ってしまったのかもしれません。さらに言うと両氏ともある時期を境目に日本語で「言葉」を綴ることをやめてしまわれました。読み手がいなければ書き手も生まれないということかもしれません。

しかし近年、科学を含む技術をマジシャンがどのように社会的に活動してきたのか心理学者や民俗学者など学者によって多角的に研究・分析する動きが盛んになっています。マジックを取り巻く新たな「言葉」が、マジック界の外から生まれる兆候があるのです。世の中はどんどん進歩し研究も盛んになっています。マジック界も負けじと新たな視野と「言葉」を手にすべき時ではないでしょうか。


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