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マッチングアプリが現代における奴隷市場にしか見えなくて思ったより無理だった

マッチングアプリをダウンロードし、登録してみた。

僕の大好きなネット番組「ABEMA prime」←ちゅっちゅ♥ のとある特集記事によると、なんと現在結婚しているカップルの出会いのきっかけランキング1位がマッチングアプリによる出会いということではないか。

結婚するに至った相手との出会いの経緯に限定してもマッチングアプリがトップに来るということは、最終的な相手はそうでなくともマッチングアプリでの出会いを一回は経験して、そこから別の出会い方をして結婚に至っている人の潜在数も絶対多い訳で、これはもう「結婚している人はすべからくマッチングアプリを経験している」と断言してしまってもいいレベルなのではないだろうか?

更にこれは逆説的に、「マッチングアプリをしていない人間は一生結婚できない可能性が高い」と言っているようなもので、その事実に危機感を覚えた僕は慌てて適当なマッチングアプリをインストールしてみたという経緯なのである。

さて、会員登録を済ましてプロフィール写真もその場で撮って、記入事項を済ましてホーム画面を開くと……そこにあった光景に僕は驚愕した。

「本日のおすすめ女性はこちら♥」

てな感じで、僕の在住に近い女性の画像がずらりとホーム画面に並んでいるではないか。

最初に本のページみたいに次々と現れる女性をどんどんスワイプして除去していく作業をさせられたかと思えば、次に現れたのはまるでYOUTUBEのおすすめ動画のごとく陳列させられた女性たちの姿である。

瞬時に確信した。このアプリは異常だ。

考えれば考えるほどに、このアプリの在り方はおかしい。なぜ誰もこのことに異を唱えないのか、現代社会の倫理観が真剣に心配になってしまった。

だって、こんなのもう古代ローマの奴隷市場に陳列させられている奴隷と、奴隷商人と、買い手との構造とほとんど変わりがないじゃないか。


今回の記事では、マッチングアプリがいかに気持ちが悪いものであるかの理由と、それと奴隷市場がどうつながるのか、マッチングアプリの健全な姿とはどのような物であるべきなのか、考えたことを記述していく。

人間が商品として並べられている気持ち悪さ

まず、僕がマッチングアプリに対し抱いた最初にして最大の気持ち悪さがここの部分に詰まっている。

アプリのホーム画面には、それこそ所狭しと商品が棚にギュウギュウ詰めになっているドンキホーテ店内が如く、女性の顔写真が並べられている。そこに表記されている情報は他に年齢・在住・簡単な趣味ぐらいのもんである。

アプリの使用者は、それだけでその相手に対して価値判断をし、まずは「いいね」を手当たり次第に送っていくところから始めていくのだが、もうこの時点で僕にはどうしても無理だった。

だってそうだろう。どうやって顔と、年齢と在住地域と、簡単な趣味だけしかわからない相手に対して価値判断ができるというのか?

「いいね」ってなんだ? 「あなたの顔いいね」って意味か? 「住んでるところ近くていいね」?「年齢近くていいね」?「趣味いいね」?

すぅぅう~……

たったそれだけの情報で人間を判断できるわけないだろ!!
人間を舐めるなッッ!!!

冷静に考えてみてほしい。例えば不動産サイトですら、その物件の外観や位置だけでなく「どのような立地にあるのか」「固定資産税はいくらか」「電気水道は通っているか」「土地の広さは」「側溝はあるか」「道路とどれくらい面しているか」……等々、実に多くの情報が載せられていて、それで初めて閲覧者は「いいね」だったり「お気に入り登録」だったりをし、ようやく次のステージ(資料請求、内見等々)に進むことができるのである。

にもかかわらず、マッチングアプリは物件などとは比較にできないほど最も人間社会において尊重されるべき「人間」を商品のように陳列するという悪行を既に履行しておきながら、あまつさえ「顔・在住地域・年齢・趣味」程度の情報しか載せずに次の段階へと進ませようとせしめてくるのである。

僕はこれまで「マッチングしたのに数回やり取りして、はいお終い」が当たり前のように行われているという話を聞いて「マッチングアプリをしている人たちは人間のことを何だと思っているんだ」「あまりに敬意が無さ過ぎる」と憤慨していたのだが、実際の所このような「軽薄すぎるアプリのシステム」そのものにアプリ使用者が適応した結果がそのような事態なのだと考えると納得がいってしまった。

アプリの使用者が狂っているのではない。このアプリが狂っているのである。

こんな人間という物の尊厳を丸ごと無視して商品としてしか見られなくなるアプリを日常的に使っていれば、そりゃアプリで出会った人に対する敬意やら礼儀なんてものが失われて当然だろう。

まあ、僕のようにアプリ冒頭でその異常性に気付けない時点で、その人自身の人間性に僕は疑問を呈したいところではあるが、それだけ世の人間は異性と出会いたくて必死になっているということなのだろうか……嘆かわしさが天元突破である。

奴隷市場とマッチングアプリの如実な共通点

なぜ僕が奴隷市場とマッチングアプリが同じであると断じているのかと言うと、それは先の項でも述べた「人間を商品化している」という点も関わってくるのだが、最も危ういと感じている共通点は「女性という魅力的な商品をアプリが仕入れて、男性に対して売っている」ともとれるアプリそのもののスキームにある。

マッチングアプリは、その多くが「女性無料・男性有料」というスタンスで運営されている。ごく一部「男女ともに有料」というアプリもあるようだが、女性無料の方が大勢であることは間違いない。

なぜ女性側が無料なのか? 僕はこれまで「恋愛市場における需給の差」に起因される物だと思っていた。男側から見た「女性と出会えるアプリ」には有料級の価値があり、女側から見た「男性と出会えるアプリ」には無料級の価値しかないから「女性無料・男性有料」が成り立つという考え方である。

しかしそれだと、「男女ともに有料」というアプリが存在することに矛盾が生じてしまう。「男女ともに有料」のアプリが異端であり理に反している存在ということならば話は簡単なのだが、確かにダウンロード数・会員数ともに「女性無料・男性有料」のアプリに水をあけられてはいるものの、お話にならないほどの差がついているという感じでもなさそうだった。

では、マッチングアプリの価格は一体どのような要因をもって決定されているのか。僕の考察としてはこうだ

「女性無料・男性有料」のマッチングアプリは「無料という餌で大量に女性という”商品”を仕入れて、男性という”客”に対して大量に売る」というビジネススタイルの「現代の奴隷商」であるということ。

「男女ともに有料」のマッチングアプリとはそもそも上記のアプリとはビジネススタイルが異なり、「結婚をしたい男女に対して共に同品質の「出会いの場」を設けて、その入場料を取ることで儲ける」物であるということ。

つまり「女性無料・男性有料」のアプリにとって女性は「商品」男性は「餌であり客」、「男女ともに有料」のアプリにとっては「男女ともに客」という構造になっているというのが僕の考えである。であるならば、会員数が「大量の商品と大量の餌兼客」である側と「厳選された客」のみである側とで大きく差があるのはある種当然であるともいえるだろう。

健全なマッチングアプリのあるべき姿

「女性無料・男性有料」での出会いの場がいかに不健全であるかを捉えるためには、今現在仲良くしている友人との出会いと置き換えてみればわかりやすい。

今仲良くしている親友との出会いが、もしも相手側がいくらかお金を払っておぜん立てしてもらった物で、こちらもそれを承知しているような物であったら? そこには得も知れぬ歪さが生まれて、とても今と同じような関係性ではいられなくなるだろう。

果たして「女性無料・男性有料」のマッチングアプリで出会い、結婚まで至ったカップルは自分達のことを「商品と餌兼客」という関係性でスタートした2人だということを自覚しているのだろうか?

まあ当然していないだろうが。

「知らぬが仏」という言葉もある。既にこれほどまでに「商品と餌兼客」として出会い結婚まで至ってしまった夫婦が存在する中で、こんな事実は明るみに出さない方がむしろ社会のためなのかもしれない。

しかし、もし事実を明るみに出さなかったとしても、既存のマッチングアプリの仕組みを変えていくことで、新たな悲劇を生み出さないよう努めることはできるはずだ。

そのためには我々はどうしていくべきか。簡単な話で「女性無料・男性有料」のアプリを使わず、ダウンロードせず、「男女ともに有料」のアプリだけを使うことである。

世の女性には「哀れな、無料餌につられた商品」に自らを貶めることなく、世の男性には「傲慢な、奴隷商に金を払う倫理無き客」となることなく、健全に出会い結婚し、新しい世界を切り開いていってもらいたい限りである。



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