なにもしたくない。

今は、なにもしたくない気分だ。
さっきまで文章を書く気も起きなかったけど、なにもしたくないという気持ちを書き殴りたくて、パソコンを手に取った。

なにもしたくないというのは、とても苦痛だ。
暇だけど、これといってやりたいことがない状態。
動画を見るにしても、ラジオを聴くにしても、私はこの人たちみたいに仕事に一生懸命になれていないと落ち込むし、
服を買いたいと思っても、ネットで見て実際に届いた時に、いまいちだったらお金の無駄だなと思ったり。
家事もやりたい気持ちはどこかにあるけど体は動かないし、趣味のピアノや写経をやるエネルギーもない。
友達と電話するのも好きだけど、電話をして何を喋るんだろうとか、相手も忙しいかと思うと、電話もできない。
外に出るのは寒くて嫌だ。

・・・
私はスマホのメモに「楽しいことリスト」を作っている。
自分が楽しいと思うことを箇条書きにしているのだ。
いま数えてみたら、30以上はあった。
それなのに、どれもやりたくない。

こういうときは、もういっそのこと寝てしまうか、何かしようとせず休憩して、なにかしたくなる気持ちが芽生えてくるのを待つのが良いと、いつかの経験から学んだ気がしている。

しかし、よく耳にする「今日に満足していないと寝れない」は本当にその通りで、今日という1日に満足していないので、寝られない。それに寝ることへの怖さもある。でも何をする気も起きないのだ。

そういえば、最近「今日に満足している日」がないことに気づいた。
全部、要因を仕事にしてしまうけれど、本当に仕事がつまらなくて、こんなにつまらないのに責任はつきまとってくるのが、不満を招いているのではと思ってしまう。


最近「認知行動療法」のワークブックをやった。
認知行動療法とは、自分の考えとは別の考え方をしてみて、ストレスを緩和する方法なのだが(詳しくは調べてみてください)、「仕事が嫌」という考えを 別の捉え方しようとしても「残業が少なめだからマシだ」・・・「でも、好きな仕事はできないし、人間関係も良くはないし、価値観も合わないし、給料は低いし、福利厚生も微妙だ」という『でも』の部分がたくさん出てきすぎて、自分の捉え方はなかなか変えられなかった。
それに、変えたいとも思わなかった。「嫌」なものを「マシかも」にするのって、そうした方がストレスが減るのは分かるし、できるものなら「マシ」の方にシフトした方がいいけれど、ほんっとうに「嫌」なものを変えるのは、自分の価値観を変えてしまう気がしたのだ。
ただ、認知行動療法をやってよかったと思ったこともある。転職することに怯えていたけど、「最近は転職する人も多い」「みんなが転職に悪いイメージは持たない」という事実から、転職に怯えなくなったことも本当だ。
つまりは、良し悪しという感じだろうか。その人の中で、認知行動療法が役立つこともあれば、役立たないこともあるということだろう(平凡な結論になってしまった)。


そんなこんなで、なにもしたくない気分の私が、殴り書きしたいことは終えたので、このnoteも終わりにする。
たまには、こんな回があってもいい。

さあ、今から何をしようか。
あー、何もしたくない。何をしようか考えるのも面倒くさい。
生きるって大変だな。


いつか撮った 大きな木。この木は暇じゃないのかな。



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