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二度とごめんだ。 #必要としてあげることも必要だとわからない男

 一年半ほど前に元カレと別れた。わたし達はいわゆる歳の差カップルで、おっさん(元カレ)は別れた当時60歳、わたしは34歳だった。付き合ってから10年間同棲し2年間別居して別れた。事実婚状態だったが、入籍はしていないし子供もいなかった。何年か前におっさんが老後に田舎暮らしを楽しむための家と土地を買っていた。二人でそこに移住する予定だった。
 わたしはずっと原因不明の腹痛とパニック症状に悩んでいた。病気のせいで働くことができなかったため、おっさんの収入に頼って生きていた。
 わたしはおっさんが経済的に支えてくれたことにとても感謝しているし、将来おっさんの介護をすることだってとっくに覚悟していた。

「オレは一人で生きていける。」
別れる一年前におっさんはそう言った。その言葉を彼は以前に「迷惑をかけたくない」という意味で使った。老後の世話はしなくていいし、わたしのやりたいことを邪魔するような存在にはなりたくない。そういう考えだと言った。
 わたしを気遣ってくれていることについては素直に嬉しかった。いい男だなと思った。ただどちらかが我慢するような関係はわたしだって望まない。わたしがやりたいことをやりながらおっさんの生活を手伝う将来だっていいし、今お世話になっている分、将来わたしが少しくらい無理をすることになってもおあいこではないか。二人が同じくらい我慢しても、同時に同じくらい幸せならそれが一番いいと思っていた。「オレは一人で生きていける。でも二人で生きていきたい。」そう思ってほしかった。しかしおっさんの意見をまとめれば一貫してこんな感じだった。

「オレは一人で生きていける。あきがオレと一緒にいたいなら一緒にいるよ。」

 こんな風に思われることはそれはそれは不満だった。それにおっさんだってわたしの事が好きだったはずなのだ。うぬぼれではないと思う。おっさんはわたしに優しかったし、同棲中は頼んでもいないのに仕事とパチンコ以外は基本わたしと一緒にいた。たまに飲みに行っても驚くほど早く帰ってきた。だいたい好きでもない相手と将来住む家を田舎に買ったりするだろうか。
 なのできっと「オレはあきと別れても平気」みたいなスタンスだったのは、そうしているのが気持ちよかったからだと思う。オレの方が愛されているという優越感に浸っていたかったのだ。
 その優越感の持ち方をダサいとは思うものの不満ではなかった。実際わたしの方がおっさんを好きだった。

叶わない

 おっさんはわたしを好きだったとは言え、絶対的に愛情が少なかった。
 愛の定義を聞かれたらいろんな人が素敵な定義を答えるだろうが、わたしの愛の定義は “相手のことを考える時間” だ。なので単位は分や秒など時間の単位になる。リポビタンDのCMよろしく"本"ではなく。相手の話を聞いている時間、相手がそばにいなくても今何をしてて何を考えているのか考える時間。相手が家族や友達でも同じだ。それが例え負の感情だったとしてもその時間が積み重なって愛が増えていく。

 この定義に照らせば、わたしのおっさんへの愛は膨大なものだ。おっさんの話を聞き趣味に付き合い過去の様子を想像し、何が好きで何が嫌いなのか、どういう考え方をするのかを少しずつ知っていった。大袈裟ではなく今でもわたしはおっさんの世界一の理解者だと思う。ご両親よりわたしの方が理解していると自信を持って言えるほどだ。一人の人間を全て理解することはできないが、できないという事実は少しでも多く理解しようとする努力をやめる理由にはならない。それはおっさんに恩返しするための努力でもあった。
 それに対しておっさんは、わたしの話には自分の興味のある話題にしか耳を傾けないしわたしの趣味趣向を知ろうとはしなかった。好きな食べ物くらいは知っていたと思うが、ここまで無関心だとこの人は一体誰と付き合っているつもりでいるんだろうと心底不思議だった。
 もしある朝わたしの肉体以外が別人になっていたとしても、おっさんはその女と付き合い続けただろう。なんなら肉体すら体形の似た別人であれば「あきだよ」と言い張れば信じたかもしれない。
 おっさんの愛は、多く見積もってもわたしの10分の1くらいだった。

 愛されたかったなぁと心から思う。22歳から34歳の女盛りを、それはわたしごときのそれではあるが少しはモテたこともあったような余り物ではない女の二度と来ない女盛りを全部あげたのに。
 愛されないことは不満だったが、おっさんが悪いことをしているわけではないように思えた。だってわたしを養ってくれている。それしかしていないとは言え、それしかしていないと怒っていいわけがない。「ほんとわたしに興味ないよね」と愚痴を言ったことはあるが「興味なくはないよ」と言われるだけで何も変わらなかった。「愛されたい」と訴えるのは違う気がした。言わなくても愛されるくらいの魅力がわたしにないのがいけないのだから。

 世の中には愛のない夫婦なんていくらでもいる。そういう夫婦はお金とか子供とか生活習慣とか、愛とは別のものでつながっている。つまり何かしらの理由で相手を必要としているのだ。愛されないならいっそそんな形で妥協しようと思った。

それでも叶わない

 わたしはおっさんが自分を必要としてくれるよう努力することにした。体が辛くてもなるべく元気にふるまうよう気を付けたし、嫌いな家事もがんばった。でもおっさんは変わらなかった。
 10年が経った頃わたしは限界に達し、はっきりと訴えた。
「わたしはわたしを必要としてくれる人がどうしても必要なんだ。」
返ってきた答えは同じだった。
「オレは一人で生きていける。」

 うるせー。まだ優越感に浸っていたいのか、それとも別れたいのか、いや別れたくないと言っていた。じゃあなんでわたしを突き放すのか。バカなのか。バカなんだな。もう別れる。なんもわかってねーなバカヤロー。

 わたしは恋人から「好きだよ」「愛してる」と言ってほしい類の女ではない。ただこの頃ようやく思い至ったのは、相手に自分の隣にいたいと思わせる手段を何も持っていない奴は「愛してる」と言った方がいいのだ。たとえ嘘でも。

 おっさんの場合は「あきが必要だ」と言うべきだった。
 経済的に支えてくれていたことはありがたかったが、わたしは別にお金のために付き合っていたわけではない。それに当たり障りのない平和な関係にはなんの魅力も感じない。誰とでも代われるような存在として扱われる1分1秒が人生の無駄でしかない。だったら他の人と代わってほしい。わたしはその時間一人でアプリ開発をしていたい。だって開発はわたしにしかできないから。
 だから正直、わたしにはおっさんとつきあっているプラスがもうなかった。愛情ももらえない、必要とされるという承認欲求も満たされない、それどころか苦しくて仕方ない。マイナスだ。おっさんと過ごす時間は、自分のアイデンティティが砂消しゴムでズリズリ消されているような時間だった。それはわたしへの攻撃に似ていた。おっさんは滅多に怒らない柔和な人で攻撃しているつもりは全然ないのに、このままではわたしは反撃に出てしまう。
 こんな二人は一緒にいない方がいい。そんな正解がわかった気がした。

コオロギの声できっとずっと思い出すんだろう

 わたしは自分がこんなに愛情を欲す人間だと知らなかったので少々驚いた。愛されるならお金も優しささえも不要なのだ。だけどそれが世間で称賛されているような素晴らしい事だとは思えない。だって苦しいばっかりじゃないか。もし自分が誰でも興味を示すような面白い人間なら話は別だが、実際は平々凡々な人間だ。愛される価値が人一倍あるわけじゃない。なのにこれから先ずっと「わたしを愛したまえ」という無理難題を押し付けながら恋愛をしていくつもりなのか?バカはわたしだ。いっそ、金さえあれば一生相手を大切にできるような女の方がわたしよりよっぽどいい女だと思えた。

 大きな台風が田舎暮らしのための家を襲ったことがあった。家は無事だったが、庭の杉が倒れ地域のテレビアンテナの中継線に引っかかってしまった。太くはないが10メートル以上ある杉だったので、下手に対処すると断線してご近所に迷惑がかかってしまう恐れがあった。二人で綿密に相談しながら二日かけて切り倒した。危険な作業も含んでいたので、最低でも二人は必要な作業だった。緊張感もあったし体力的に大変な作業だったが、終わったときには達成感があった。二人で協力するのは楽しかった。
 この頃にはわたしは別れることを決めていた。今度同じようなことが起きても、おっさんは一人で対応することになるのだ。

 10月だったが作業をしていると汗をかき喉が渇いた。おっさんは水筒にスポーツドリンクを入れてきていて、わたしに勧めてくれた。とても助かって美味しかったのだが、水筒の汚れが気になった。臭いが気になるくらい汚れていた。数年前からおっさんは暗い場所での視力が弱くなっていた。おっさんのキッチンはシンクに立つと手元が少し暗くなるのだ。
 その夜、夕食が終わりくつろいでいるとおっさんが突然驚いたように言った。
「コオロギが鳴いてる。」
この家は山の麓と田んぼの間にあるので、秋になるとスズムシやコオロギがうるさいほど鳴いている。
「そうだね、スズムシも鳴いてるね。」
わたしは答えた。
「スズムシ?鳴いてる?」
おっさんは耳を澄ませたが聞こえないようだった。歳を取ると高い音が聞こえにくくなる。

 その姿を見てわたしは泣きたくなった。目も耳も弱ってきたのに、こんなに呼吸をそろえて共同作業ができるのに、なんでこの男はわたしを必要としないんだろう?必要とされる方がわたしは嬉しいんだってなんで気づかないんだろう。なんで伝わらないんだろう。「必要だ」の一言でわたしはあなたの目にも耳にもなって、なんだって手伝うのに。おっさんを幸せにする自信があるのに。

 こんな失恋をしてからもう一年以上が経った。未だに消化不良を起こしている。別れないための策を講じ倒し、妥協もし倒したと思っているから、わたしはおっさんが悪かったような気がしている。でもきっとわたしにも悪いところがあったんだと思う。思い当たるところは直していくとしよう。とにかく、相手を必要としてあげることも必要だとわからない男だけはもう二度とごめんだ。


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