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人類みな友達ではない。

昔から教育現場で言われているみんなと仲良くするクラスみんな仲良く過ごすっていう風潮がある。

まあ確かにその方がいいに決まっているがその分自分と合う合わない人が出てくる。それでもみんなうまくやって過ごしなさいなんて言われる。
大人の私たちでさえ反りが合わない人と過ごすなんてきついししんどいはずなのにも関わらずそれを子どもたちに強要させるのは可哀想だしうまく立ち回ることができないためひどい場合いじめに発展する。

被害者の子どもにはすごく深い傷に残る。
一方、加害者はアレは子どもだったからや冗談だったなどで片付け忘れてしまう。
やられた側はずっと覚えている。トラウマになるような経験をしたものはこの言葉は痛感しているだろう。

わたしはそんな経験を子どもたちにはして欲しくない。じゃあ、それを経験しなくていいにはどうすればよいか。

全員と仲良くしなくていいということだ。
自分自身と合う子と仲良くして合わない子とは極力関わらず、必要に応じて関われば良いと思う。

絶対に関わらないっていうは無理なことだ。
だからといって絶対にみんなと仲良くしろということの方がもっと難しく、気に入らないことが起き、発言力の強い子が"あいつ嫌い"と言うと日本人の性質上"じゃあわたしも、僕もあの子のこと嫌い"となる場合が多い。

そこからいじめの発展につながる。
気が合わない子とは無理に関わらなくていいということを大人たちが伝えていき、そこから子どもたちがどう友だちと関わっていくかだ。
石窯の考え方は極論すぎるかもしれないが子どもたちには悲しい経験をして欲しくないのだ。

もう一つ子どもたちに伝えていきたいこととして、自分がされて嫌なことはしないということだ。友だちに殴れて嬉しい人なんていないし自分の悪口を言われて嬉しい人なんていない。それを自分に置き換えて友だちと関わって欲しい。

最後に石窯から
人類五分五分で友だちと合わない子。



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