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お米の神様? 第11話 芋煮会

 秋が深まると山形県、特に最上川上流から中流の地域でほぼ毎週末の様に行われるのが芋煮会である。
 料理名で言うと「芋煮」なのだが、家で夕飯のおかずに作ったとしてもそれはただの里芋と肉、こんにゃくの煮たものであり「芋煮会」と呼ばれると特別な響きを帯びて県民の心にアピールしてくる。
 それだけ県民のDNAに刻まれたものなのだ。

 県内の昔ながらの家庭では、関西におけるたこ焼き器の如く大きな鍋が常備されている。
 日常サイズではなく緊急時の炊き出しレベルの大きなものだ。
 普段は蔵や物置、押しいれの中に眠っているが、年に数回、秋に出番を迎える。
 それが芋煮会用の鍋だ。
 皆さまもテレビで、山形市は馬見ヶ崎川河川敷での「日本一の芋煮会」をご覧になった事がおありだろう。
 超巨大鍋に重機で具材を投入し、アームでかき回し、集まった人々に振る舞われる。
 あそこまで大規模なものは他の市町村では無いが、山形県民は幼稚園、町内会、子供会、小・中・高、職場に趣味のグループごとに何度となく「芋煮会」を催す。
 都会人の花見への執念に匹敵するか、それ以上の情熱である。
 芋煮会の起源は、里芋の収穫を終えた後の収穫祭的な性格のものだったと聞く。
 土つきのまま表面を乾かしたとしても、里芋は足が早く長期保存には向かない。
 秋の長雨に当たりでもしたら一発で腐ってしまう。
 そこで山で採れたきのこ、こんにゃく等と煮て食べてしまおうとなり、ついでに収穫時の娯楽と一体化した。

 幼稚園や小中学校や子供会においては、芋煮会は遠足の延長線上にある。
 クラスのグループごとに分量を決め、予算を決め、買い出しは材料の調達から自分たちでやる。
 当日はリュックにお弁当と水筒を詰め、家に大鍋を所有する鍋係の子は大鍋を、こんにゃく係はコンニャクを、野菜係はネギ、きのこを。
 芋係は里芋、肉係は肉と持ち、徒歩で河原にぞろぞろと行く。
 現地に着くと班ごとに風向きや立地を考えて場所をとり、河原の石でかまどを組み、教職員やPTAが車で持ち込んだ薪に火をくべる。
 高学年の火焚きに慣れた子はここではヒーローとなる。
 勿論火を使うのだから安全にはかなり気を配っていた、と言いたいが実際は相当大雑把で子供達任せだったように記憶している。
 大人たちには、立派なアウトドア炊事セットを持ってくるグループも散見するようになったが、主流は河原の石をその場で組んだかまどである。

 鍋に、大人たちが車で運んだポリタンクから水を汲み、火にかける。
 その間持参したまな板や包丁で具材を切り、鍋に適当に入れ、醤油もどぼどぼと入れる。
 包丁を上手に使う、家の手伝いをよくする子はここでその技術を讃えられた。
 刃物を扱うのが危険な低学年や幼稚園児は、家であらかじめ洗って切り分けられた具材を袋に密封して冷やして持ち込んだ。
 味付けは醤油のみ。
 使う肉は牛肉で、コンニャクや里芋のぬめりと合わさると盛大にあくが出たが、そのあくをまめにすくって捨てるかどうかで仕上がりに大いに差が出る。
 根気強いあく取り番が居るかどうかが美味しくできるかの決め手でもあった。
 また、火の番も大事である。
 鍋の水が沸き立つまでは強火、材料を入れ柔らかく煮えるまでは中火と長い時間火の勢いを絶やさず、風向きを読み炎の流れる方向を読んで薪のくべ方を調節出来るかまど番は貴重で、色んな班からお声がかかり、あちこちのかまどを渡り歩いては調節する「仕事人」であったし、これまた女子や下級生たちのヒーローだった。
 材料を仕込んでしまい、煮えるのを待つだけとなると、大人たちは酒盛りが始まる。
 持参したつまみでビール、日本酒等宴会が始まる。
 バドミントンやバレーボールの場合もあるが、鍋にボールが直撃して、煮えている最中の芋煮が河原にぶちまけられるという悲劇も、たまに起こる。
 子供達は手際が悪いので、そこまでの余裕はない。
 せいぜいが、順調に煮えている鍋を見てほっとしながら、予算委内のおやつと水筒のお茶で一息つくくらいだ。
 河原の上にはトンビが旋回し、もたもたしていると、切り分ける途中のまな板に置きっぱなしの肉を、急降下でかっさらっていく。
 そのスリルとサスペンスも河原遠足の醍醐味だ。
 狙われるのは肉だけではない。
 広げたお弁当のから揚げ、魚、ソーセージ、ミニハンバーグ、卵焼き。
 あらゆるものが狙われている。
 芋煮会シーズンは鳥たちにとっても冬を乗り切るために栄養をつける時期であり、河原の子供達のお弁当や芋煮は格好の獲物だ。
 空高く旋回するトンビは芋が煮えあがるころには数をぐっと増す。

「トンビキター」

 という叫び声を上げ、きゃあきゃあ言いながらも遠足を続けるのがスリリングな楽しみでもあった。
 目の前に巨大な鳥が降下しておかずをとられた子には気の毒だが。
 
 生徒の班の作品を試食した先生たちによる「今年の美味しかった芋煮ベスト5」等も発表され、鍋の中身を食べつくし、川の水で鍋を洗って帰る頃は、もう日が傾いている。
 秋の日は落ちるのが早く、川の水も冷たい。
 河原のごみを集め、燃え残りの炭を河原に埋め、石を元に戻して原状復帰が完了すると、芋煮会遠足は終わり。
 現地解散である。
 鍋担当の子は(大抵河原に近い子が選ばれた)まだ水滴のついた大鍋をグループの子たちと持ち、調味料担当の子は残った醤油の一升瓶を下げて帰途につく。
 河原まで迎えに来た家の車に便乗させてもらう子たちも多い。
 この「芋煮会」は年に何度も繰り返され、冬支度が始まる晩秋まで続く。

 シンプルな芋煮は、やはり夕飯の食卓よりも秋の澄んだ空気の下、収穫間近な水田から漂う稲穂の、何とも言えない甘い匂い、飯豊連峰の山々が日一日と彩を替えていく紅葉の様を見ながらが醍醐味なのだと思う。
 成長し上京して、荒川や多摩川の河原に来ても落ち着かなかったのは、360度囲まれ抱かれていた山々が見えなくなったことへの不安なのだと思う。
「芋煮会」の楽しみはそんな、故郷全体に抱かれている安心感も込みなのだ。

 追記・子供達の買い出しにかかった費用は後できっちり清算します。子供とは言えその辺はシビアです。


 レシピ・芋煮
 6人分くらい
 鍋に『洗い里芋』(皮をむいて水に浸した状態でパック詰めになった里芋が当地では売られている)なければ里芋の皮をむいてさっとゆでてぬめりをとる)を入れ、
 牛肉の薄切り(上等な部分ではなく脂や筋の多い部分で充分) をざっくり切って400gくらい。
 箸でぶすぶす穴をあけて手で千切って茹でこぼした板コンニャク2枚くらいを入れる。
 太いネギ一本は斜め切りにしておく。
 水1リットルくらい、醤油を適当にどぼどぼと入れ(味見はしましょう) 中火で煮込み始める。
 醤油の目安は1カップくらいから。煮立ったら手でさいた舞茸2パック分と、斜め切りにした太いネギ半本分を加える(先っぽの青い部分を先に入れる)
 芋と肉が柔らかくなったら最終的な味見をして味が薄ければ醤油を足し、濃ければ酒で薄めてネギの斜め切りの残りの根元部分を投入して火を止める。
 鍋にふたをしてネギは余熱で火を通す。冷める過程で味がしみるので早めに仕込んで食べる直前に暖め返すのがいいと思います。
 煮返すほどに美味しくなるりますが、煮返すときは芋の煮崩れに注意してください。洗い里芋ならば滅多に煮崩れはしません。

 一番素朴な、全部最初から入れる方法を書きましたが、肉とコンニャクを煮込んでから芋、きのこ類、ネギを投入した方が、芋が煮崩れず綺麗にできます。
 冷凍里芋を使う時は肉やコンニャクが煮えた状態で、冷凍のまま一気に入れて強火でわっと煮詰めて下さい。
 冷凍里芋は特に煮崩れしやすく、弱火でことこと煮ると一層煮溶けてしまいがちです。
 煮立ったら火を消して味をしみこませるまでは一緒。
 砂糖やみりんを入れる煮方もあります。好みで工夫してみて下さい。

 〆に煮汁にうどんやラーメンを入れる方法は、昭和40年台はあまり見かけませんでした。
 必ず別におにぎりを持参していました。
 近年になっての傾向だと思いますが、それはそれで美味しいと思います。

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