映画「永い言い訳」感想

西川美和監督映画感想第6弾。ネタバレあり。自分語りいつもにまして多め。

映画感想

今回の映画は内容が俺の苦手分野で理解するのに苦労した。

俺は、人の死を悲しむとか、罪悪感に悩まされるとか、過去を引きずるとかの経験がない(と言うか記憶にない)ので登場人物達の心情に共感しづらかった。

「自分の妻が死んだときに、不倫していて罪悪感に苦しむ」というパターンは何度か見たことがある。そういう人は過去を引きずって柄でもないことし始める。そこまでは分かるけど、じゃあどういう気持ちでそうなるのかは俺には分からん。

映画で出てきた「子育ては男の免罪符」ってセリフが答えではあるんだけど、俺は子育ての経験ないし、「それとこれとは関係なくね?それで罪悪感ぬぐえるというのがいまいちわからん」とか思ってしまうのでやはり理解はできないなあ。

なので、映画のタイトルの「永い言い訳」って結局どういう意味?となってしまったことを告白しておこう。

最後の方のセリフからの教訓「自分を大切に思ってくれている人を蔑ろにしてはいけない。そうしないと、愛すべき人を愛せなくなる。(そして、孤独になる?)」は一応覚えておこうと思ったけど、俺には活かせそうにないんだよなあ。「大切に思ってもらう」とかいう受け身な感じ無理、「大切に思わせる」と能動的にこちらで主導権握るスタイルが俺だから。

「人生は他者だ」っていうのも、人間関係含めた環境が人の人格形成に影響を与えるという意味では同意する。でも、だからこそ「自分に良くしてくれる他者を大切にしようとか感謝しよう」みたいな流れでこのメッセージは俺はなんかお花畑な感じがするので嫌だ。というかこの流れで本質的に「人生は他者だ」って理解できる人多くないと思っている。「仲良しこよしが良い」「いつも一緒が良い」とかそういう結論にもってく人が大半だろうとおもってしまう。

「人生は他者だ」を理解したいなら、レヴィナスの「他者とは、私が殺したいと望みうる唯一の存在なのだ」からの「他者は無限の可能性」と言う流れで「他者はうざいけど、自分の人生を広げてくれるから向き合え」が俺好み。

人間関係について

幸夫が実父より子供たちに好かれやすかった部分は子供たちに共感できたし、学びになった。

息子が父親に対して「いい父親面するだけで、自分に興味をもとうとしない、理解しようとしない。」って言っていたけど、ここ重要だよな。

幸夫君は「これって何?これどういうこと?」って子供たちに質問しまくってたし(無視されてたけど)、「ああしなさい、こうしなさい」じゃなくて「どうしたいの?一緒にやろう」って接していた。

やはりね。相手が子供だろうとなんだろうとフェアに接するって言うのは俺大事だと思うわけですよ。俺もすぐ他人をコントロールしようとするけど、アプローチ方法は割とフェアでガチンコのつもり。「俺に従っておけば、そうしないより得だと思うよ。さあ、君はどうする?」ってやり方が俺流。

人間観察も好きだから相手のことを徹底的に分析するのも相手に興味を持っているってことだと俺は思っている。少なくとも「普通の人はこう考える」みたいに自分の常識押し付けてくる奴は他人に興味もってないよね。俺は「自分の常識」と「相手の常識」の違いに興味がある。


後半は子供たちとの関係に愛着というか執着持ち始めて、ヤケになるシーンもあったけど、前半はある意味気まぐれで子供たちの世話を申し出た感じである意味無責任だった。これも子供たちにとってはちょうどいい距離感だったんだろうな。

俺はもっと他人に無責任で良いと思っている。他人に対して過剰に責任持つ奴多すぎに感じる。最終的には個と個の生存競争なんだから相手を気遣う必要がない。相手を気遣うのはあくまで自分のため。

こういう気持ちで生きるのが健全だと思う。とはいうものの現実は既にそうなっているとは思うけど。「私はあなたに責任を感じています」といって相手にマウントを取るという自分のために行動しているだけで、真に相手に責任持って生きている奴なんか誰もいないってのが俺の考え。偽善者が自分を騙すための方便で相手への責任を感じているってことにしているだけ。俺はこういうの卑怯だと思うので、俺は自分に対してしか責任を持たない。相手が俺の行動でどうなろうがそれは相手の問題だって思っている。

こういう価値観だから、俺は家族愛とか夫婦愛みたいなのイマイチピンと来ないんだよなあ。家族とか夫婦とか一緒にいてメリットがあるなら一緒にいればいいし、そうでないなら切ればいい。人と人とのつながりは何も血や愛だけじゃないだろうって思ってしまう。

不倫が良いとは言わないけど、特に弱い人間ほど人と群れていないと生きていけないわけで、今の相手が自分を守るために一緒にいる価値が下がっているというのであれば、完全に価値がなくなって共倒れする前に新しいパートナー探しておこうってなるのは合理的だって思ってしまうんだよなあ。

親子とかもそうだよな。弱いからとりあえず手近な家族で手を組もうってだけで、別に家族じゃなくてもご近所さんとかネットで出会った人とか手を組めれば誰でもええがなと思ってしまう。

究極一人で最強になれば、一人で良い。

なんというか人間関係なんて損得で考えて動けばこんなにシンプルなのに、よくもこうもこじれるよなあって思ってしまう。まあ、こじれるほどうまくやれば強力な武器なんだってことなんだろう。俺はそれに巻き込まれたくないから可能な限り自分自身が強くなって、緩衝地帯になりにくいポジション取りして永世中立し続けたいと思う。



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