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生徒たちの気持ちを動かす環境をつくる。

中学校 美術教員 金澤文利さん

 
「文芸部では花を植えたり、水をやったりしています」。体を動かして、花の成長をみて、そこにいる虫を見つけて、そんなことがいいのだと金澤先生はいう。
 
 喜多方市立第一中学校(取材当時)で美術を担当している金澤文利さんは美大大学院を修了後のことをこう語る。
 「卒業後、あまり何をやろうというものがなかったけど、講師として聾学校で働くことになって。版画の授業で、ある生徒が版画板と紙をはがした瞬間にすごく喜んで教室中を踊るように動き回ってたんだよ。あんなに驚いてくれるのを見て、この仕事面白いなと思って、今まで続いているよ」
 その後本採用となり、両親の出身地である福島での教員として、いわゆる普通の学校に勤務することとなった。

「聾学校と違って、なんか、型が決まっているような感じで、気持ちの動かない作業になってしまうのではないかという懸念があった」。だからか「人に一方的に教えられるのでは学びがない。生徒たちが求める環境をつくることが大切」だという考えを金澤さんは持っている。個々の体験や気づきが大きな学びを生むということだろう。自分の気持ちが動いたときに人は学ぶ。だから「気持ちの動かない作業」に金澤さんは不安を覚える。

 そして気持ちを動かす仕掛けとして、「花」を使ったのだろう。水やりや手入れで時間をかけた成果として、植物は花を咲かせてくれる。その当たり前の不思議は私たちの心を動かす。ただ、植物の成長には時間が必要だ。土を作り、種をまき、植物の様子をみて必要に応じて肥料を加えていく。金澤さんはその行動を「段取り力」という。ある目的に向けて、物事をどのように進めていくか。これは版画と同じではないか。版画では作品作り、園芸では花が咲くことが目的であるが、実際できるまで成果が見えない。版画の板を彫っているときには最終的な作品は見えず、紙をめくる一瞬で初めて作品に出会える。「段取り力」が気持ちを動かす一瞬の出会いを作りだす。

 私も文芸部で草むしりをしてきた。十数名の生徒が一時間ほど作業したが、中学生は自由だから、草むしり以外に注意がいってしまう。効率を求める大人の私は、草むしり以外に注意がいかない。
 んっ? 草むしりは段取りの一作業であって、目的ではない。であるとすると、私はどんな「気持ちを動かす一瞬」に向かっているのだろう。しばらく文芸部に参加し「段取り力」をつける必要がありそうだ。生徒たちみたいに寄り道をしながらも、地域おこし協力隊の任期(3年間)を終えるまでに花を咲かせたい。

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