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ISHIYA私観ジャパニーズ・ハードコア30年史外伝〜「失った右手が掴んだもの」マサミ伝第2章〜#11 音楽の好みと艶話

「#11 音楽の好みと艶話」

 日本のハードコアパンクバンドとして、初めて長期に渡る連続した日程のツアーを行ったマサミのGHOULは、地方に初めて東京のハードコアを伝えることとなる。
 それまで関西方面や東海地方などであれば、様々なハードコアパンクバンドが訪れていたが、東北や中国,九州地方に東京のハードコアパンクバンドが訪れることはなかった。GHOULが北海道へ行く前年の1984年にGASとSYSTEMATIC DEATHが北海道を訪れているが、これが東京ハードコアパンク(GASは広島のバンドで東京進出、SYSTEMA は横浜ではあるが)の北海道進出最初なのかは定かではない。九州地方においては1986年の小倉IN and OUTで行われたGAUZEか、1985年と86年に行われたLIP CREAMとCITY INDIANのDYMANITE TOURで九州に行っていれば、それが東京ハードコアパンクの初九州だと思われる。
 当時のマサミとGHOULという存在感は、日本のパンクスたちにとって一番とも言える興味の対象であり、その実物が体験できるライブが地方都市で行われることによって、多くのパンクスが育って行ったのも事実だろう。
 東京のハードコアパンクバンドが来る。それもあのマサミのGHOULだともなれば、様々な観客がやって来る。当然その中には女性たちもたくさんいるのだが、そうした中でマサミはかなり女性にはモテていたようだ。
 打ち上げなどで親しくなり、親密な関係になることもあったのだろう。そうした地方の女性たちが、GHOULのツアー後に東京にやって来ることが多くあった。

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30年以上に渡るバンド活動とモヒカンの髪型も今年で35年目。音楽での表現以外に、日本や海外、様々な場所での演奏経験や、10代から社会をドロップアウトした視点の文章を雑誌やWEBで執筆中。興味があれば是非サポートを!