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多様性って、内側から外側を見ることなのかも知れない

ここで白状するけど、私はコロナワクチンを1回しか打ってない。大声を出して言う必要もないし、あえて黙っているわけでもないけど、ワクチン1回人間としての立ち居振る舞いについては正直困っていた。

コロナワクチンは、2回接種でようやくワクチンとしての効果が発揮される的な仕様で、1回目を打った時点で2回目接種の予約をするオペレーションになっていた。
もちろん私も例に漏れず2回目の予約をしたのだけど、多分眠すぎたとか、デートの予定とか、その類いの、ワクチン接種の足元にも及ばないしょうもない理由を優先して、意図的に2回目の予約をブッちぎったのだった。
もうワクチン以前に、何かしらの重篤な病としか説明がつかない。34歳にもなって、自分のこういう角度のだらしのなさに心底辟易とする。

でもワクチン1回人間だからこそ、私はとても素敵なことを思いつくことができた。それがタイトルに書いたこと。

スター・ウォーズを観て激怒した思い出

感情の起伏がほぼない私ですが、人生でたったの3度だけ激怒したことがある。そのうちの一つは、スター・ウォーズ/最後のジェダイ(エピソード8)を劇場で鑑賞したときだ。
人の家にストレイトアウタ便所なサンダルで上がりこんで来たような不愉快クソ映画だったんだけど、その中の一幕で「反乱軍(善)もファースト・オーダー(悪)も同じ供給元から武器を仕入れてる」という内容があった。全編通してこういう「善悪の線引は明確ではなくそれぞれが混沌と交わっている」みたいなアティテュードを感じさせられた。それは2010年代中頃から映画のトピックとして顕著になり始めた、多様性の在り方にまつわるムーブメントの一つのように思えた。

赤と白じゃなくてピンク

例えば赤と白の絵の具を2色用意して半分ずつ混ぜると、それはピンクという色になる。ここで最強に重要なのは「赤と白が混ざった色」ではなく「ピンク」ということだ。
「赤と白が混ざった色」というのは、赤からしたら「白が侵入してきた!」ということになるかもしれないし、白からしたら「赤のせいでこうなってしまった!」となるかもしれない。
そうじゃなくて「ピンク」は、赤や白から変化したものではなくて、固有の色だ。混ざった状態に別の色の名前がついた、それがピンク。(別に水色でも黄緑でもいいんだけど)

内側から外側を見る

簡単に図にするとこんな感じ。

ピンクは赤と白と接着している。つまり、ピンクから見れば赤も白もお隣さんということになる。
では、赤から見てみると、赤はピンクとしか接着していない。「いやいや、白と接着してるでしょ…だから中間色ができたんでしょ…」という発想の人とは、同じ時間を過ごしたいと思えない。
重なったところはピンクという新しい色なので、赤が接着しているのはピンクだけとなるというお話で、白を起点に考えても同様。
つまり、赤か白の場合はピンク1色としか接していない反面、ピンクは2色と接しているということ。お察しかと思うけど、多様性を持つというのは、内側から外側を見回すことでようやく成り立つことになる。

多様性について考えてみる

話を冒頭まで戻すと、私はワクチンを1回しか打ってない。それはピンクな状態とも言える。
打ってない人は金輪際打たない覚悟かもしれないし、打った人はもう5回も打ってる。この両者がワクチンに対するスタンスを共有するはずもないだろう。ちょっとした理由からあえなくワクチン一回人間 a.k.a ピンクとなってしまった私は、別にこのままでいいとも思うし、海外旅行の時に2回接種必要ということなら打つと思う。打つ気持ちもわかるし、打たない気持ちもわかる。もしかしたらピンクの人は、成りたくてそうなったわけじゃない人たちなんじゃないかとも思う。

さっきのスター・ウォーズが解せなかったのは「赤にも白の部分あるし、実は白にも赤の部分あるよ。赤と白ってグラデーションなんだよ。」というメッセージだったことだ。これは多様性の本質ではない。

今回はたまたまワクチンのことだったけどワクチン自体の話はどうでもよくて、ワクチン以外でいうと私にもどちらかハッキリしてしまってるジャンルがある。
そういう時は「白ってどうせこうでしょ」とか「ピンクってどっちつかずだよね」とか考えているかも。これらは自分が赤だと思えてるからまだしも「赤、ピンク、白、それぞれあるのわかります!みんなちがってみんないいですよね!(俺は断固赤だけど)」みたいな考え方が一番厄介かなと思う。わかったつもりでいて、それでいて自分の立場を固着化しているような。

多様性を取り入れる第一歩として、お隣のピンクの人の話を聞いたらいいんだと思う。ピンクを通して白への理解もより深まるのではないかと、今はそんな気がしている。

0と1じゃない、赤と白じゃない、それが一緒になった状態にどんな名前をつけようかと話し合うことが、人の暮らしを豊かにするんじゃないかと思う。

ド平日の真夜中なので、そろそろ眠ります。おやすみなさい。

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