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妖怪の総大将

昭和だったら「ゲゲゲの鬼太郎」、

平成だったら「ぬらりひょんの孫」、

妖怪の総大将と言えば「ぬらりひょん」というイメージが強いのではないでしょうか。

『最新版ゲゲゲの鬼太郎』より

しかしこのイメージは昭和の時代に生まれたものであり、元々「ぬらりひょん」には妖怪の総大将という肩書はありませんでした。

一般に、瓢箪鯰(ひょうたんなまず)のように掴まえ所が無い化物であるとされる。江戸時代に描かれた妖怪絵巻などにその姿が多く確認できるが、詳細は不明である。民間の伝承には百鬼夜行の一員(秋田県)、海坊主の一種(岡山県)にその名称が確認されるが、描かれている妖怪画の「ぬらりひょん」との前後の関係性は明らかではない。「妖怪の総大将」ともされるが、それは後代における誤伝・俗説とされている。

Wikipediaより

一妖怪に過ぎなかった「ぬらりひょん」が何故妖怪の総大将となったのか。

藤沢衛彦『妖怪画談全集 日本篇 上』において鳥山石燕のぬらりひょんの図版の下につけられた
”まだ宵の口の燈影にぬらりひよんと訪問する怪物の親玉”
というキャプションを参考として、
「家に入って来る」あるいは「妖怪の総大将」であるという解説が水木しげるや佐藤有文の妖怪図鑑などを通じて一人歩きしたこと、テレビアニメ版『ゲゲゲの鬼太郎』の第3作(1985年放送開始)に主人公・鬼太郎を宿敵とみなす敵役として登場し「総大将」と作中で自称したことなどが総合的に「総大将」としてのイメージを有名なものとしたことが要因になったと見られている。

Wikipediaより

水木先生、そしてゲゲゲの鬼太郎の影響力恐るべし。


では「ぬらりひょん」以前の妖怪の総大将、もしくは妖怪の親玉は誰だったのか。

その候補とされるのが『山本五郎左衛門』。

山本五郎左衛門(さんもと ごろうざえもん)は、江戸時代中期の日本の妖怪物語『稲生物怪録』に登場する妖怪。妖怪の眷属たちを引き連れる頭領であり、魔王に属するものとされる。
平田神社所蔵の妖怪画では、三つの目を持つ烏天狗の姿として描かれているが、天明3年刊『稲亭物怪録』によれば、自分は天狗の類でも狐狸の類でもないと語っている。

Wikipediaより

物語の主人公「稲生平太郎」に30日間『山本五郎左衛門』が平太郎を怖がらせようと子分の妖怪達を次々けしかけ続けたが最後まで動じなかった。
そんな平太郎の前に山本は裃を来た武士の姿で現れその勇気を称え、これ以上の怪異は起こらないと告げる。
何故そんなことをしたのか。
実は「神野悪五郎」という妖怪と魔王の座を争い勇気ある少年100人を驚かせるという賭けをしていてその86人目が平太郎だった。
最後に山本は、もしも神野が現れた時はこれを使えば私が助けに来るといって平太郎に木槌を与え、妖怪達を引き連れて去っていった。

Wikipediaより
Wikipediaより

その後、魔王の座をかけた争いがどうなったのかわかりません。
『山本五郎左衛門』と「神野悪五郎」のどちらかが妖怪の総大将になったのか。
もしかしたら、決着つかず両者痛み分けのスキをついて「ぬらりひょん」がその座をかっさらったのかもしれません。


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