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ベトナム駐妻になる話

私は大阪生まれ、大阪育ち。夫も関西で生まれ育った。
同じ職場で出会い、お互い国旗が好きだったり、カルタ好きだったり、なにかと縁があり結婚した。しばらくして子どもが生まれ、両親が近くにいないけどさほど離れてもいない、大阪の土地でワンオペと呼ばれる生活をしていた。30代前半夫婦と娘の3人家族。

夫は外科系の医者である。手術をするタイプの医者だ。
帰りは日をまたぐことが多く、土日もない。
たまに意地悪で、「あなたが行かなくても、看護師さんがみてくれて、何かあったら連絡してくれるし、当直の医者がいるから大丈夫」と言ってみても、大半の医者がそうであるように、行かないと無責任だといって、0歳の娘と誰か大人としょうもない話がしたい妻を置いて、仕事にいくような人だ。

それが突然、糸が切れたように職場を辞めると言い出した。
海外に行きたいと。ベトナムによさそうな募集が出ていたので応募して合格していると報告された。

へー、ベトナム。いいんじゃない、楽しそうで。

私はそう返したと思う。
本当に、楽しそうでいいなと思ったし、日本の何とも言えない鬱屈感から少し逃れたかったのかもしれない。さすがやね、と返された気もする。今思うと、何も調べずに、いいんじゃないと二つ返事した自分は頭のネジが外れているといわれてもおかしくなかった。

私は二十歳の頃、海外へ留学していた。ワーキングホリデーというやつだ。大学を休学して、海外で学校に通い、そのあと仕事をしていた。なんて書くと立派に聞こえるが、そんなことはない。半分日本語、半分英語の生活で、日本酒バーで酔っぱらってサッカー観戦している客と飲みながらワイワイしていただけだ。大学の授業が嫌すぎて、逃げて、ふらふらしていただけのことである。

そんな生活でも、一度も日本から出たことのない人よりは海外で暮らすハードルがぐんと低いようで。ベトナムでもアフリカでも、どこでも人間は生きているし、そういう経験もありか、と思ったのは事実である。

関係各所へ報告をしたとき、反応は大きく2つあった。なぜベトナム?というのと、あなたらしいね!というものだ。前者に対しては、夫が決めてきた案件でしかないので仕方がないと言い、後者に対しては、私はこの人たちからそんなアクティブな人に見えているのかなと思いながら、笑って返事をしておいた。

なぜベトナム?という話を、夫に聞いた。答えはシンプルで、働けそうな求人があったからだという。

あぁ、私はこの人の頭のネジが外れているところも好きになったんだっけなと、思い出しただけだった。

最近、日中に起きていることが多くなった0歳児の命を守りながら、駐在妻のInstagramやブログをみて、想像つかない生活を想像した。本当に、ここでしっかり今から住む街はどんなところか、調べておくべきだったなと思う。

半年の不十分な準備を経て、夫婦ともに日本の仕事を辞め、ベトナムへ出発するのであった。

にぎやかで人が良くてご飯の美味しい国、ベトナム。観光じゃない、ふつうの生活が始まった。