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Google Playがアプリの個人開発者を実質的に締め出そうとしている件について

個人開発者はいらない

一つの時代が終わったと言ってもいいでしょう。
「20人以上のテスターが14日以上連続で」という要件は、新規の開発者のみに適用されるということで、既にアカウントを持っている人には猶予があります。
おそらく3年ぐらいでしょうか。

Googleがこのような方針を打ち出したのは、経済合理性に基づく判断と思われるので、同じような条件下にあるAppleも似たような施策を打ち出すことが予想されます。
「アプリが多すぎるから減らそう」ということです。

たとえばDeveloper Programの費用を大幅に引き上げる、なども考えられます。
現状で年間100ドル程度ですが、年間500ドルとか1000ドルにすればもっと簡単に減らせるでしょう。
まあGoogleも値上げは検討した上で「金の亡者」と呼ばれるリスクを嫌って、品質重視という建前にしたのだとも考えられます。
Appleはさらに別の方法を取るかもしれませんが、いずれにしても我々が「多すぎるから間引いてやろう」という対象になってしまったのは事実です。

Steamはソフト1本ごとに約100ドル取っているので審査の負担が比較的軽いのと、Epic StoreやMicrosoft Storeといった競合があるので、当分は現状維持でしょうかね。

任天堂は、次世代機と一緒に新たな制限が来そうな気はします。
おそらく次世代機向けの参入資格は、Switchよりも厳しい物になると予想します。

古き言い伝えは真であった

大多数のプログラマーがいつもお世話になっている StackOverFlow の創業者は、熱心なアルファブロガーだった時期がありました。
彼が書いた古文書(の日本語訳)が Internet Archive に遺されています。

ストラテジーレターV

重要な部分を抜粋すると
スマートな企業は彼らの製品の補完財をコモディティ化しようとする。」
ということです。

我々は代替可能な存在、コモディティとして扱われているのですね。

「プラットフォーム」と「コンテンツ提供者」は、仲良くなろうとしても根本的には利害が一致しない間柄です。
Unityのようなツール開発会社も同様です。
もちろんプラットフォームに気に入られることには絶大なメリットがありますが、それは教師のお気に入り(Teacher's pet)として利益を享受するようなところはあるでしょう。
むしろ、ゲーム開発者同士で仲良くするほうが利害が一致するでしょうね。

プラットフォームとコンテンツ提供者の葛藤はあらゆる場所で繰り広げられています。
Youtuberの広告収益が下がったとか、そういう話も同じですね。

そういえばAmazonのKindle Marketでエッセイマンガを出して生計を立てている友人がいました。
Kindleの料率は、既存の出版社の印税よりもかなり有利になっています。
しかし、今後AIが書いた自己啓発書やらビジネス本やらマンガやらが増えすぎたら、Amazonも「間引く」という判断をしてくるかもしれませんね。
その時に、今回のGoogle Playと同じようにKDPも品質面での制限を設ける施策を取るとしたら、出版社時代に逆戻りでしょうか。

Google Playが今回の施策で求めているのも、出版社(パブリッシャー)なのだと思います。
生apkをパブリッシャーに審査してもらって、パブリッシャーが品質を担保して出してこい、ということですね。
書籍の流れと逆です。

どう生きるか

ジョエル・スポルスキの古文書には以下の一文もあります。



ではなぜ世界のビデオチップベンダはゲームをどうにかしてコモディティ化しようとしないのだろう?それはずっと難しいからだ。ゲームHaloがすごい勢いで売れているのなら、実際のところそれには代替財が存在しない。あなたは映画館にスター・ウォーズ:クローンの攻撃を見に行くかわりにウッディ・アレンの映画を見て満足しはしないだろう。どちらも素晴らしい映画かもしれないが、完全な代替ではないのだ。


残念ながら、ついにゲームもコモディティとして扱われてしまいましたが、全てのゲームがそうというわけではありません。

コモディティではない優れたゲームを作るしかない、ということでしょうか。
あるいは、ゲーム以外の物を作るのか・・・

Steamを信じるか。
あと数年であろう猶予の間に全力でポジションを築くことを目指す、か。
それとも、ツルハシを売る側に回るのか・・・

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