見出し画像

初めましてのご挨拶

 みなさんはじめまして。石本憲史と申します。

 これからnoteを投稿していくにあたり、 「まずは自己紹介だ!」ということで、ありきたりではございますが、自己紹介を作成いたしました。お時間ございます時に、ご一読いただけましたら幸いです。

まずは簡単なプロフィールから。

プロフィール

  • 名 前: 石本憲史(いしもと・けんじ)

  • 誕生日: 1989年9月22日(ギリギリ平成生まれです!)

  • 出 身: 高知県高知市(ちなみに、お酒は全く飲めません)

  • 血液型: A型

  • 趣 味: サウナ・ランニング

  • 事務所: 長居公園のすぐそば

事務所のほど近くに住んでおり、司法書士をしています。妻と1歳の息子と3人で暮らしています(2022年8月現在)。


これまでのキャリア・経歴

1.出生そして高校卒業まで

 わたしは、平成の夜明けとともに高知県高知市に生まれました。幼い頃からTVゲーム(一人でもくもくと打ち込むタイプ。RPGばっかりやっていました)が大好きで、暇さえあれば家でゲームをやっているようなインドアな人間でした。 
 かけっこでは万年ビリしかとれず自分の運動神経のなさに打ちひしがれつつも無難に幼稚園・小学校を卒業。その後,地元の中高一貫校に進学しました。
 中学・高校では、「幼馴染が入るから」という理由のみでバドミントン部に入部。四苦八苦しながらシャトルを打ち続けました(実は、見た目の割にバドミントンはハードなスポーツです。)ささやかな楽しみは,チャリでの移動時間にMDで聞く好きな歌(ミスチルやBUMP OF CHIKEN、HY世代)でした。

 そして,いよいよ郷土を離れて大学への進学を考える時期となりました。漠然と法律への憧れを抱いていたので,大学受験をするにあたり志望した学部は全て法学部。
 「標準語が怖い」という、今となってはまったく理解不能な恐れをもっていた当時のわたしは、大阪にある国立大学を2つ受験しました。しかし、本命だった国立大学は全て不合格。併願していた関東の山奥の大学の法学部へと進学することに、、。


2.大学生活と進路決断

 大学生活1年目はひとしきり遊び続け、自分が高知県出身であるにも関わらず下戸であることに打ちひしがれたり,いままで一度もスキーをしたことがないのになぜかスキーサークルに入ってしまい、冬休みは雪山に2・3ヶ月籠もってインストラクターのバイトをしながら生活したりしました。大学での様々な人との出会いは衝撃の連続で、四国の片田舎から出てきたわたしは、世の中にはこんなにすごい人や面白い人がいるのだと何度も思ったことを覚えています。

 2年の春を迎えた頃、一足先に就職活動を終えて社会へと出ていく先輩方の背中を見て、改めて自分の進路について真剣に考えはじめました。
 当時は、法科大学院ができてしばらく経ち、弁護士さんの数の増加が少し叫ばれてきたところでした。就職活動をうまく乗り切れるほど世渡り上手な自信もないし、かといって一人暮らしを続けつつ法科大学院に通い、2年間の院生活を終えてから、いつ終わるかもわからぬ司法試験に挑戦するほどのお金の余裕もありませんでした。ただ、弁護士にはなれないとしても、小さい頃から漠然と抱いていた「法律に関わる仕事がしたい」という強い思いはありました。
 そんな思いを抱きながら、将来どうしようか迷う日々を過ごしていたわたところ、2年生の夏のある日、大学生協に置かれていた予備校のパンフレットの司法書士という文字が目にとまりました。そのパンフレットを手に取ってから、家に帰って司法書士について色々調べてみました。弁護士の先生と違って裁判ではなく登記という平和産業が専門分野であること。法科大学院の卒業しなくても受験資格があること。登記という仕事は全国どこにでもあり、全国どこでも活躍できること。などということを知り、争いごとを好まず、しかも将来高知にUターンするかもしれない自分にピッタリな法律資格じゃないか!と思いました。

 その後親とも話し合い了承を得て受験を決意した私は、大学2年生の秋から司法書士の勉強を開始。アルバイトと大学、予備校の3足の草鞋を履く生活を始めました。大学2年生の秋から翌翌年の夏まで続いた受験期間中は、大学生活を謳歌している友人たちを横目に、毎日のように予備校に通いつめました。
勉強すればするほど改めてこの試験の難易度を感じ、なぜこんな勉強を始めてしまったのかと思った日もありました。しかし、約2年半の勉強の末、平成24年に司法書士試験に合格することができました (合格点の1点上での合格。まさにギリギリ合格でした)。


3.合格そして都会での勤務へ

 試験に合格した後、大学時代の先輩が以前勤めていた司法書士法人(司法書士が集まった会社のようなもの)に半ば紹介のような形で入所しました。その事務所は不動産取引(お客様の不動産の購入に関わるお仕事)を大量に行う事務所でした。関東全域でマンションを販売されている業者さんとのお付き合いがありましたので、その関係で1都3県を電車で駆け回りながら、不動産登記に関する経験を、たくさんさせていただきました。 

 東京で事務所に勤め3年ほど経った頃、これから先の自分の人生を考えるようになりました。田舎生まれの人間でしたのでなんとなく最終的には実家の高知県に帰り、地元の事務所であと何年か修行させていただいてから、独立するつもりでいました。
 しかし、地元の先生方に話を伺うと「高知に帰ってくるのであれば開業しかない。勤めるようなところは田舎にはないよ。」というお答えばかり。当時は、まだ自分がどんな司法書士になりたいのかということが定まりきっておらず、「高知に帰り独立する」という選択はできませんでした。

 悶々とした思いを抱えながら情報を収集していたところ、鹿児島県の離島で勤務司法書士を募集しているという求人を発見。これしかない!と思い、人生で初めて士業のHPの代表宛てに、直接問い合わせのメールを送りました。先方もまさか東京の司法書士から応募が来るとは思っていなかったようで大変喜んで頂き、LINE でのビデオ通話による面接(当時日本中のどこの事務所でもビデオ電話での面接をしていた事務所はなかったはず)を経て、無事その先生の事務所にお世話になることが決まりました。今思えば、よくもまああんなに大胆な決断を思い切ってしたものだなあと思います。

ただ、どこでも働けるような存在になろう!と思って資格を取得したのに、何故自分はこんなにも東京に縛られてしまっているのだろうかと思うことは多々ありましたので、当時、自分がそのような決断をしたことはやはりある程度当然の結果だったのかもしれません。


4.新天地へ

 そして翌年、東京での約4年の事務所勤めを終え、離島での司法書士業務に携わることになりました。今までは不動産業者様を通して依頼される比較的定型的な業務を行っていましたが、一般のお客様から予約なしで突然多種多様な相談が来るのが田舎のあたり前。あまりにも都会と田舎で司法書士に求められることが違うことに、当初は戸惑いました。


 生活様式もがらっと変わりました。東京では電車に乗ってどこへでも行けたものが、離島という田舎では車がないと生きていけません。 

 正直なところ、ペーパードライバーだったわたしが、当初何よりも心配していたのはわりとドジな自分が本当に車を運転できるのだろうかということでした。移住当初、事務所のボスに見守られながらバック駐車の練習をしたのはも今思うと良い思い出です。笑

 田舎でしかできない様々な経験や、新たな人との出会いなど様々なものに恵まれながら、離島生活を4年半ほど経験しました。離島での生活の中で、幸いなことに妻とも出会うことができました。


5.定着とこれから

しかし、もともと実家ではないサードプレイスの田舎で永住することは自分には難しいと考えておりましたので、家族としての幸せの最大化や実家へのアクセスなど様々なものを考慮した上で、妻の実家である大阪に戻り独立することを決めました。


その後、令和2年12月に大阪に移住し、令和3年1月に大阪でいしもと司法書士事務所を開業し、現在に至ります。
大阪に来てから今年4月までは先輩の事務所を間借りで使わせてもらっていました。大阪で活動する中で、少しずつご縁が広がっていき、おかげさまで令和4年4月には、長居公園のすぐそばに自分の事務所を構えることができました。

司法書士として、東京⇒離島⇒大阪というかなり特異なキャリアではありますが、これからはいままでのキャリアで培った経験や人脈を生かしつつ、大阪に根を張って活動していきます!

みなさまどうぞこれからよろしくお願いいたします。





この記事が参加している募集

自己紹介