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上越立ち止まりスポット11(監物堀)

春日神社のすぐ横にある監物堀。住宅地のはずれ、春日山の麓に広大な野原がひろがっている。

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春日山城跡の全景の模型がおかれている。

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「上越ふるさと事典」にこう記されている。

「謙信のあとを継いだ景勝は、慶長3年(1598)豊臣秀吉の命により、会津に移された。代わって越前北ノ庄の城主堀秀治が春日山城主となった。東砦に連なる長さ1200mに及ぶ監物堀は、幅約7mの土塁と外側にある10mの堀からなっていた。現在、土塁はけずられ、堀は埋められ、水田や畑になっているが、残された微地形の中に往時の姿が偲ばれる。昭和53年、上越市教委で遺構の発掘調査がなされた。出土品の中には船載品・瀬戸・美濃焼という高級な陶器があった。

歴史のifを考えるのは面白いことだ。1600年前後の越後春日山は、他の戦国武将の城都市にひけをとらない日本有数の都市だった。上杉謙信が脳溢血で急死しなければ、織田信長は天下をとるチャンスはなかった。戦国最強だった上杉軍と青苧による財力をもち、欲ではなく義のために動いた上杉謙信が天下をとったに違いない。日本の歴史は大きく変わったはず。もしかすると、この地が皇居とお堀になっていたかもと思いをめぐらす。知人のその筋の研究者の話を思い出す。上越は掘れば歴史上のお宝が出てくる。国宝級のもあるはず・・・ただし、掘り出したら責任をもって保管しなければならないけどね、という話。

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夏の謙信公祭のときは、ここで上杉軍団(公募します)が集まり、出陣式を行う。ガクトが何回も上杉謙信に扮し、全国からファンが集まった。我が家から5分なので、ただならぬ騒ぎに覗きにきたものだ。


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