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飛行機の本#13単独飛行(ロアルド・ダール)

「人生は数多くの小さな出来事と、数少ない大きな出来事から成り立っている」
書き出しの言葉である

ロアルド・ダール、22歳から25歳までの自伝。前半は、学校を出てシェール石油の社員となり東アフリカ駐在員として派遣された体験記、後半は戦争が始まり、志願して戦闘機パイロットとして戦った記録。この自伝は70歳くらいの時に書かれていることにちょっと驚く。50年前のことなのにまったく大人くささがない。ロアルド・ダールは22歳以前の自伝『少年』も書いていて、その続きになる。

前半のシェール石油駐在員の体験記は愉快な話が続く。戦争が間近にせまっているという雰囲気が漂ってはいるが、大英帝国の威光の中で東アフリカでの暮らしは、学校を出たばかりの青年にとって冒険に満ちた日々だ。

タンザニアのダルエスサラームに到着した時の印象を次のように書いている。「ベッドから跳び出して舷窓から外をのぞいた。そのはじめて目のあたりにしたダルエスサラームの眺めを、わたしは決して忘れない。<ドゥムラ号>はさざ波だつ広大な暗青色の潟の中央に停泊していて、潟はほとんど白に近い薄黄色の砂浜にぐるりととりまかれ、砕け波が砂に打ちよせていた。小さな緑の葉の帽子をかぶったココヤシが浜に生いしげり、デリケートな灰緑色の木々がうっそうとからみあって、昼なお暗く、サイやライオンなどありとあらゆる猛獣がうようよいるに違いない、と思えた。一方には白や黄色やピンクの家々の細い尖塔とドームをいただくモスクが見え、埠頭にそって深紅色の花をいっぱいつけたアカシアの並木が立ちならんでいた。われわれを岸へ運ぶためのカヌー船団が漕ぎ出してきて、黒い肌の漕手たちが手に合わせて不思議な歌を歌っていた。舷窓を通して見るこのすばらしい熱帯の光景は、それ以来そっくり心に焼き付いている。」・・・確かに焼き付いていることがわかる。この文章は50年後に書いているのだから。

広大な東アフリカ地域のシェル・カンパニーは3人の若者で仕切られている。その中で一番若い。身の回りを世話してもらうボーイ(といっても二人の妻たちと子供たちがいる)と、営業の旅をする。人を殺すような毒ヘビと戦ったりや女性を加えて逃げるライオンを追ったりと冒険にあふれた日々を過ごす。そして、ドイツと開戦。アフリカの現地にいるドイツ人たちとの不思議な戦いを経て、イギリス空軍(RAF)に志願する。

後半は、様相ががらりと変わりパイロットとしての訓練、事故による墜落、ギリシアでの航空戦を中心に語られる。

訓練で使われた飛行機はタイガーモス。手を離しても勝手に飛んでくれると言われるような優秀な練習機。そして、戦闘機として乗ることになったのがグラディエイター。味方の中隊と合流するために飛ぶことになったが、グラディエイター自体にも慣れていない、長距離飛行も初めて、航法もおぼつかないまま地図一枚渡されただけという状態で、しかも目的地を間違って教えられ燃料がつき墜落した。墜落直後に火災がおき、無意識の中で逃げ出すが顔面がやけどで両目も一時的見えなくなるという大事故を起こす。このことは「飛行士たち」という本の「簡単な任務」にまとめられている。大けがのあとは、ハリケーンを与えられギリシア航空戦に加わる。劣勢でのドイツ軍との航空戦。1000機くらいのドイツ軍機に対しイギリス軍の飛行機は15機しかなく、圧倒的に不利な状況で戦わねばならない日々が綴られる。実戦経験のないまま、いきなり単独で敵と戦わねばならない。ハリケーンの乗り方も教えてもらうことなく最前線デビューする。編隊飛行するための訓練をする余裕もないし、何よりも多くの敵に向かうために単独で飛行をするしかなかったのだ。それが表題になった。練習飛行で行う単独飛行の経験談かなと本を読むまでは考えていたが、単独で敵と戦わねばならないという意味でこの題がつけられていたのだ。

「わたしははじめてハリケーン機に乗り込んでシートベルトをしめたとき、茫然自失した。単葉機に乗った経験はなかった。それは疑いもなくわたしがはじめて乗る近代的な飛行機だった。いままで見た飛行機よりも何倍も強力で、スピードがあり、操縦が難しかった。それまで格納式の車輪を持つ飛行機にのった経験はなかった。着陸時の速度を落とすためにウイング・フラップを使うタイプの飛行機に乗ったこともなかった。可変ピッチプロペラや翼に八基の機関銃を持つ飛行機にも乗ったことがなかった。そんな飛行に乗るのは生まれて初めてだった。」

宮崎駿さんがあとがきで書いている。「日本では戦争の終わりころになると二百時間ぐらいの訓練生が飛んで、そして死んでしまい、ドイツでも戦争末期には八十時間飛ばして、飛んでいるのがやっとでした。練習中に落っこちて死んでしまう人がやたらと多い時代だったんです。でも、イギリスはもっとすごい。何も教えないで、そのまま引っ張り出してしまう。」

宮崎駿さんがあとがきを書いているのだ。宮崎駿さんはロアルド・ダールを好きな作家と言っていることを知らなかった。この「飛行機の本」シリーズを書き出したとき、サン・テグジュペリやロアルド・ダールなど好きな本から書いていこうと思った。すると宮崎駿さんの影がちらちらしているのだ。宮崎駿さんが前を歩いている。

ロアルド・ダールはカメラが趣味ということで、当時の写真がたくさん掲載されている。また、「ママへの手紙」が最初から最後まで通して出てくる。ママへの手紙は、家から離れて自立しているからこその愛情に満ちていて、決してママに依存しているというものではない。このことについても宮崎駿さんも次のようにあとがきで書いている。「非常に短い文章の中に、国全体の雰囲気とか、それからお母さんに対する気持ちとか、彼を支えているのが何だったか、お母さんとそのある時代の何かが彼を支えていることがわかります。それが素晴らしいハッピー・エンドへつながるわけです。人はかく生きられるんだということでも、とても魅力的な作品だと思うんです」

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写真がたくさん掲載されていて、前半は紀行文のように楽しめた。後半は戦場になるので様相がかわる。


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デ・ハビランド DH.82 タイガー・モス
イギリスの練習機。1920年代に開発され民間機として使われた。1930年代には軍用型の練習機とし使われ、イギリス空軍のパイロットはみなこれで操縦を覚えた。
操縦しやすく第二次世界大戦後も世界中で使われた。イギリスで作られたサンダーバード・シリーズでも6号がターガーモスである。

グラディエーター
イギリスの複葉戦闘機。「飛行機の本#11飛行士たちの話(ロアルド・ダール)」でグラディエーターについて紹介している
https://note.com/ishimasa/n/nca09d19d27a2

ハリケーン
イギリスの戦闘機。「飛行機の本#8禁じられた約束(ロバート・ウェストール)」でハリケーンについて紹介している
https://note.com/ishimasa/n/n6c1c46526577?magazine_key=md6976e797df7

単独飛行  GOING SOLO
ロアルド・ダール 著
永井 淳 訳
ハヤカワ文庫 2000




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