見出し画像

情報社会を生き抜くための本56「オードリー・タン」その7 プログラミング思考(オードリー・タン)

日本では5Gは都市部からスタートしている。しかし、台湾ではオードリーの考えにより地方からスタートしている。なぜ、地方からなのか。

地方の子どもたちは、都市部の子どもたちに比べて多様な刺激を受ける機会が少ないこと、家庭に問題があったり親がいなかったりするときにフォローが難しいことがある。そこでデジタル学習パートナーという人材を配置する。都市部の大学生が、デジタル機器を通じて地方に独特の問題を解消する手助けをするのだそうだ。「都市と地方の教育格差の是正を図る」という政策の1方法。僻地教育を塾という担うNPOの力を借りたり、先住民の教育を民の力で実験学校を作ったりとさまざまな教育政策をデジタルを利用しながら展開する。5Gもそのために地方からスタートしているのだ。
(これは実際にどうやっているのか見に行きたい)

オンライン学習についてもデジタル担当相になる前から取り組んでおり、ノウハウと知恵をもっている。オンラインの利点とオンラインでできないことをわかっている上で「最も重要なのは、必ずこうしなければいけない、これを勉強しなければいけないと考えず、特定の方向性を設定せずに学ぶこと、そして「いかに好奇心をもつか」ということ」と述べる。理論の学習と実際に田んぼに行ったり、家畜と過ごしたりする経験(ネットではできない)を組み合わせることを重視する。
(その通りだ)

オードリー自身は中学校を中退して自主勉強をしたが、高校や大学へ行くことの意義をつぎのように説明している。「自分がどんな問題を解決したいか」という関心を探ることが重要である。何を勉強したらいいのかわからないのであれば、まだ勉強を始めないほうがいい。・・・自分の興味あることを探して、それについて学び、仕事として生かしていけばいいのです。」

デジタルに関する「スキル」よりも「素養」を重視せよと、オードリーは述べる。「スキル」は、求められていることを時間内に、そして一定の条件の下で素早く正確にこなせることで、「素養」は平素の学習で身につけた教養や技術のこと。
(これこれ、いつもゼミの学生に話していることだ)

プログラミング言語を学んでも役にたつかどうかはわからないが、プログラミング思考を学ぶことは意義あることという。プログラミング思考とは「一つの問題をいくつかのステップに分解し、多くの人たちが共同で解決する」プロセスを学ぶことという。
(プログラミング思考についての説明は、仕事柄(私はプログラミング領域が専門の大学教員)たくさん読んでいるが「多くの人たちが共同で」という視点は初めてだ)

小学校の先生にはプログラミング思考(一つの問題を小さな問題に分け、複数が共同で解決する)を、別の教科の授業にも取り入れて欲しいという。教科と切り離して学ぶのではなく、授業に合わせてプログラミングを取り入れることが重要と述べている。それがプログラミング思考の「素養」となるのだ、と。
(うーん、学習指導要領にも教科の中で実施せよと書いてあるけど、説得力が違う)