『嫌われる勇気』ブックレビュー

新たな刺激を受けた本が記憶に残るのはよくある話。でもこの本はむしろその逆。読んだ時、世の中の「衝撃だった!」「これまでにない発想で画期的だった」といった評価に反し、僕の中ではむしろ納得度が高い、「その通り」と思える本だった。結構昔から密かに思っていたことを言い当てられたような、うまぁく言語化してくれたような納得感。とてものどごしのよかった本です。要点をまとめていきます。

過去にどんな意味を与えるかによって生を決定している(P30)
「人は感情に抗えない」は嘘(P36)
大切なのは与えられたものをどう使うか(P44)
変わらないのは変わらないと決めてしまっているから(P51)
自分の人生を決めるのは今、ここにいるあなた(P57)

人生は今この瞬間、自分自身の決心によって変えられる。どうとらえるか、どうしたいかの意識によって世の中の見え方は変わる。そんなことをメッセージとしている。これ、とてもそうだと思う。

僕の例で言うと、ここ数年、妻の影響もあって年が明けた時に今年の目標をスケジュール帳に書いているんだけど、これめちゃめちゃ効果があると思っている。去年の振り返りと反省にもなるし、明確に言葉にして残すことによって、その年の途中や年末に再度心を燃やすきっかけになる。人ってその瞬間の気持ちと”いっちょやってやるか!”という勇気だけで、いつでも変われると思う。停滞したりすることを否定するわけではないが、変化を恐れて新たな価値観を取り入れないのは自分の世界観が広がらなくてもったいないし、広げるにはまさにいろいろとやかく言い訳せずに、一歩踏み出すことが重要。つまりなんか自分が今煮え切らないとしたら、今ここから変えられると。思わず耳を塞ぎたくなる側面もある言葉だが、とても強く頷けた。

価値(=ライフスタイル)の転換(例:身長が低い→相手に威圧感を与えない、とも捉えられる)(P75)
劣等感≠劣等コンプレックス≒優越コンプレックス(P81,86)
不幸を武器に、特別になろうとする人がいる(P89)

何かの事象をどうとらえるか、これが重要。”健全な劣等感”をもてば、それを伸びしろととらえさらに自分を向上させられるが、そうでない場合「劣っている」「不幸である」ことを盾にして自分を卑下して特別感を演出したり、逆に「自分は昔○○だった!」などと虚勢を張って優越してることを演出してしまう。これはあるねぇ。たとえばSNS。僕の友人は比較的SNSをうまく使っている人が多い印象で、まさにブックレビューしている人なんて少し前までは『だから何?』って正直思っていたけど、アウトプットの場に利用していたんだって最近気づいて素晴らしいなって思った。一方で、よくわからない自慢話や”その正義感、自分の中にとどめておいたほうがカッコよくないか?”って思う投稿もちらほら、ほんとにちらほら散見される。これはある種、『自分はみんなより幸せ!』『自分は正しい!』という不安感、劣等感を払しょくするための姿な気もする。

んで、無理して自分の特別感を演出するような、『劣等コンプレックス』『優越コンプレックス』の人と対峙した時には、徹底的に”権力争いにはのらないこと”(P105)が重要とのこと。同じステージに立たないこと。怒る必要も競う必要もない。

承認を求めてはいけない、相手の価値観の中で生きるべきではない(P132)
課題の分離(=自分についてどう思うかは相手の問題で、自分が操作できることではない。だからそもそも気にすることに意味はない)(P162)
自由に嫌われる(ことも気にせず自分にスポットを当てる)勇気が必要(P162)
人に対し、褒めても叱ってもいけない(P197)

『課題の分離』の表現がいいよね。『馬を水辺に連れていくことはできるが、水を吞ませることはできない』。これって一見相手に興味を持たない、冷淡な印象を受けるけど、実際はそうではなく、相手は相手と割り切って、ただひたすら自分を磨くことに集中することを意味している。僕も昔から「人に興味がわかない」っていってきたけど、本質的に言いたかったことってここなんですよ。アドラー、もっと前に出会いたかったw逆に、相手の領域を犯さないためにも、無駄に『評価しない』ことが重要。最もいい関わり方は、「ありがとう」を伝えること。そうすれば、相手に”貢献できた”と思ってもらいやすくなる。

また、できない自分を受け入れる(P277『自己受容』)ことと相手を仲間だと思い信じる(他者信頼)ことで、「ここにいてもいい」と実感(=共同体感覚)を得られ、幸せになれる。自分のなりたい姿に向けた自分の行動や出来を、周囲との比較ではなくあくまで個人として自分自身を評価するという、まさに最初から最後まで自分に矢印の向いた素晴らしい考え方だと感じた。この貢献感、僕はよく家事をやっているときに勝手に感じている。周囲がどう感謝してくれるとか、どう思っているかは正直関係なく、自分が役に立っていると勝手に感じている。だから常に満足だし楽しいし、決して”やってあげてる”と思わずに済んでいる。だからこそ逆に、たまに皿洗いでお皿割った時とか、洗濯物の色物/白物の分け方をミスった時に妻にとがめられると、パニックになるのよね。絶対に役に立っていると思っている状態から、一気に”え、僕今迷惑かけてるの?”ってなって(笑)

とはいえ、それでもこちらが貢献感を持ち続ければいいのよね。

そしてこの本は後半にいい言葉を寄せてくる。

人生とは連続する刹那(P264)
われわれは「いま、ここ」にしか生きることができない(P264)

人生を登山に例えた時、『登頂』を目的にしてしまうとそこまでは過程でしかなくなってしまうが、本当は今この瞬間が大切なのだと訴えかけてくれる。旅が目的地まで一直線にいくものではないのとの同じで、人生もその一歩一歩、一瞬一瞬が大切。この話、元山岳部の僕にとっては非常にわかりやすい。

登頂(=成功、達成)を目的にしてしまうと、仮にそこに至らなかった時その過程に意味を見出せなくなる。でも何を感じどう過ごしたか、その一瞬を大切に紡いでいけば、結果がどうあれ素晴らしい登山になるって話だ。僕、高校時代あたりでこれを学んだ気がする。山岳部、入ってよかった。

人生との向き合い方、人との向き合い方を示唆してくれたこの本は、数年前に買って、繰り返し読み続けている。でもレビューを書いたのは初めて。共感度が非常に高いこの名著。またそう遠くない日に読み直したいな。

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