小学6年の担任とのハートフルな思い出

小六の担任Sはまあとんでもない女性教師だった。

進級早々、これまでのアダ名を全部捨てさせ、新しいアダ名を強制されるのだ。
例えば小林君は「コバ」だったのが、呼び捨てみたいでダメだから「コバくん」
自分はずっと馴染みがあった「イシケン」を禁止され「イシちゃん」
教師曰く、みんなは新しく生まれ変わるとかなんとか言っていた記憶があるが、今考えると頭おかしくて恐ろしい。
音楽の教科書の君が代をマッキーで塗りつぶすのも強制的にやらされた。ゴリゴリの日教組だと今ならわかる。

原始人の格好をした似顔絵の自キャラを画用紙に書いて切り抜き、教室後ろの掲示板の左端に画鋲で止めるのだが、これはSにとって良いことをした際、1歩ずつ右端(未来)に向かって進める。ある程度ポイントが貯まって前に進むと、服を着せてもいい権利が得られる。Sに反抗し続けると原始人のままなのだ。こんな子供騙しだけど、自分ともう一人以外はこぞってポイント稼いでいたなあ・・子供の洗脳が抜群に上手かったんだろう。

ちなみに良いこと、というのはチクリ密告、教室会議での糾弾の発言者とかそういうレベルである。あとはSが授業中にチョークが折れて落ちた場合、真っ先に拾った奴がポイントもらえる。なのでチョークが折れた瞬間、自分含む2人以外は光の速さで拾いに行くのだ。おかしな光景だけど実話である。あとは日誌当番がSがどれだけ良い先生か書く、それが翌日発表されポイントゲット。自分は何書いたか全然覚えてないが、絶対にSのことは書かなかったと思う。

全てにおいて班の連帯責任制だったため、班員はこぞって自分を「真人間」にしてこようとしてくるのが、本当に気持ち悪く・・。宿題を忘れると、黒板の下に正座させられ、班員が迎えにくるまで椅子に戻れないのだが、「真人間」にならない自分に諦めたのか、いつしか迎えに来てくれず、チョークの粉が降りかかる黒板下で授業を受けることもよくあった。いや宿題忘れるのも悪いんだけど、異常な光景だ〜!朝から給食までそこで過ごしたこともあった。よく心折れなかったと思う。鈍感で空気読めないからだけど。

ある日の図工の粘土工作で、Sのお気に入り(媚び媚び野郎)の作品が、乾く前に図工準備室の机から落ち、踏まれていたことがあった。皆は聴取されることなく、何故か普段から反抗的(一般的にそうでもない)な自分のせいにされたのだ。許せねえ!今考えても腹が立つ!まあ犯人は反抗的なもう一人で、その犯行を見て知っていたのだが。もう一人を売らなかった当時の自分を褒めてやりたい。

エピソードは腐るほどあるが、やがて卒業の頃。Sは
「みんなが最後の生徒で、私は教師を辞めるの、みんな元気でね!」
と突如言い、自分ともう一人以外のクラス中がわんわん泣いて、Sを中心に抱き合い、安いスクールドラマみたいな光景を見せられたことがあったが、卒業後に他の教師に聞くと、別に教師はやめておらず単に異動になっただけとのことで、本当に頭おかしい人だったんだと感じた。完全に信じ切るクラスの人たちも(子供とはいえ)どうかと思うが・・。

時は過ぎ、20歳になった頃同窓会があった。幹事には
「絶対にS先生を呼んでくれ、あの頃の感謝を伝えたい」
と言い、実際にノコノコ来たら色々問い詰めようと思っていたが、流石に来ようとはしなかった。
あの頃のことを同じクラスだった面々に聞くと、今考えるとおかしかったよな〜みたいな話になったし、なんならわかった上で上手くやっていたらしい女の子もいた。
Sが一番のお気に入りだった媚び媚び君の評価は、「良い先生」のままだった。少し心配していたが、やがて彼は東京で役者を目指すと上京し、まんまとアムウェイにやられ自分にも連絡してきた。ある意味では最もピュアだったのかもしれない。


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