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経年変化する人間関係について

おはようございます。

表題の件、最近すごく課題でもあり、もどかしく感じています。

飲み屋で意気投合した同年代くらいの友人が増えたり、仕事を一緒にする中でプライベートでもお付き合いするようになった人が増える一方で、

小学校の頃とても仲が良かった友人と今では連絡もとっていなかったり、
中学三年間、部活で一緒に汗を流した仲間とは音信不通だったりする。

諸行無常がすごい...。昔の友情関係はなんだったんだ、と...。


一般的に「人間が円滑に安定して維持できる関係は150人程度である」といわれています。イギリスのダンバーさんが唱える「ダンバー指数」というものがあり、人間の脳の大きさから社会的な接触を持ち続けることができる限界は150人程度と言われています。もしばったり再会した時にお酒を飲んだら気まずいか気まずくないか、が境界になるそう。

FacebookやTwitterの友達は1,000人くらいいても、そんな関係の人150人もいるか...?と不安になるくらいには、今も付き合いのある友人はいない気が。

どうしても仕事などが理由で定期的に会う人は限られており、「久しぶりに会いたいな〜」と思っても地理的な理由や時間的制約、金銭的な制約で会えない人が多い。そして、それはどうしても、古い関係ほど先延ばしにしてしまう傾向にあるように思う。


10年来の親友や高校から大学、社会人になっても定期的に飲み続けているような友人のプライオリティは依然として高いままである一方で、そうでない人は今どこで何をしているかも含めて不明である。

そう思うと、物やアクセサリなどと同様人間関係も経年変化するのだなぁ、と実感する。


一方で、この経年変化は自分の怠慢なのでは、と感じる時もある。1、2時間おきに人と会う予定を詰め込んでいる友人もおり、そういった努力(?)をすることで150人というボーダーを超える方法がないわけではない。

会う側からすれば、1,2時間喋って「次あるからバイバーイ!」と言ってくるような人が、自分の境界内に位置するような人間なのかも不明なので、これが良い方法なのかはわからないが、そういった道もあることにはある。


だからこそ、1年おきや数年おきに同窓会や忘年会を開催してくれる幹事たちには感謝したい。これも人間関係の経年変化を阻止する一つの方法だと思う。「久しぶりだね〜」という言葉を社交辞令ではなく、本当に懐かしんでかけたいと思える友人が何人もおり、そういった友人にはやはり自分から声をかけて定期的に飲みにいきたいと思う今日この頃です。




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