考える、とは何か。創造する、とは何か。の続き。

お題をくれた松島さんから返事をもらえた。

特に印象深かったのは、
「このインスピレーションってやつは、顕在意識が「弱まっている」ときに、起きやすいとは体感的に思う。多くの本もそう言っていると思う。」
とかいていて、一方で、
「でも「考え抜く」とか「ひらめく」みたいになってくるとちょっとニュアンスが違ってくる。考えて、考えて、考え抜いて、ひらめいた。みたいになると「創造する」っていうニュアンスが出てくる。」
ともかいている。つまり、「考えきる」ということが、「創造する」との関係性に置いてどんな感じなのかが更に聞いてみたくなりました
考え抜くとは、潜在意識が非常に強い状態だけど、そこをへてからのひらめきでしかないのか、たんなるひらめきはあるのか、また考え抜いてからひらめくといったときに、4次元と5次元の話は

対話が好きだ。

ホントにそう思う。大好物なのだ。それこそ、対話は、創造性の海の中を泳いでいるような感じもする。そういう感覚に自分を連れていってくれるところも大好きだ。

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「考え抜いて、それでひらめく」というのは僕のパタンでしかない。

そもそも僕は「言語化」ということに、相当強いこだわりを持っている。執着、と言ってもいい。言語的に説明できるようにならないと気が済まない、みたいな性分だ。

だから僕にとっては「説明できないひらめき」は、あんまり魅力がない。

「瞑想する⇒ひらめく⇒行動する」っていうパタンも一つ前の文章で書いたと思うけど、

こういう人たちは「なんでその行動をとったんですか?」と聞かれても、言語的な説明はできない。説明する気もないし、説明する必要もない。

僕の場合は「考え抜く」とやって、全然答えにたどり着けずに、顕在意識が疲れてくる、弱音を吐きだす、サボろうとし始める。そういうところに、やっとインスピレーションみたいなのが入ってくる。

インスピレーションが欲しいだけなら、そんなことしなくていい。アホみたいだなとも思う。ただ、スペースを空けて待っていればいいわけだから。だから「瞑想する」とか、そういう方法でスペースを作って、ぱっとインスピレーションを受け取る人もいる。

ただ、僕は、同じことを繰り返し言うけど、とにかくちゃんと理解したいし、説明したいわけです。ものすごく顕在意識が強い。だから「インスピレーションにのっとられて」みたいなのも嫌なわけです。

そういう自分の性分もあるし、コンサルタントという職業上の問題もあると思う。説明して、納得してもらわないといけない部分が多々ある。コンサルタントが「え、だって、私の直観がそう言ってますから」では職務放棄に近くなってしまう。占い師なら、それでいいかもしれないけれど。

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直観的な人たちは、対話不能なのだ。少なくとも言語的な対話はとても難しい。「なんで、そうしたの?」「だって、そうなんだもん」ってなる。

これだと、僕はちょっと味気ない。哲学的議論とか、大好きなのだ。大好物だ。だから、それを楽しむには「言語」という遊び道具を、そう簡単には手放せない。

ワインの本質は何だろう。

それは「おいしい」ということそのものだと言う人もいるだろうけれど、僕にとっては違う。「ああ、このワインは、柑橘系の感じがするね・・・」なんて”語り合う”対象となることも、ワインの本質の一つのように僕には思える。(ちなみに、僕はワインの知識とかは全くありません。比喩です)


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