「気候変動問題」の大枠を考える

現在、地球の人口は70億人以上と言われ「地球上に暮らす生物の数として適切なのか?」ということも議論になっていたりします。

気候変動は問題になっていて、これは少し前だと「環境問題」と言われていました。

この気候変動に対して「人類の生産活動が影響している」と言う意見と「人類の生産活動は影響していない」という意見があります。


「人類の生産活動は影響していない」とする立場は、気候変動は、マクロの波(例えば、太陽の活動量など)が大きな要因であって、人間の生産活動の影響などは微々たるものに過ぎないという意見を採用しています。氷期-間氷期のサイクルは、4万年周期や10万年周期で存在していて、それと「人間の生産活動のCO2排出量はほとんど関係ない」というようなことです。


一方で「人類の生産活動が気候変動を引き起こしている」とする意見もあります。この立場からする「人類の経済活動が、環境の悪化を引き起こしている」となります。ですから、ここでは「経済か?環境か?」という問いが生じることになります。

また、もっと根源的な価値観、考え方の問題として「人類が永続的に生き延びることは正義である」とするかどうかの問題はあります。

A.
もし「子や孫が死んでもどうでもいい。私が、私の人生だけを満たせればよい」のであれば、自分が死んだ後の地球環境はどうでもよいことになります。(自分が生きている間の地球環境は大切ですが)

B.
環境「問題」が、「問題である」とする人たちは、基本的に「子や孫も幸せに生きて、暮らしてほしい」と考えているからこそ、環境「問題」を問題であると考えるわけです。

ですから、気候変動について考えるときは、そもそもAという立場なのか、Bという立場なのか、それがズレていれば議論が成り立たないでしょう。AとBは、正解があるというよりも、これ自体が哲学的な非常に難しい重要な問いであると思います。

私自身は、感情的なところも含めてBの立場にあると自覚していますが「Aの価値観の人を完全に否定する」というような論理は持ち合わせていません。自分はAではありませんが、Aが絶対に間違っているというような意見は、全て「Bが正しい」という意見に依拠していると思うので、Aに対する反論は非常に難しいのです。

AとBの立場の違いは、場合によっては「今現在の幸福度」とも関連するかもしれません。あえて書けば、勝ち組、成功者、現在幸せを享受している層は「かわいいわが子にもそれを引き継がせたい」と考えて、負け組、敗北者、現在苦境にある層は「将来のことなんかより、今のこの自分を幸せにしてくれ」と考えたとしても不思議はないと思います。

そう考えると、AとBの問題は、そんな簡単な問題ではないことが見えてきます。

そして、そう考えると、現在の、資本主義、自由主義、競争原理的な社会によってAとBの立場の違いが生まれている影響も考えないといけなくなってくるかもしれません。

環境問題は、環境問題だけでなく、社会システムや、社会哲学の問題とも関係していそうです。

さらに、人間の思考・判断には、感情が大きく影響するものだと思いますから、そもそもAという立場の人は、意見としても①を採用しやすく、Bという立場の人は②の意見を採用しやすいということがあるかもしれません。

私は、自分がBの立場を採用し、②の意見を採用していることを自覚した時に、A-①の人々と共生するときにどれほどの対話の許容度を持っているのか、考えざるを得ません。

なお、AとBは、価値観哲学の領域であり、
①と②は科学的に「こちらが本当だ」と言い切れるはずの領域となると思いますが(実際には、何割ほどは影響がある、と言えるなど)、この「科学的に」ということ自体を共有するのが大変難しくなっているというのが、今の時代の難しさでもあると思います。

「こんな研究結果がある」としても「そもそもその研究データは捏造だ」「結論ありきの研究だ」という反論にあってしまうと、科学的根拠を議論の土台とすることができなくなります。

これは反知性主義として、非常に重要な問題だと思いますが、これは「だから、IQの低い奴はダメなんだ」というように片づけられることではないと個人的には思っています。もし、そのような対処の仕方をすれば、断絶は深まるばかりです。

実際に私も「捏造はありえる」と疑ってかかる心があるため、どういった情報も鵜呑みにすることができずに大変生きづらくなっています苦笑。(ナイラ証言、薬害エイズなど、疑う気持ちを持たなければならないと思うような事象は多々あるように思えます)

ただ。
この難しい問題から逃げる気も、目を背ける気もないのです。
なんの性分か分かりませんが、やれるだけのことをやろう、とばっかり思っています。

共有できる事実を積み重ねて、
丁寧に丁寧に対話を続けていった先に、
素晴らしい未来が待っていると、なぜか非常に楽天的に思っている自分はいます。

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