考える、とは何か。創造する、とは何か。

松島宏佑からもらったお題。

考える、には必要なものがある。

それは言語と、データだ。

広い意味では、楽譜や、数式といったものも”言語”と呼んでいいと思う。

言語なしに考えることはできない。考えるというのは「言語をこねくり回している状態」だと言える。

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「これをしたら、どうなるだろう?」と考える。その時にはデータが使われている。過去の自分の時間。体験。そのデータ。もちろん「本を読んだ」みたいな体験も含めて。

基本的に「考える」という行為は「過去のデータを用いて」「言語を用いて」行う行為だと思う。

でも「考え抜く」とか「ひらめく」みたいになってくるとちょっとニュアンスが違ってくる。考えて、考えて、考え抜いて、ひらめいた。みたいになると「創造する」っていうニュアンスが出てくる。

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フロイトやユングなどの心理学者は「顕在意識と潜在意識がある」と考えた。マズローも晩年トランスパーソナルな領域があることを言い始めて、その後のトランスパーソナル心理学の道筋を作ったりしている。

唯物的な考え方をすると、こういった話はバカみたいな話になる。

潜在意識はまぁ、あるにしても(それは生まれてからの記憶領域という意味で合理的だから)

ユングの言う集合意識とか、マズローの言うトランスパーソナル領域みたいなことは、唯物論的には説明がつかないから。

これは「自分たちの世界が、どんな世界だ」と理解しているかと関係してくるわけだけど、

普段自分たちが生きているこの世界のリアリティ(それを仮に4次元世界と呼ぶ)があって、「世界はそれしかない」と考えるのか、

5次元や6次元もあって「私達の4次元世界は、それらに包まれている」と考えるのか、

それによって違ってくる。

まぁ、僕自身は後者のように世界を捉えているから、「創造する」ということは、5次元とか6次元とか呼ぶものとの接点だと思っている。

インスピレーション、ひらめき、みたいなことはそういうことだ。

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さてさて。

このインスピレーションってやつは、顕在意識が「弱まっている」ときに、起きやすいとは体感的に思う。多くの本もそう言っていると思う。

そしてインスピレーション重視の傾向が強くなると、当然ながら顕在意識軽視の傾向も強くなる。

5次元重視になると、4次元軽視の傾向が出てくる。

しかし”創造する”ということの本質は「5次元から受けたインスピレーションを、4次元の世界で結晶化する」ということだろう、と思う。U理論的に言うまさにクリスタライジングだ。

実はその時に、顕在意識の働きはとても大事だ。顕在意識の働きなしに、クリスタライジングすることは、たぶん、できない。

つまり「受けたインスピレーション」という要素を取り込んだうえで、もう一度考えなければならない。

実際には、少なくとも僕の場合「考えて考えて考え抜く」「途方に暮れる」「インスピレーションがくる」「もう一度考える」みたいなプロセスを、よく踏んでいるなと思う。

もちろん「瞑想する」「インスピレーションがくる」「行動に移す」みたいな人もいるだろうし、その辺は個性もあるよな、と思うけど。

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歌手が「世間を感じて」、曲を生み出す。

そういう「創造」もあると思うし

坊さんが「あの世を感じて」仏典を生み出す。

そういう「創造」もあると思う。

微細に見ていくと、そこにはインスピレーションのもとの階層みたいな違いはあるとは思う。

もしかしたら、人によっては「前者は認めるが、後者は認めない」という人もいるだろう。

ただ、どちらにせよ皮膚で区切られた内側の「自分」と外側の「世界」とがあったときに、創造性というものは「外側との交流」があるもんだよな、と僕は思っている。

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