ネガティブ感情をちゃんと感じきる

ネガティブな感情を抱えている状態というのは辛いものです。
だから、その状態から早く抜け出したくなるのはそれはそれで当然と言えば当然です。
 
なんだったら「感じないようにしよう」ということもしたりします。

悲しみ。
怒り。
嫉妬。
悔しさ。
苦しさ。
痛み。
不安。
プレッシャー。
緊張。

こういった感情が湧いてくると、早くその状態から脱したいという反応が多くの人に起こります。

ポジティブ感情(喜び、楽しさ、平穏、リラックスなど)で1日を満たしていたい、それが幸せで、1日の中でネガティブ感情を感じている時間は少ないか、ゼロにしたい。

そう考えていれば、当然ネガティブ感情は「悪者」になってしまって、排除の対象になってしまいます。


「死の受容モデル」で有名なエリザベス・キューブラーロスは怒りや嫉妬といった感情を抑圧してはいけない、それは身体的な病気へとつながると言っています。

例えば、愛する人と死別した時。
その時に心行くまで十分に悲しむこと。

例えば、出世争いに敗れたとき。
その時に、芯まで悔しがること。

そういうことは本当に大切だと思います。

5つの味、五味は、甘い、しょっぱい、酸っぱい、苦い、辛いです。

どれも大切に味わう、どれにも「旨味」がある。

僕自身、ネガティブ感情の中にしっかりと身を置けるようになってから、随分と人生が楽になったように思います。面白いですよね、パラドックスというか。ネガティブ感情を感じられると、楽になる、って。パッと考えたら混乱しそうです。

例えば、何か仕事で失敗をしてしまった・・・というようなときに脊髄反射というか、防衛反応というかそういうものが出てきます。「俺は悪くない!」とか。

でも、よくよく自分の状態を感じていくと、そこには自分を責める気持ち、自己嫌悪、相手に落ち度があったと相手を責める気持ち、怒り、迷惑をかけてしまったことへの申し訳なさ・・・などなどが渦巻いていることが分かります。

これは「感じよう」としないと分からないので「とにかくネガティブ感情は感じたくないから、この状況を解決しよう」と思考が働くと、自分の内面で何が起こっているのかを感じることが出来ません。

そして、Doに走ってしまう。例えば、形式だけの謝罪を行って事を済ませようとする。自分自身への深い反省も、相手の落ち度を責める気持ちの解消も、何もないまま「とにかくこのネガティブ感情状態を脱したい」ということだけを手に入れようとしてしまう。

一方で「ちゃんと感じる」ということをすると、心の景色が良く見えてきます。
まず失敗が起きたという事実。
間違いなくあった自分の落ち度。
その落ち度を生んでいた、自分の慢心や不注意。
とは言え100%自分だけのせいではなく、何割かは存在していた相手の落ち度。
それに対して相手を責めたい気持ち。
そこは相手にも謝罪をして欲しい気持ち。

相手に過剰に期待していた自分や甘えていた自分。

・・・こういうものがよく見えてきます。

よく見えてくると、本当にどうしたらいいのかも、よく見えてきます。

何よりも、本当の意味で心がスッキリして落ち着きを取り戻せます。


ニュースに触れても心がざわざわすることはあるし、
友達の飲み会の帰り際に自分がざわざわしていることに気づくこともあるし、
仕事の最中にストレスを感じることだってもちろんあります。

そういう時に、僕のおすすめは、よく見ること、よく感じることです。

「忘れよう」とか「別のことでストレス発散しよう」とかっていう選択肢が絶対にダメだとは言いませんが、心身共に持続的に健康でいようと思ったら、よく見てよく感じることが王道な気がします。


甘いだけじゃなくて、辛いとか、苦いとかもある。
そういう彩に溢れた世界を満喫したらいいんだと思うんです。

折角辛い食べ物があるんだから、辛い料理を楽しみましょうよ、と。

甘いばっかりの毎日じゃ、飽きちゃうかもしれません。

とは言え実際には、ネガティブ感情を感じることは、苦しい、辛い、というところがあるので「感じたくない」となるのも分かります。別に積極的に感じに行くようなものでもないとも思います。

エリザベス・キューブラーロスは例えば「嫉妬」というものは、「自分もできるようになりたい!」という気持ちだと言っています。小さい子供が、憧れのお兄ちゃんやお姉ちゃんがやっていることを、自分もできるようになりたい!それが嫉妬だと言います。

そう考えると、ネガティブ感情の「意味」が見えてきます。ネガティブ感情の感情の「意味深さ」を感じることができれば、ネガティブ感情を感じることへの抵抗も減るかもしれません。

例えばプレッシャーや緊張。それは、例えばその仕事をとても大切に思っているからこそ感じるものでしょう。どうでもいい仕事だと思っていたら、緊張することもありません。それほど大切だと思えることに携われているんだ、だから緊張をしているんだと思えば、緊張をしているという現状の尊さ、素晴らしさも同時に感じられるかもしれません。

例えば悲しみ。愛する人との死別で悲しみに暮れる。それはそれほど愛する人が自分にとって存在していた、ということの証です。悲しくなくなる必要なんてあるでしょうか。思い出せば、いつでもやはり悲しくなる。それはそれだけその人のことを愛していたから。今も愛しているから。そういうことかもしれません。

例えば怒り。何かをされて怒る。この怒りの感情がなければ、自分自身を守ることができないかもしれません。大切な存在を守ることができないかもしれません。「それは嫌です!」と拒否しなければ、自分を乗っ取られてしまうかもしれません。だから、怒るということは、自分自身を大切にするとても大切なことかもしれません。


自分のどんな感情も大切にする、ということはすなわち自分を大切にするということだなと思います。自分で自分を大切にするということは、周りとの人間関係を大切にするための土台になるんじゃないかなと、個人的には思っています。

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