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「叫び」 (リーグ第24節・柏レイソル戦:3-2)

 「終わった・・・・」

 VARによるチェック、そしてオンフィールドレビュー(OFR)が終わるまで約2分間、針のむしろ状態だった橘田健人は、自らのハンドがPKとして宣告された瞬間にそう思ったという。

 川崎フロンターレが3-2でリードしていたアディショナルタイム。OFRを終えた中村太主審は、四角のテレビモニターを示すシグナルの後、左手でペナルティスポットを指し示していた。

 それは、柏レイソルにPKが与えられたことを意味している。
土壇場でのPK獲得。黄色で埋まっていた三協フロンテア柏スタジアムは、大歓声で沸いていた。

 チームは5試合連続引き分け中。
しかもその多くは試合終盤の失点によるドローだった。またも同じ展開で勝ち切れないのか。誰もの脳裏にそんな思いがよぎった中、ゴールキーパーのチョン・ソンリョンに素早く駆け寄って行った選手がいた。

小林悠だった。

クラブの歴史を紡いできたストライカーは、絶大な信頼を寄せる守護神にこう声をかけていた。

「絶対に止めてくれ!」

絶対に諦めないストライカーならではの、無茶苦茶なリクエストだ。
ただサッカーにおいて、PK=得点ではない。圧倒的に不利なシチュエーションではあるが、GKが防げばスコアは変わらない。絶望の淵にいても、希望を捨てていなかった。

 キャプテンマークを巻いていた脇坂泰斗は冷静だった。
3点目のゴールを挙げていた彼は、PKの判定を受け入れつつ、ソンリョンを信じ、そして自身はリバウンドに備えることに集中していたと話す。

「(PKに)なったものはしょうがないので。ソンリョンさんを信じて。ただソンリョンさんが弾いた後、詰められて入ったらどうしようもない。そこだけは声掛けをして、あとはソンリョンさんを信じてという感じでした」

 チーム全員から祈るような思いで託されていた39歳の守護神が、ピッチで大事にしているのは「平常心」だ。ただキッカー側に圧倒的有利なのがPKである。アディショナルタイムの土壇場で迎えるこのシチュエーションで、冷静なメンタリティーで挑めるGKがどれだけいるのだろうか。

 柏レイソルのキッカーはマテウス・サヴィオだった。
ゴールライン上で対峙していたチョン・ソンリョンには拠り所があった。石野智顕GKコーチから試合前に共有されるサヴィオの映像を思い返していたという。

 例えば3節前のサガン鳥栖戦でのPK。
サヴィオは、先に動いた相手GKの逆を突いてど真ん中に蹴り込んで成功している。そうしたデータからソンリョンは、ある仮説を導き出していた。

「毎試合、PKとFKのコースはGKコーチが共有してくれてます。サヴィオ選手は真ん中か左(に蹴ることが多い)。少しだけ左側を空けておいた」

 両手を広げ、巧妙に左側のコースに蹴るように誘導しながらも、キックする前には決して動かない。自信は半々だったという。

 サヴィオはホイッスルが鳴ってもすぐには蹴らない。10秒以上動かず、じっくりと間合いを取っていた。そして助走をつけてから蹴り込んだボールは、ソンリョンが予想していた中央寄りの左側の低いコースに飛んできた。191cm・91kgの巨躯に当てて弾き返す。ボールが大きく左側に大きく弾んでいった。

本当に最大限、我慢して我慢して、先に飛ばないようにして止めました」

 そのこぼれ球に素早く反応したのは、奇しくも、PKを与えた橘田健人だった。相手のクロスを身体に当ててブロック。CKは与えたものの、これで流れは途切れ、絶望的なピンチを凌ぐ。大島僚太、そして瀬古樹がソンリョンに抱きついていく。咆哮や絶叫してもおかしくないほどの興奮だったはずだが、守護神は集中を切らさない。まだ試合が終わったわけではないからだ。

「みんなからよくやったと(言われました)。でも、そんな時間もなく、次のCKの準備をしなければならなかったので」

 鮮やかなビッグセーブに、反対側の水色のゴール裏が揺れている。そしてこのコーナーキックは小林悠がヘディングでクリアし、それを拾った小屋松知哉のミドルシュートは大きくゴールを超えていった。こうして、チームは最大のピンチを乗り越えることに成功した。

「ソンさんに・・・はい、感謝です」

九死に一生を得た橘田健人は、試合後、安堵の表情と共に、ただただ感謝の言葉を述べていた。


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