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「雨上がりの虹のように」(リーグ第18節・浦和レッズ戦:1-1)

「その時は決めた相手に拍手すればいい」

 53分、ペナルティボックスを飛び出してヘディングしたGK上福元直人のクリアボールを綺麗に決められた失点場面。記者席で見ていた自分の頭の中に浮かんだのが、ヨハン・クライフのこの言葉でした。

 1980年代後半、FCバルセロナを指揮していたクライフ監督は、GKにペナルティボックスの外でもプレーするスタイルを求めていました。

 当時の時代背景を説明しておくと、ポジションによって攻撃と守備の役割が明確に区別されていた時代です。味方からのバックパスをGKがキャッチできるというルールがあったぐらい。チーム戦術のために、ディフェンダーならまだしも、GKにビルドアップやカバーリングを求めようとすること自体が「あり得ない発想」でした。

 クライフ監督のこの非常識な要求に、当然ながらGKは不安に駆られます。当時のGKだったスビサレッタは「もしロングシュートを決められたらどうするのですか」と訴えたそうですが、クライフは「その時は決めた相手に拍手すればいい」と答えたというのです。取り合わないのが、実にクライフらしい。

 念のために伝えておくと、これは今から35年ほど前のサッカーのエピソードです(笑)。あれから数十年が過ぎた現在。あのときは非常識だったGKのプレースタイルが、現代サッカーでは標準的になりつつあります。天才のヨハン・クライフには見えている未来があったんでしょうな。

このエピソードは西部謙司さんのコラムで読んだ記憶があったので探したら、アーカイブがありました。紹介しておきますね。

 この日の埼玉スタジアムで生まれた最初のゴールシーン。

 起点は浦和レッズのGK西川周作が素早く始めたゴールキックによるロングボールからでした。なぜ彼はビルドアップせずに、素早く前線にロングボールを送ったのか。

 本来であれば、あのロングボールを競り合うためにいるべきはずだったセンターバックである車屋紳太郎が不在だったのを見えていたからでしょう。

 その直前、車屋紳太郎はフロンターレの左サイド攻撃に厚みを加えるためにオーバーラップしていたことで、この時点ではまだ自陣に戻りきれていなかったのです。つまり、この瞬間の川崎フロンターレの最終ラインは1人少ない状態で、そこを狙われました。車屋が留守だったため、GK上福元直人にそこをカバーする意識が強く働いていたのは当然のことです。

 西川周作からのロングボールに反応していた浦和の選手は安居海渡です。大南拓磨がしっかりマークしながらブロックし、カバーしていたGK上福元直人がうまく飛び出してヘディングで弾き返した・・・ように見えたのですが、そのクリアが関根貴大の元に。

 関根貴大には山根視来がしっかりと寄せていたものの、関根は慌てませんでした。ワントラップから素早く、そして大きく振り抜き、大きくバウンドしたボールが無人のゴールネットに吸い込まれていきました。

 川崎側にいくつかのエラーがあったことも指摘できますが、「その時は決めた相手に拍手すればいい」のヨハン・クライフの言葉を思い出し、あのシュートを成功させた関根貴大の冷静な判断と技術に、心の中で拍手してましたよ、自分は。

 ピッチに目をやると、キャプテンマークを巻いている登里享平が、気落ちするGK上福元直人に駆け寄って励ましていました。こういう振る舞いを、ごく自然とできるのがノボリらしいところです。

その直後、今度はGK西川周作がビルドアップでのトラップミスから、まさかの失点。この場面では西川周作のミスを誘発させるべく、彼の癖を踏まえた宮代大聖と脇坂泰斗のプレスのかけ方も見事だったのですが、それは本文で彼らの証言を交えて解説しておきました。試合はその後、小塚和季の退場もあった中で1-1でタイムアップとなっています。

 試合後のミックスゾーン。
たくさんの報道陣のメディア対応を終えた大島僚太が目の前に来たので、声をかけました。

「あそこでたくさん話しましたよ」と笑われましたが、どうしても聞きたいことがあったからです。

※6月27日の取材により追記をしました。この試合における最大の決定機だった71分のカウンターで抜け出した瀬川祐輔の1対1です。このパスの出所は大島僚太で、ワンタッチで完璧なパスが出てきたのですが、「よくよく見たら自分はリョウタくんと同じラインにいたので」と、自分の動き出しを一体いつ見ていたのかと、後で瀬川祐輔は驚いたそうです。 確かに大島僚太が最初にボールを持った瞬間、瀬川祐輔はほぼ真横の位置にいますからね。あのワンプレーについて、起点になった宮代大聖と瀬川祐輔の証言を交えて約2000文字ほどで解説しております。

→(※追記)「(自分を)見てから出してくるんだと思ってたら、ワンタッチで完璧なボールだったので」(瀬川祐輔)、「カウンターのイメージはできていましたし、あそこの空間の認知はできていたかなと思います。」(宮代大聖)。瀬川祐輔の決定機を生み出した大島僚太の凄みと、このカウンターにあった布石。そして結果を求めつづける瀬川祐輔の矜持。

※6月28日にさらに追記をしました。川崎から母国に移籍をしたチャナティップに関する見解です。今季のチャナティップは出場機会が減り、公式戦初先発はルヴァンカップの清水戦でした。そこで初ゴールを記録しています。前半途中からトップ下のポジションでプレーすると、バイタルエリアで仕事を果たし、抑えの効いたボレーを決めました。この試合後、トップ下での役割について「自分にとっては自由にやれる、輝けるポジション」だと本人は口にしています。このチャナティップのトップ下システムをどう評価して、今後チームに組み込んでいくのかどうか。使い方が難しかったチャナティップの活かし方としてはヒントになるものでした。

この4-2-3-1のトップ下で採用するチャナティップシステムは今後のオプションにはなると考えられ、例えばその後のリーグ戦では、第5節のセレッソ大阪戦(0-0)でチャナ・システムは採用しています。

しかし、このチャナ・システムはオプションにはなりませんでした。なぜだったのか。そのポイントについて振り返っております。全部で約3500文字ほどです。

→(※追記)なぜチャナ・システムは熟成させられなかったのか。移籍したチャナティップの決断の背景に思うこと。

■「その時の準備をチームのみんなで話しておいたので」(大島僚太)。最近の大島僚太がよく口にする「準備」という言葉の意味。ゲームを掌握し始めた前半にチームで共有されていたもの。

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