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心理学的公理「子どもは親の幸せのために生きようとする」

「親のこころ子知らず」という言葉があります。

これは「親がどんなに我が子を愛しているか、子どもはわかっていない」
という意味なのですが。


心理の仕事をしていると、これと真逆の
現象のほうが多いんじゃないかと感じますよ。

「私の親を助けてあげてー」と相談にくるクライアントの多いこと。

「子のこころ親知らず」
なんじゃないでしょうか。
子どもがどれほど親を愛し心配しているか、
親は知らない、という…


私、子どもを産んだ時に
親戚のオバ様から言われたんですね

「裕理ちゃんもついに親になって、子を持つ親の気持ちがわかるようになるわねぇー」
って。

え、そうですかね?
私、もちろん子を持つ前から心理の仕事をしているわけですが、人間には想像力というものがあるのです。
「子どもを持たなきゃわからない」
ってことは無いんじゃ?
と思っていました。

だって例えば自分は万引きしなくても、万引きする人の気持ち、わかるもの。
想像力、働かせましょう。

それで結果
「子を持つ親の気持ちは、すべて想定の範囲内」
でしたよね。
実際に子どもの母親やってみて
「こんな気持ちになるんだ!知らなかった!」
っていうの、私は無かったです。


それよりも、私が痛感したのは
「子どもが親の幸せを願う思いの強さ」
です。
それは、知識としてわかってはいたのですが
ほんとにこんなに強いものなんだなぁーと
実感しました。


それで何が言いたいかというとですね

親の立場の人間は、子どもの親に対するこうした思い・願いを胸にとめて、
子どもの行動と、自分自身の行動言動を
振り返りましょう…


例えばあなたの子どもが、
不登校で引きこもりで壁に穴を開けあなたを「糞ババア」と呼び暴力をふるってあなたを骨折させたとしても
親であるあなたへの愛ゆえ、
という事がほとんどです。
(だからって警察に通報するなとは言ってない。通報してください。通報したほうが良い)


「いじめ自殺」もそうです。
もちろんいじめの現状がつらいから、というのはあるにしても
子どもの心にあるのは
「自分がこんな惨めな子どもで親に申し訳ない」
という思いです。

子どもは、親からの愛情を感じる。
親は、我が子が学校で楽しく、お友達に好かれて幸せに毎日過ごしていることを願っている。

そうした「親の愛情・期待」を感じるからこそ

「実は、学校では虫けら以下の扱いを受け、お母さんが愛情こめて作ってくれたお弁当には砂をかけられている」
とか、
口が裂けても親に言えない!と子どもは感じるのです。

もし、どうにも追い詰められて親に話した場合も
「衝撃を受けた親の顔」が
本当につらい。自分のせいで打ちのめされた親の顔を、見なければならないつらさ。

もちろん、いじめという現象は対象になった子のせいではないのですが
子どもは、まだそういう論理性が無いですから。

親の期待に応えて、
「幸せな子ども」であろうと努力してるんです。



私の小3の息子の話をします。

なんか、友だち数人と遊ぶ約束をしているのに、ぐだぐだと
「今日は家にいたい」とか言った時が
あったんです。
「約束したのに行かないって、おかしいね」
と私は言って、事務仕事してました。

するとしばらくして息子が
「じゃあ…話すけどね…」
と言い、友だちとのイザコザについて話し出しました。
話しているうちに、だんだん大泣きになっていました。

大人の私からすれば、大した内容じゃなかったんですが、
小3息子にとっては深刻な「人間関係上の問題」
なんだなと、真剣に聴きました。

しばらくすると、息子は気持ちを切り替えて遊びに行きました。


私が我が息子の言語表現能力に感動したのは、その後のことです。

数時間後に帰宅して夕飯の時です。

息子が
「今日ねぇー、ママに話したらなんか(問題自体はまったく解決していないけれども)、スッキリしたんだよ。

ボクは、ママに、学校で友だちに嫌われてるんだ、って思われたくなかった。

ママにそう思われるのが、一番嫌だったんだ。

だから話したらスッキリして、
もう(問題そのものは)どうでもいいやって思えた」

と言うじゃありませんか❣️

小3って、こんなに素直に自分の気持ちを表現できるんですね。

そして
母である私の幸せのために、息子は「幸せな息子」をやってくれているんだなと、
胸が締め付けられた次第です。


親になったら、心に留めましょう…
私の愛情は、純粋に愛か?それとも期待か?

「期待」は、ほどほどに。


「愛」だと思っているものが実は「期待」である場合、
受け手(子ども)は

「愛されてるとはわかるんだけど、なんか息苦しい」
と感じます。

しかし
「これは本当の愛じゃない、期待だ!期待されすぎて苦しい!」
と子どもが言語化することは、かなり難しいです。

そのため、苦しさを伝えるために
さまざまな「症状」
というコミュニケーションを試みることがあります。

子どもの精神的症状、問題行動の多くが
この問題であると考えられます。

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