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【試し読み】精読・涼宮ハルヒの消失

※このコンテンツは、2021/12/30発行の非公式考察同人誌『精読・涼宮ハルヒの消失 ~非公式考察本シリーズ vol.3~』の試し読みページです。
 同人誌は各書店にて展開中です。もし試し読みで興味を持ってくださった方は、ぜひ購入リンクまとめページを覗いてみてください。
 購入リンクまとめ:http://jl.ishijimaeiwa.jp/peruse-disappearance/

□まえがき

 初めましての方は初めまして、そうでない方はこんにちは。小説「涼宮ハルヒシリーズ」のファンサイト・涼宮ハルヒの覚書の管理人兼アニメライターのいしじまえいわと申します。『精読・涼宮ハルヒの消失~非公式考察本シリーズvol.3~』を手に取ってくださり、誠にありがとうございます。
 本書は角川スニーカー文庫および角川文庫から刊行中の小説、涼宮ハルヒシリーズの第四巻『涼宮ハルヒの消失』(以下『消失』、他シリーズ作品も同様に表記します)を読み込み、その物語を考察したものです。これまで『憂鬱』『溜息』と同シリーズの長編を対象に考察本を刊行してきましたが、それもいよいよ三冊目になりました。
 『消失』はシリーズ内最高傑作と評されることも多い人気作です。その一方で、何故私たちは『消失』を面白いと感じるのか、『消失』には一体何が描かれているのかについては、刊行から十七年以上経た現在でも十分解明されているわけではありません。
 本書では『消失』の物語に注目し、どうして『消失』は面白いのかという根源的な問いを追求します。そのため、もし本書をご覧の方でまだ『消失』をご覧になっていない方がいらっしゃいましたら、ぜひこの本を読む前に『憂鬱』から『消失』に至る四冊を買って読んでみてください。きっと楽しんでいただけると思います。その上で、もし涼宮ハルヒシリーズへのご関心がさらに深まるようでしたら、既刊全巻読破の上、改めて本書をご覧いただけますと幸いです。
 毎回恒例ですが、まえがきの最後に謝辞を述べさせていただきます。主にネットを介してわたしのハルヒ考察に付き合ってくださるフォロワーのみなさん、良き読者であり今回ゲストページまで寄稿してくださったせんあめさん、もちょえるさん、原稿チェックに協力してくださった藤崎はるとさん、Yさん、本書のテキスト以外の全て(つまりほぼ全部)を作ってくれた嫁のたなぬ、そして何より涼宮ハルヒシリーズを生み出し続けてくださる谷川流先生といとうのいぢ先生に、この場を借りて御礼申し上げたいと思います。ありがとうございます!
 それでは早速、以下、レッツゴー!


第一章 イントロダクション

□『涼宮ハルヒの消失』の評価

 この章では、物語の読解に移る前に、まず『消失』という作品の成り立ちや評価など、作品の外的要素について改めて確認します。併せて、本書で『消失』を精読するにあたってのルール(レギュレーション)についても本章末尾に記載します。
 
 『消失』が書きおろし新作として刊行されたのは二〇〇四年八月一日、シリーズ最初の『憂鬱』の発表から一年と少し経過した頃です。それまでに長編としては『憂鬱』と『溜息』の二冊が、雑誌掲載短編をまとめた初の短編集として『退屈』が刊行されており、『消失』はシリーズとしては四冊目にあたります。
 なお『消失』刊行までに雑誌「ザ・スニーカー」にて短編『涼宮ハルヒの退屈』(注1)『笹の葉ラプソディ』(注2)『ミステリックサイン』(注3)『エンドレスエイト』(注4)『朝比奈ミクルの冒険 Episode 00』(注5)『射手座の日』(注6)『涼宮ハルヒ劇場』(注7)が、文庫本『退屈』の書きおろし新作として『孤島症候群』が掲載されています。『消失』はこれらの作品群と直接的・間接的に接続する続編になっており(注8)、その意味で『消失』はそれまでのシリーズの集大成的な作品として発表されています。

注1 「ザ・スニーカー」二〇〇三年六月号掲載、なお『退屈』は短編と同名の文庫が存在するため、前者を便宜的に「短編『退屈』」と表記する。
注2 「ザ・スニーカー」二〇〇三年八月号掲載
注3 「ザ・スニーカー」二〇〇三年十月号掲載
注4 「ザ・スニーカー」二〇〇三年十二月号掲載
注5 「ザ・スニーカー」二〇〇四年二月号掲載
注6 「ザ・スニーカー」二〇〇四年四月号、六月号掲載
注7 「ザ・スニーカー」二〇〇四年八月号掲載
注8 厳密には『涼宮ハルヒ劇場』だけは未だに『消失』を含む本編とどういった関係性があるのか明らかになっていない。

 拙著『精読・涼宮ハルヒの溜息』にて書いた通り、シリーズ二冊目の長編である『溜息』は、五年ぶりのスニーカー大賞・大賞受賞作として華々しいデビューを果たした『憂鬱』に比べると(その内容の良し悪しとは関係なく)それほど高い評価を得ることはありませんでした。それを受けてか、谷川先生は『消失』を書かれた動機について「ザ・スニーカー」二〇〇四年一二月号の特集「谷川流の挑戦 スペシャルインタビュー」にて以下のように述べています。
 
 「「消失」のときは、「溜息」であまりにもキョンの感情を放りだして終わってしまったので、これは彼のためにも一本筋の通るものを残してあげないと気の毒だなあ、というのが動機でした。」(注9)

注9 「ザ・スニーカー」二〇〇四年十二月号、十一頁

 このコメントから察するに、『消失』は『溜息』で描けなかったことに改めて挑む意図があったようです。
 では、その巻き返しの一打となるべくして書かれた『消失』がどのように評価されたのかを、以下いくつかの視点から見てみましょう。
 
 二〇一九年に刊行された角川文庫版『憂鬱』の解説にて、本邦のSF界の大家である筒井康隆氏は『消失』について以下のように評しています。

こうして涼宮ハルヒとそのレギュラーによる物語の読者は、(中略)突然それまでと明らかに雰囲気の異なる「~の消失」に遭遇する。この第四作の詳細を未読の読者のため明らかにすることができないのは残念だが、それまでの単なるSFとは違って不条理感のあふれる純文学的要素が極めて強く、読者はある種の感動に襲われる。この感動の存在は強ち小生だけではなくわが周辺の編集者たちによる「シリーズで一番の傑作は『~の消失』だ」という意見の一致で証明されるだろう。(中略)この第四作がなければ、あるいは小生、自分もラノベを書いてやろうなどという気は起こさなかったかもしれない。即ち如何によく売れていようとこれは自分の書くべきジャンルではないと決めていたかもしれないのだ。にもかかわらず書こうと決意させたのは他でもない、この作品によって、ラノベでも文学的主張が可能なのだと知ったからであった。(注10)

注10 角川文庫版『憂鬱』二百九十五、六頁

 『憂鬱』の解説であるにもかかわらず『消失』を「シリーズ最高傑作」「純文学的」と賞賛し、あまつさえ自身の創作の源になったとまで言っています。
 また、同氏が小説の作法をまとめた技術指南書『創作の極意と掟』では、宮沢賢治、サリンジャー、チャンドラー、トルストイ等による古今東西の名著を例に様々な技法について解説していますが、「遅延」の項目では『消失』におけるヒロイン(ハルヒ)の登場の遅さを例として挙げています(注11)。
 これらのことから、氏が『消失』をある面では歴史の洗練に耐えてきた数多の文学作品と比肩する程に高く評価していることが伺えます。

注11 『創作の極意と掟』百一、二頁、講談社文庫

 ガガガ文庫発のライトノベル『弱キャラ友崎くん』シリーズの作者である屋久ユウキ氏は、『直観』発売時の応援コメントにて「涼宮ハルヒ」シリーズを下記のように評しています。

涼宮ハルヒの憂鬱はヤバい。なにがヤバいって巻き込まれ型の主人公といういまだに続く王道を、それを描くために究極みたいなヒロイン設定で完成させてラノベ界に流行らせた源流の一つなのに、そこから5巻もいかないうちに今度はその構造を告発して解体してしまってるのがヤバい。完成させて流行らせて自分で解体してる。なにそれ。後世にもやること残してほしい。若いラノベファンにも読んでほしい大好きなシリーズです。(注12)

注12 「角川スニーカー文庫「 #涼宮ハルヒ 」シリーズ特設サイト」内コンテンツ『SOS団の100人応援コメント!』屋久ユウキの項 https://sneakerbunko.jp/haruhi/special/comment100/

 『消失』の書名こそ挙げていませんが、「5巻もいかないうちに」というのはシリーズ第四巻である『消失』での物語展開のことであり、「その構造を告発して解体してしまってる」とはヤレヤレ系主人公だったキョンがそれを自覚した上で主体的判断をするように決心することを指しているものと思われます。
 後述しますが、これは谷川先生が『消失』を書いた動機の一つであり「涼宮ハルヒ」シリーズにおいて不可欠だったと位置づけている要素です。それをきちんと見抜いているのは流石という他ありませんが、様々な見どころを持つ「涼宮ハルヒ」シリーズの中からこの要素を抜き出すということは、それだけ『消失』が論じるべき作品であると屋久氏が考えていることの顕れでしょう。
 以上、谷川先生と同業の先輩と後輩による『消失』評を見てみましたが、どちらも同作を高く評価していると考えてよさそうです。
 
 一般読者の評価はいかなるものだったのでしょう。二〇〇四年に刊行された書籍『このライトノベルがすごい! 2005』では二〇〇三年十月から二〇〇四年九月までに刊行されたライトノベルを対象に、作家、評論家、ライター、Webメディア管理人、大学サークルや研究会などへアンケートを行い、二〇〇四年版のライトノベルとライトノベルキャラクターの人気ランキングを発表しています。同書は二〇二一年現在も刊行が続きライトノベル業界においてある種の権威を築いていますが、上述の『2005』はその第一回にあたります。その記念すべき第一弾ランキングにおいて「涼宮ハルヒ」シリーズは作品部門一位、キャラクター部門でハルヒと長門が同率三位に輝いています。
 このアンケートはシリーズを対象としたものであり各巻を対象としたものではありませんが、「涼宮ハルヒ」シリーズでアンケート対象となっているのが『溜息』『退屈』『消失』『暴走』の四冊であることや、下記のような投票者コメントからも、長門と彼女が物語の中核を担う『消失』が当時のライトノベル読者に好評をもって受け入れられていたことが察せられます。

それどころか、「長門有希が可愛くて格好よくて最高です。本編も彼女をヒロインにしてほしいくらいです。もうなってるか」(望月晴方・21歳・学生)、「長門が主役になる日も近い?」(せいいち・40歳・教師)なんてハルヒの人気をしのぐキャラクターも。(注13)

注13 『このライトノベルがすごい! 2005』、十四頁

 なお、シリーズ全体としては「キャラクター、文体、設定。この3本がバランスよく成り立っている。「涼宮ハルヒ」シリーズは、1位になるべくしてなった作品と言える。」(注14)「まんべんなく票を集めた『涼宮ハルヒ』圧勝! 2位以下は大混戦!!」(注15)と評されています。ここでいう「まんべんなく」とは、一部の層だけから名が挙がったのではなく、プロの評論家や学生などおしなべてどの層からも支持されたことを意味しています。
 雑誌『ダ・ヴィンチ』二〇十一年七月号掲載の特集「世界を席巻、涼宮ハルヒ現象を追う!」内のWebアンケート結果「ダ・ヴィンチ読者ランキング好きなエピソードTOP5(注16)では、『消失』(八十三ポイント)は『憂鬱』(九十六ポイント)に次ぐ二位にランクインしています。第三位の『エンドレスエイト』(三十ポイント)を大きく引き離しての二位ですから、その人気は『憂鬱』と双璧と言っていいでしょう。

注14 『このライトノベルがすごい! 2005』、十四頁
注15 同、二十六頁
注16 『ダ・ヴィンチ』二〇十一年七月号、二百十六頁

 ちなみに『消失』刊行当時の2ちゃんねる(現5ちゃんねる)の様子は以下のような感じでした。いかなる作品でも賛否両方、様々な評価を受ける場所なので諸手を挙げての大絶賛という程ではありませんでしたが、下記の通り概ね好評だったようです。

589 :イラストに騙された名無しさん:04/07/31 19:07 ID:F6P5G6zz
なんか2~3巻と比べると、今回はかなりいい感じだったYO!
 
743 :イラストに騙された名無しさん:04/08/02 20:24 ID:kAZnxqgA
今回はすげー良かった。
学校2を抑えて谷川作品トップになるくらい。
キョン燃え。
 
793 :イラストに騙された名無しさん:04/08/03 01:48 ID:inLQ2RvQ
>>791
俺もハルヒが好きだがあの偽長門と二ヶ月過ごしていたら絶対転んでると思う。
 
794 :イラストに騙された名無しさん:04/08/03 02:02 ID:CIHx1wup
>>791
2週間で十分だと思う
 
795 :イラストに騙された名無しさん:04/08/03 02:05 ID:HgyUVbfn
>>791
俺は30秒で転ぶ自信がある(注17)

注17 谷川流7『涼宮ハルヒ~』『学校を出よう!』(過去ログ)https://book3.5ch.net/test/read.cgi/magazin/1086236865/

 以上を総合すると、『消失』は刊行時から近年に至るまで総じて高い評価を幅広い層から獲得しており、特にプロの目からはその文学性や新規性が、一般読者には長門のキャラクター性と作品としての総合力が評価されていたようです。
 また、現状アニメシリーズの最新・最終作として劇場用アニメ版『消失』が位置づけられていることや、『消失』をモチーフとしたスピンオフ漫画であり後にTVアニメ化も果たした『長門有希ちゃんの消失』の存在からも、『消失』という作品(と長門)が「涼宮ハルヒ」シリーズにおいて多大な人気を得ていることが分かります。
 
 余談ですが、二〇〇四年八月の『消失』刊行に続く形で「長門有希の100冊」という企画が「ザ・スニーカー」二〇〇四年一二月号に掲載されています(注18)。これは長門推薦の図書百冊を長門と古泉くんが紹介するというもので、古今東西の古典やSF、ミステリ、恋愛ものなど幅広いジャンルから選出されています(注19)。実際の選書は谷川先生がされていたようで(注20)、本企画から谷川先生の読書量やSFやミステリ分野などの知識量が知れ渡ることになりました(注21)。
 間接的にではありますが、作者の小説やジャンルに対する造詣の深さが明らかになったことも、この時期『消失』や作者、シリーズの評価を高める要素の一つになったのではと考えられます。

注18 「ザ・スニーカー」二〇〇四年十二月号、十四~十七頁
注19 空欄や実在しない本が選出されている他、複数巻にまたがる本が一冊とカウントされていることもあり、実際には百冊ではない。
注20 角川文庫版『驚愕』五百四十七頁、また百冊の中に『火星にて大地を想う』(T・フロゥイング)という実在しない書籍が入っており、そこから抜粋したという設定の『MW号の命題』という短編を谷川先生が書いていることからも伺える。
注21 SFやミステリ作品を嗜好していること自体はデビュー時のインタビューで述べていた(「ザ・スニーカー」二〇〇三年六月号、八十四頁)。

 では最後に作者である谷川先生が『消失』をどう評しているのかについても確認しておきましょう。
 現状唯一の原作ファンブック『観測』での質疑応答において、谷川先生は一番好きなエピソードとして「強いて言えば『笹の葉ラプソディ』でしょうか。あの短編があったおかげで『消失』が書けたという意味で。」(注22)と答えています。この回答から、間接的な形ではありますが、谷川先生にとっても『消失』が特別な位置にある作品であることが伺えます。

注22 『観測』、百十八頁


□『消失』をどう読むか?

 多くの人に高く評される『消失』ですが、それでは『消失』は一体どのような物語として、言い換えれば、何が面白い物語として受容されているのでしょう?
 名作と評される作品が例外なくそうであるように、『消失』もまた様々な読み方をされてきました。筒井康隆氏は先述の通り『消失』に純文学性を見出していますし、ミステリ作家・評論家の小森健太郎氏は評論「モナドロギーからみた〈涼宮ハルヒの消失〉――谷川流論」にて同作をミステリ的側面をもった物語として分析しています。東京大学文学部の三浦俊彦教授はアニメ版『エンドレスエイト』を分析する著書『エンドレスエイトの驚愕』で『消失』の物語が有する意味を芸術論と哲学との関連で分析し、画家・評論家の古谷利裕氏は『虚構世界はなぜ必要か?』にて『消失』をSFとして読み解いています(注23)。

注23 ただし両者とも考察対象は劇場用アニメ版『消失』の方となっている。

 そんな数ある『消失』読解の中でも多数派を占めると思われるのが、『消失』をキョンとハルヒと長門の三者をめぐるラブストーリーとして解釈する読みと、キョンの冒険譚として解釈する読みです。
 
 アニメ版『消失』のムック本『公式ガイドブック 涼宮ハルヒの消失』にて、総監督の石原立也氏は映像化にあたってのコンセプトとして「ラブストーリー」と、監督の武本康弘氏は「キョンの決心と回帰の物語」「キョンの再認識の物語」と答えています(注24)。厳密には原作小説について述べたコメントではなく原作を映像化するにあたってのコンセプトに関する回答なので両氏が原作をそれぞれそのように読んだかどうかは不明ですが、少なくとも原作が内包する要素としてラブストーリーとキョンの物語という二つの要素を認めているのは間違いないでしょう(注25)。

注24 『公式ガイドブック 涼宮ハルヒの消失』一〇一、二頁
注25 以下、アニメ版スタッフ等のコメントも原作に関するものと判断できるものについては読解の例として参照する。

 先述の漫画『長門有希ちゃんの消失』はまさに『消失』をラブストーリーと捉えリビルドしたものです。本作が好評を博し七年間の連載とTVアニメ化を果たしたことから察するに、長門のラブストーリーが見たいというファンは相当数いたものと思われます。
 『有希ちゃん』を含むアニメ版涼宮ハルヒシリーズのプロデューサーである伊藤敦氏もトークイベントにて『消失』は長門の物語であるというコンセプトで、劇場版のキービジュアルを長門単独のもの(09年版アニメのTV放送終了直後に映画化決定を伝える特報CMで公開されたもの)にする想定だったことを明かしています(注26)。
 ネット上でアニメの考察テキストを各種公開しており、『憂鬱』に関しても優れた分析をされているくるぶしあんよ氏も『『涼宮ハルヒの消失』における少女の新生・接触篇~すれ違い続けるインターフェース~』(注27)および『同・発動編 発動篇~祝福されるインターフェース~』(注28)という二つの考察テキストにて、『消失』に至るまでのシリーズ全体を通した長門の変化と恋心の芽生えを糸口に『消失』の物語を読み解いています。
 先述の石原総監督は映像化のコンセプトをラブストーリーとしつつも「キョンはハルヒ一直線。キョンは、ハルヒに会った時から、もうひと目惚れしているんですよね(笑)。」(注29)との発言にある通りキョンとハルヒの関係を主軸に捉えているようです。一方、演出家の高雄統子氏は長門について「私は彼女を「女」として見てしまうんですよね。」(注30)「強力な力をもっていたのに、男性のためにその力を捨ててしまうのは、いかにも女の子だなって。」(注31)と彼女の恋心の存在を前提とした作品解釈をしています。

注26 「涼宮ハルヒの探訪」(二〇二〇年一二月二十日開催、 https://ticket.rakuten.co.jp/event/talkshow/RTWYHRH/)昼の部でのトークより。なお、その後周りからの「長門だけなの?」「SOS団は?」という周囲の意見を反映して他の用途に使用する予定だった5人のイラストをキービジュアルに差し替えたという。ただし、長門の恋愛物語と明言していたかは定かではない。
注27 http://www.puni.net/~anyo/etc/nagato1.html
注28 http://www.puni.net/~anyo/etc/nagato2.html
注29 『公式ガイドブック 涼宮ハルヒの消失』百六頁
注30 同、百四頁
注31 同、百八頁

 以上のように『消失』をラブストーリーとして捉える人は多く、そういった読み方は比較的ポピュラーだと言えます。ただし本シリーズはキョンの主観を介して進行する形式をとっているためキョンが認識しないものは原則的に描写自体されません。そして当のキョンが長門に恋心という感情を見出していないため本文にそのことは明記はされておらず、長門に恋心があったのかどうかの判断は読者の読解と価値観に委ねられています(注32)。
 このような事情で構造的に隠蔽されているからこそ、『消失』の読解において「長門に恋心があったのかなかったのか」また「恋心があるにしてもないにしても、彼女の内面がどう描かれているのか」は検討すべき事項の一つと言えるでしょう。

注32 ただし公式スピンオフ作品である『有希ちゃん』の存在によって現在は半ば公然化されている。

 一方で、『消失』を彼らの恋愛感情とは切り離し、武本氏のように主人公であるキョン自身にまつわる物語として捉える読む人もいます。というより、上述のラブストーリー要素は明示はされていませんから、額面通り読めば主人公であるキョンを主軸とした物語として読まれるはずです。そのためラブストーリー的要素の存在に気付いている・いないに関わらず『消失』をキョンの冒険と成長の物語として理解している人も相当数いるはずです。また、ラブストーリー要素の存在を認めている人でも主軸はキョンの物語であって長門にまつわる恋愛要素はあくまで副次的なものと捉えている人もいるでしょう。
 
 『消失』の軸をキョンの物語と捉えている人の代表格といえば、なんといっても作者である谷川先生その人です。先述の通り『消失』を書いた動機を「彼(キョン)のためにも」とコメントされているのですから、谷川先生にとって『消失』の物語の軸はあくまでキョンであると考えてよさそうです。またキョンと『消失』との関係については以下のようにも述べています。

「自分にしてはまともな話を考えたなと。それまでキョンのアイデンティティが揺らぎっぱなしだったので、それを固める話でもあるし。『涼宮ハルヒ』シリーズには必要な話だと思ったんです。」
「キョンは、ようやく『消失』で主人公になる決意をするんです。」(注33)

注33 『公式ガイドブック 涼宮ハルヒの消失』八十八頁

 これを読む限り作者の意図としては『消失』はキョンのための物語であると考えてよさそうです。上記コメントはどちらも劇場版『消失』のムック本からの引用ですが、前者のコメントについては二〇〇四年当時の前述のコメントである「「溜息」であまりにもキョンの感情を放りだして終わってしまった」とほぼ似た意味であると思われます。つまり、二〇〇四年から二〇〇九年にかけての五年間を経ても作者の『消失』に対する考えはあまり変わっていないと考えられます。『消失』がキョンの物語であるというコンセプトはそれだけ強固なものだと言えそうです。
 
 また、劇場版『消失』の脚本家である志茂文彦氏は同ムック本にて同作の物語の特徴を下記のように指摘しています。

「『消失』の構造は古典的な冒険物語なんです。色んな世界を巡り、最後は我が家に帰る。そういう旅をキョンは今後もしていくんでしょうね。」(注34)

注34 『公式ガイドブック 涼宮ハルヒの消失』九十一頁

 これは物語の類型の一つ「行きて帰りし物語(行って帰る物語)」をイメージしての発言だと思われます。『消失』は概していうと「異世界に迷い込んだキョンが戻ってくるまでの話」ですから、その点では確かに『指輪物語』や『千と千尋の神隠し』、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』等の作品と似た物語構造を有しています。
 
 ところで、「行きて帰りし物語」では多くの場合、物語が終わった時点で主人公が何かを得たり成長したりするものです。ではキョンは『消失』という物語を通して、何を獲得したのでしょうか? もしくは、成長したのだとすればどういった経験を通じてどのように成長したのでしょうか?
 これについては「キョンは日常ではなく非日常を選択した」「長門ではなくハルヒを選んだ」といった解釈がなされているようです。前者については実際キョン自身がエピローグにて「あくまで自らの意思で空回りするバカ騒ぎのほうを選んだのだ。」(注35)「俺はこの世界を積極的に守る側に回ってしまったのだ。」(注36)と述べていますから、一見もっともなようにも思えます。また一部には「キョンは特殊な能力の無いSOS団の面々ではなく能力のある方を選んだ。何故ならキョンにとって特殊な能力やステイタスこそが関心事だから」という解釈も存在します。
 こういった理解は『消失』という作品の根幹を本当に捉えていると言えるのでしょうか。もったいぶるものでもないと思うので先に述べておきますと、本書では本文の読解に基づいて、より妥当な作品理解を提示します。

注35 『消失』、二百四十七頁
注36 同、二百四十八頁

 本書では上述の問題設定①長門の内面はどう描かれているのか(恋心はあったのかなかったのか)、および②キョンは最終的に何を得てどう変化したのか(もしくはしなかったのか)、という二つの論点を軸に『消失』の物語を読解します。
 続く第二章では基本的な物語の流れを私の感想も交えつつフラットに振り返り、第三章では上述の二つの論点を中心に他のキャラクターや考察すべきポイントに触れながら考察します。それらを通じて最終的に『消失』は要するにどういう話だったのかを明らかにします。
 
 なお、本書において物語の構造を分析したり何が描かれているのかを子細に確認したりするのは、『消失』に何が描かれているのかを改めて確認し、どうして読者がその物語を面白いと感じるのか? という最大公約数的な要素を見出したいためです。個人の自由な読解を否定したり、あるべき読み方を誰かに強いるといったことを目的としているわけではないことは予めご理解ください。
 読者には本来、上述のような物語の構造や作者の意図などに気を払う必要や義務はありません。書いてあることを自由に、むしろ書いていることと矛盾することでも好きなように想像し楽しむ権利があります(注37)。
 本書で明らかにしたことがみなさんの『消失』および「涼宮ハルヒ」シリーズの読解をより豊かなものにするものになれば幸いです。またその際、本書に書かれていることをそのまま自分の意見として取り入れてもいいですし、それを材料に別の『消失』解釈を編み出したり、または既にある作品理解をより強固なものにする一助にしたりしていただければ言うことはありません。

注37 本書の内容は個人の自由な読書体験を否定するものではない一方で、作品評として公に発表された評論等に対しては反論を行う箇所がある。


□本書での考察レギュレーション

 この項目では本書で『消失』の物語を考察する上での決まり事を列挙します。少し長いですが、考察の前提としてぜひご確認ください。
 なお、これまで本書のシリーズである『精読・憂鬱』『精読・溜息』などをご覧いただいている方には「もう何度目だよ……」という内容ですし、実際書かれている内容の大部分が前回までと同じですので読み飛ばしていただいても問題ありません。が、一部レギュレーションの説明の仕方を変えている部分もある点はご了承ください。
 
①読解の仕方について
 本書では、作中の記述には原則的に全て何らかの物語構成上の意味や効果があるという前提で考察を行います。「作者の人そこまで考えてないと思うよ」「他の箇所の考察と矛盾するからこの記述は見なかったことにしよう」といった読み過ごしは基本的にしません(注38)。

注38 誤植と思われる記述などは都度検討する。

②考察対象について
 本書では『消失』本文に描かれている物語を考察対象とします。作品外の要素である作者のコメントや他シリーズ作品、同ジャンルの他の作品や現実社会との関連性などは考察対象に含みません(注39)。また本書は主に登場人物の心理的変化を軸とした物語読解が目的であるため、物語の理解に深く関与しないSF要素や蘊蓄ネタなどはあまり追求しません(注40)。
 また、小説としての『消失』の考察を目的としているため、漫画版等の他メディア展開した作品、『追想』や『有希ちゃん』等の『消失』をモチーフとしたスピンオフ作品等は考察対象に含みません。
 劇場用アニメ版についても本来は別個のものとして扱い対象外とすべきですが、原作の印象と劇場用アニメ版のそれが混ざってしまっている方も多いと思うので(私もそうです)、原作の内容を劇場用アニメ版の印象から峻別する目的で、原作と意味が大きく異なり作品性に影響していると思われる個所などは一部触れます。劇場用アニメ版そのものの考察は、機会があれば別の形で行いたいと思います。
 『憂鬱』など小説シリーズ内の他のエピソードは考察対象に含みます。ただしキョンの主観において『消失』より後の物語は基本的に考察対象外とし、『消失』までの物語だけで成立する読解になるよう努めます(注41)。そのため『陰謀』のプロローグも考察対象外とします(注42)。

注39 先述の作者による『消失』評等も、仮に作品内での描写と矛盾するのであれば無視し、作品に書かれていることを優先する。
注40 コアなSF要素によって登場人物の心情が表現されている可能性もあり得るし、本シリーズでは作中世界と現実世界との関係が示唆されているため、本来であれば蘊蓄ネタ等も必要に応じて考察対象にするのが望ましい。本書でそれらを避けているのは著者の力量不足に拠るところが大きいため、必要を感じられる方はぜひそういった部分の考察も行っていただきたい。
注41 発表が『消失』刊行より後である『ライブアライブ』などはキョンの主観的には『消失』以前の出来事なので考察範囲に含む。
注42 『陰謀』のプロローグは『消失』の解決編的な意味合いもあるが、テーマ的にはむしろ『陰謀』本編との結びつきの方が強い。そのためこのパートの考察は『精読・陰謀』に譲る。

③登場人物の発言内容の真偽について
 本書では主人公含む登場人物の発言内容は、作中で明らかな指摘がない限り基本的に真として扱います。
 本シリーズはキョンの一人称で語られる形式をとっているため、キョンが特に理由もなく、または読者には知り得ない理由で嘘を言っているかもしれない、もしくはキョンの見間違えたのかもしれない等の仮定を持ち出してしまうと、作品に記述されていることが全て真実ではないかもしれないという疑いをする他ありません。
 もしかしたら今後の物語で本当にそのような必要のあるSF的展開がなされるかもしれませんが、現状それを前提とすると作品の読解自体が不可能になってしまいます。そのため、別段の妥当性がない場合はキョンは本当のことを言っていると解釈します。一方、キョンは『憂鬱』から一貫して真実を話さず誤魔化すことがある人物として描かれています。そういった性格的に考慮すべき場合等は、発言の真偽を含めて考察対象とします。
 古泉くんや長門やみくるちゃんなど他の登場人物の発言も同様に、彼らが嘘をつく妥当な理由があると思われる状況でない限りは基本的には真実を語っているとして考察します。ただし、発言を疑うべきか否かの判断は根本的には私の主観に拠るものになります。可能な限り根拠は示しますが、その点はご了承ください。
 
④どこまでを「物語」と捉えるか
 考察対象として扱う物語の本文もいくつかの要素に細分化することができます。本書では本文の内容を以下のA~Fに分類し、考察における信憑性をそれぞれ分けて取り扱います。本文中で「これはA」「これはG」等と個々に説明するわけではありませんが、考察の前提にどのような基準を定めているのかの参考にしていただけたらと思います。
 なお、内容的には『精読・溜息』で用いたものと同じなので、同書をお持ちの方は「ああ、アレね」とご理解ください。
 
A:作中の事実
 作中で事実として語られていることや出来事は、作品を構成する要素の中でも最も確度の高い情報だと考えられます。キョンがモノローグで今日は十二月十七日だと言うならその日は本当に十二月十七日ですし、坂道を上ったと言うなら坂道を上ったのだと判断します。作中で別途キョンの認識が間違っていたという言及(『猫どこ』の一件のようなもの)がない限り、事実の認識に間違いはないものとします。
 
B:作中の事実から高い妥当性で想定できること
 十二月十七日の前の日は、仮にそのような記述がなかったとしても普通に考えて十二月十六日です。このように一般常識に照らして妥当と思われる事柄も、Aと同様確度の高い情報として扱います。「キョンが読者に説明しないだけで「ハルヒ」の世界は十七日の前の日は十五日であるという宇宙かもしれない」といった類の仮定は本書では設けません。
 
C:主人公や登場人物の発言
 登場人物の発言としてカギ括弧内に記述されている文章は口に出して発生されたものとして取り扱い、発言があったこと自体は作中の事実だと考えます。語り部であるキョンの幻聴や作り話だという可能性は考慮しません。
 発言の内容については前述の通り基本的には真実を口にしていると判断しますが、嘘や間違い、勘違いであると考え得る妥当性がある箇所については一考します。
 なお、モノローグに対して他の登場人物が直接返答する場合があることから、キョンのモノローグの一部は口述されたものであると考えられます。その場合、記述の通りキョンが思考し、実際にその通り喋ったものと考えます。
 
D:主人公が考えたこと
 主に地の文に記述されるキョンが考えたことは、単に彼の主観によるものですので、その内容が作中の事実であるかどうかは考慮する必要があります。ただし、彼がそう考えたということ自体は事実として扱います。
 キョン以外の人物が考えたことは本作においては彼らの発言でしか描写されないので、思考ではなく発言として取り扱います。つまり、基本的には真実とみなし、疑うべき妥当性がある箇所については疑います。
 
E:メタ物語的文章効果
 これは私が考察を円滑にするためにでっち上げた概念であるため説明が難しいのですが、要は「作中の事実や出来事としては意味が見出しにくいが、物語を構成する文章としては読者に対して一定の効果を生んでいる記述」のことです。具体的な例は『精読・溜息』に記載していますのでそちらをご覧ください。
 読者が文章から受ける印象は人によって様々ですので、メタ物語的文章効果の考察における確度は、作中の事実などと比べてあやふやであると言わざるを得ません。そのため考察においてはなるべく他の確度の高い情報に拠って行い、メタ物語的文章効果を取り扱うのは主にそうでないと説明がつかない場合とします。
 
F:表紙や挿絵や口絵、あとがき、解説
 表紙絵や挿絵や口絵などのイラストは、角川文庫版ではカットされていることから作品にとって必要不可欠とまでは言えないと判断し、本書の考察においては参考までに留めます。あとがきや解説等についても同様です。
 
 以上の内容をまとめると下記の図のようになります。

画像1

 これにて考察にあたっての前提条件の確認は終了です。それでは、次の章からいよいよ『消失』の読解と考察に移ります!

 試し読みはここまで。
 続きは2021/12/30発行の非公式考察同人誌『精読・涼宮ハルヒの消失 ~非公式考察本シリーズ vol.3~』でお楽しみください!
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