見出し画像

W杯の思い出

確かに椅子が硬くて低いから座りづらいなあ、と書きましたよ、書きましたけれど。
でもね、別にすぐに改善して欲しいとか、そういう大それた話ではなかったのですが。

「椅子、変えてみました!今まであまりそういう事気にしてなかったもので!すみません!」などと店に入るなり言われ、甚だ恐縮。逆にすみません。余計なこと言ってしまいました。

そんなわけで、ちょっと反省していつもより一杯多く呑んで、余計なこと言ってごめんなさいの意思表示。

「ワールドカップ、見てましたか?」と大将に聞かれ、まだ終わってないけれどどうやら日本代表が負けたらもう大会も終わり、という世間の雰囲気らしい。

そうですねえ、割と見てました。と答えて、毎回四年ごとにこのイベントを楽しみにしてるけれど、まさか沖縄で見ることになるとは流石に予想できなかったなあ、と思う。

月見つくね


ワールドカップが自分の記憶にきちんとリアルに残っているのは多分イタリア大会からだ。


1990年イタリア大会。あのときは高校の教室の窓際で、カーテンに隠れて同級生と優勝国を賭けてたなあ。

当時セリエAのナポリに所属していたマラドーナが、本拠地ナポリでイタリアと準決勝。これは後に彼のドキュメンタリー映像で見たのだが、マフィアだ麻薬だと、まあ凄まじかった。

ソリ もも肉の付け根の弾力の部分


そして1994年 アメリカ開催。あのドーハの悲劇の翌年。
この大会からドイツが東西統一で出場した。件のマラドーナはドーピングで大会中に追放。そして、印象的な決勝戦での非情なPK戦での勝者と敗者。

レバーのごま塩


1998年のフランス大会は、日本代表がW杯に初めて出場した大会。当時社会人になったばかりの頃で、ススキノで友人たちと呑みながらパブリックビューイングで見ていた。
カズ、三浦カズ。

ズリとココロ



そして2002年。記念すべき日本 韓国 共同開催

当時住んでいた札幌の、極めて近所の札幌ドームで因縁のアルゼンチン対イングランド戦が行われ、すわフーリガンが!などと恐怖したが、結果的にはむしろ日本代表戦の直後に大通り公園で騒いだ我々の方が市民にとっては迷惑であった。

ベルギーに引き分け、ロシアに勝ち、チュニジアにも勝ってグループリーグを見事勝ち抜いた日本代表。
グループリーグの3試合は、かつてSTVの隣りにあったイベント会場で行われたパブリックビューイングで全て見た。


2006年のドイツ大会は富山に転勤になった年。元嫁の祖父母の家の二階で、開会式と開幕戦を見た。
クロアチア戦でのQBKで、その前日までは地元が産んだ誇り、文字通りヒーローであったラーメン屋の息子が一夜にして戦犯に。


2010年南アフリカ大会 。これも富山で見ていた。
総曲輪のグランドプラザでのパブリックビューイングを見に行って、これだけ代表戦にいやサッカーに興味がある層がこの地にいるのならば、その半分でも四分の一でも県総に来てくれないだろうか、などと虚しく思った記憶が。

ラウンド16は職場で。仕事中にパラグアイ戦のPK戦をこっそり見ていた。駒野…。

和風つくね



2014年のブラジル大会はさいたま市の浦和で。立ち飲み屋の常連客たちと優勝国当てをやってた。
12時間の時差というのが、割とテレビ観戦には都合が良かったことを覚えてる。頑張って一日2試合ずつ観戦して。かなり寝不足になったけど。

このニンニクすりおろしがたまらない。次の日えらいことになるけれど。



前回2018ロシア大会は静岡県の富士市で見ていた。
グループHの日本代表。大迫の開始早々の素晴らしいプレー。そしてポーランド戦を、ベンチの妙な指示で積極的に攻めることをしなかった日本代表の姿が印象的。あと川島。

ラウンド16での原口、乾。そしてアディショナルでの信じがたい、受け入れがたい決勝ゴールでの敗退。なんとも苦い思い出。

そんなことを思い出しながら、
店を出ると自由猫が待ち構えて足元に擦り寄って来た。

さてさて、四年後の次のワールドカップは何処でどんなふうに観ているだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?