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物は、距離を超えられない。心は、距離を越えられる。

人々とオンラインツールを使ってみて、今思う。

物理的な実物が重要なものははかどらない。
手触りとか、その人が起こす振動とか、味、香り。これも減衰してしまう。

しかしそれらの成分を抜いた最後に残るもの、つまり心で感じるタイプのものはネットという細い線を遠くまで流れていた。

物は、距離を超えられない
心は、距離を越えられる。

そう強く感じた個人的な経験が僕にはある。

コロナの2年間で、父母が相次いで亡くなり2度の喪主をした。実家は300km以上遠方。
メイン級イベントは現地で参加なのだが、行動制限のある中で、お盆とか比較的軽めの法事についてはオンラインでの参加となった。

現地にいる姉弟がLineかZoomを起動したスマホを仏壇に向ける。
お坊さんも2度目以降は慣れたもので画面に向かって「あ、こんにちは。今日はどうも」と挨拶をするようになる。

皆が前を向き、読経が始まる。
現地の映像はほとんど動かない。わずかにお坊さんの手が動くだけ。
木魚と鈴(りん)で紡がれる独特の音がスピーカー越しに流れる。
そうして、僕も画面の前で手を合わせ目を閉じる。

長いお経の間、亡くなった親の冥福を祈る。
読経は長いので、心の中で一通り祈り終わると、考えるでもなく子供時代の思い出が思い起こされる。

そうして10分ぐらいたつと、お坊さんから最後の言葉があり、座が終わる。
時には何かちょっとしたアクションを皆がとることもあるがそれは見るだけ。
 喪主というか石井家の代表としてお坊さんと画面越しに短く会話を行う。
そこで通信は切れる。現地ではお帰りになるお坊さんお見送りに皆が玄関までいく作業をしているはずだ。

深い没入感の後、突然、今いる場所に瞬間移動したような不思議な感覚さえある。
スマホの画面を閉じる。

スマホの小さな画面と大して良くもない音質。ではあるけれど、ネットでの参加は、実家まで行って過ごすその時間と、心の上では遜色ない。

物は距離を超えられない、
心は距離を越えられる。

イベントや体験の中でも「心の占める割合」が多いものは、オンラインと相性が良い。
そして突き詰めれば「法要」というのはほぼ「心のイベント」だ。
オンラインとここまで相性の良い行事はほかにないかも。(←他にもあればぜひ教えてください)

「葬式」の時点では故人が、遺体としてそこに存在するが、「法事」は、もう物質が無い。墓石の中にあるだろう遺骨を想像するのみ。

2022年の今の時点では考えにくいことだが10年後には、法要やお墓参りというのは、長距離の移動をして行う人とオンライン越しに行う人の割合は同じぐらいになるかもしれない。
移動するのは、実家に家族がいるとか、親戚同士の再会を望む人たちだ。

お墓をめぐる習慣はもう一つある。
亡くなった父母に相談したい時。お墓参りをしてを手を合わせて心の中の親に相談をする。
この行為は、突き詰めると、「自分と向き合う時間をつくる」場が本質である。石に機能があるわけではない。向き合うための思考を始めるためのシンボルに過ぎない。

将来的にはお墓というのは物理的な石であることから離れ、「心の中にある個人の記憶」というものが「本質的な墓」となるのかもしれない。
その時代には、お墓参りをしたくなったら、システムに課金して、墓地カメラの制御と焼香ロボットによるお線香の煙が空に登っていくのを見るようになる。
(きっと、味気ないという人もいるけれど、数年に一度のお参りより、月命日のオンラインお参りの方が、故人は喜ぶ気もする。)

そうして、そのころになると”「墓、という概念」の物質化としての墓石”と捉え直される。
紙のお金、紙の手紙、と呼ぶようになったように、今の墓石は「石のお墓」と呼ぶかも。

以上、コロナの2年間で2度も喪主を務めるという特殊な立場を経験し、故人をしのぶこととオンラインというものの相性の高さを実体験ことをメモした。

話を戻す。

今あるイベントや行事ごとを「物体成分」と「心の成分」に分けてみると、見えてくる。

「心の成分」が非常に多いものであればきっとオンラインに置き換わっていくだろう。

物体の成分が非常に多いものであればオフラインのままだろう。
少なくとも今のオンライン環境では。
(将来的に遠隔的に触感を持ってたり人の気配が五感の全てから認識できるようになると少し変わるかもしれない。) 

エモい言い方として「心は距離を超えられる」と、法事のたびに思っていた。でもそれを一歩進めると「オンラインに向くのは、心の成分が多いもの」という気づき。それを書き留めておきたかった。

先日、新盆でのお寺さんがきて読経してくれて、このお盆期間には、お墓へは体はいかない。もうすぐ母の一周忌で、これは現地に行く。
お盆に亡き両親を遠くで思う。それを文章化したいと思い書き始めた。
そうして書いていくと、結局理屈の話しになるのであった。

そうだ、子どもの頃「あんたは理屈っぽい」と母によく言われたっけ。

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